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2007/09/30

僕肺炎になっちゃった1

それは高熱から始まった
月曜日、私も旦那もどうしても抜けれあれない会議があった。会議が終わり携帯電話をみると案の定保育園からの不在着信。電話すると、
「お昼近くなって元気がないので熱を測ったら38度9分ありました。」日ごろ週の後半になると37度近くあったのでそのときは何も思わなかったが後で考えると高熱だ。昼休みになりあわてて迎えに行くとぐったりした太郎がいた。とりあえず病院につれていかなかければならないが、かかりつけの病院は午後の診療は3時からだ。2時から開いているが2時から3時は予防接種と検診の時間だ。仕方ないので時間まで家で待つことにした。
太郎の体はものすごく熱く、呼吸も荒い。寝かすと泣くので抱っこしたままDVDでも見ようかと再生を始めたとき、太郎の様子がおかしくなった。
突然太郎がけいれんを始めたのだ。
目玉を上にしてけいれんする太郎。
本で熱性けいれんはそんなに慌てる必要はないと読んだことがあったが、娘はおこしたことがなかったので実際どうすればいいかまでは覚えていない。けいれんの間呼吸が乱れ苦しそうだった。起こす前から意識はもうろうとしている感じだったが、けいれん後気を失っているようにもみえた。あわてて旦那に電話したが、窓口業務の旦那は接客中だった。対応が終わったら再度電話するといわれた。
腕の中でけいれんしている太郎をおいて本を調べる余裕もなく、あわててかかりつけの小児科に電話した。電話にでた窓口の女性に
「まず落ち着いて。」
といわれ、けいれんしている時間をきかれ、けいれんがおさまったら病院につれてきてと言われた。激しいけいれんはおさまったが、太郎はときおり手足をひくつかせ、目を閉じたままだった。生きた心地がしなかった。このまま心臓が止まったりしたどうしよう、そのことで頭がいっぱいだった。旦那からなかなか電話が来なかった。
「もうだめだ、病院へ連れて行こう。」
と思ってすぐ旦那から電話があった。
太郎を後部座席のチャイルドシートにのせて自分で運転して病院まで行くのはこわいから、とりあえず抱っこで病院で連れて行くと伝えると病院まで車で迎えに来てくれることになった。太郎は電話の音で目をさました。少し熱は下がったみたいだった。外はすごい暑さ。日傘をさして、太郎をスリングで抱っこして病院に向かった。診察をうけると受付で電話したことを告げたのに、先生には伝わってなかったみたいだ。最後の最後でけいれんを起こしたことを言うとけいれん止めの薬がでた。その場で入れていくかと聞かれたがどうしたらいいのかわからず、とりあえず入れてもらった。でもけいれん止めをいれると解熱剤が使えなくなるそうだ。けいれんを起こしたのちは急に熱があがることはなかった。
食事もよく食べたし、ケラケラ笑ったりしていた。寝る間際はやっぱり熱があがってきたので、解熱の座薬を入れた。翌日から旦那は1泊で出張でそんなときに限り娘のバレエの特別レッスンがあった。解熱剤が効いているうちは割と元気だったがきれるとまた高い熱がでた。娘のバレエに連れて行くのははばかられたが、秋の発表会に向けた振り付けの真っ最中で1回でも休むと大変になりそうだった。解熱剤がききだすと再び熱は下がりなんとかなりそうだと思った。その時点で解熱剤の座薬は残り1錠だった。もし夕方再び熱があがりだしたら夜中にきれてしまう。レッスン後解熱剤をもらいに病院に行こうかと思ったが、まだ風邪薬が日数分あったし、以前もらった頓服があったのを思い出し、行かなかった。夕方はやっぱり元気を取り戻し、笑顔をふりまいた。
頓服はのまずにすんだが、寝る前になるとやはり熱は上がってきて、解熱剤の座薬をいれた。翌朝もやはり朝はそんなに悪くなかったが、昼近くになりかなり熱が高くなり頓服をのませた。
なんでこんなに高い熱が続くんだろうといい加減不安になってきていた。娘は1回病院に行き3日分の薬で確実に治り解熱剤は残ることが多かった。
その日は水曜日、木曜日は午後休診になるので夕方病院に行くことにした。熱がぶりかえすのは中耳炎かもと思い、耳鼻科にもつれていくことにした。またまたそんな日に限って旦那はその日の娘のお迎えは無理だと連絡が入った。夕方、車で娘を迎えにいきそのまま病院に向かった。結局、中耳炎は起しておらずそのまま小児科に向かった。
病院で熱をはかると40度近くあり、すぐ診察室によばれた。
「風邪薬はまだあるが解熱剤がなくなったのでほしい。」
というと、念のため血液検査をすることになった。太郎は普段から保育園で疲れてくると37度くらいにはなっているので高熱も正直あまり気にはしていなかった。
10分ほどで結果がでて呼ばれると、
「これはちょっと大変ですね。」
と先生に言われた。
白血球値が異常だった。
「今日はもう受け入れ先が時間外なので、明日朝検査してこのままだったら入院してもらいます。」
と言われた。
私は頭の中が真っ白になってしまった。
どういうことなんだ?
とりあえず違う薬がでた。
耳鼻科でも鼻水がでているということで抗生剤の処方箋がでていたが、それは破棄するように言われた。帰りがけ看護師さんが追いかけてきて、
「なるべく診療時間になったらすぐ来てくださいね。」
と念を押された。娘のバレエのレッスン、病院はしごと疲労もピークだった。はたして明日きちんと太郎の入院に付き添えるか自身がなかった。7時頃旦那が帰宅した。帰宅の連絡があったときすでに夕食の支度をする気力さえなく旦那に買ってきてもらった。食事が終わるころには頭痛がして気分が悪くなりあとのことは旦那にまかせて布団に入った。太郎は夕食時はやはり割と機嫌がよく食事も病気の割には食べ笑っていたがやはり寝るころにはだいぶ熱もあがってきた。事情を聞いた旦那は解熱剤はやめて、保冷剤をタオルにくるみ太郎の頭を冷やしていたようだったがやっぱり夜が更けるごとに熱でつらそうだったそうだ。
翌日、私は起き上がれず旦那が休暇をとって太郎を病院に連れて行ってくれた。血液検査の結果は悪くなっておりそのまま近くの赤十字病院に入院したとメールが入った。
旦那によると太郎の胸部レントゲンの右肺のが真っ白で、医者には体力的にも限界にきているので入院をすすめられたということだった。とりあえず娘を保育園に迎えにいったら一度病院にきてほしいということだった。連絡があってから娘のお迎えの時間まで私は体力温存のためとにかく寝た。熱を出して以来、夜そんなに頻繁には起きていないものの断乳から極度の寝不足のままだった。娘のお迎えの時間になったがあまりに体調が悪いので熱を計ってみるとやっぱり熱があった。だからといってどうすることもできず、娘を迎えに行き病院に向かった。

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2007/09/29

断つのではなく、お断りする

お久しぶりでございます。
この間コメントくださった皆様、本当にありがとうございます。季節は秋になりますがしばらく夏の話が続きます。いろいろブログにしたいことでいっぱいです。猛暑、残暑すごかったですね。富山もようやく涼しくなりました。最近は太郎も休まなくなり、通勤しながらの生活になれてきました。

保育園入園いらい度重なる発熱のためせめておっぱいくらいはとかなり頻発させていた。寝るときはもちろん、起き抜けにパイ、食後にパイ、帰宅後にパイ、なにかブルーなことがあるとパイ、パイのパイのパイという状態になっていた。それまでは寝ているときにパイでねつくならそれにこしたことがないと思い放置していた。
ところが8月にはいって夜寝乳をすると激痛が・・・。それはもう目が覚め、すわれている間ははっきりと意識がもどり顔をゆがめるくらいの激痛だった。太郎の歯が大分生えてきたせいもあると思う。出産直後やっぱり授乳で切れ乳首になってしまったことがる。肌が弱いのだと思う。薬を塗ってみるのだが痛みはいっこうにおさまらず、寝不足も限界に達してしまった。
もうだめだ。
もうおっぱいはやめよう。
そう思った。
試しに朝のおっぱいをやめた。泣き喚いて朝食を拒否するたろう。
旦那は、
「甘えているだけだ。ほっておけ。」
といって加勢してくれた。泣き止まないんじゃないかと心配だったが、かな~りねばって泣いたあと、きがかわったのか朝ごはんを食べ始めた。
「ほらみろ、甘ったれてただけだ。」
だれに似たのか強情な太郎。泣き出すと結局あきらめて乳をだした。最近は保育園で無理させてるという負い目で、さらに強くでられないでいた。その日は金曜日。いよいよおっぱいなしの夜の始まりだ。旦那がみていてくれるといったけど、泣き止まないのではないかと思い私が寝付くまでおきていた。暗闇のなかで当然なかなか寝付かない太郎。ためしにおしゃぶりをあげてみたが、口からとばして遊んでいた。そのうちいよいよ眠くなりぐずりだした。しばらく抱っこでトントンした。ずいぶん長いことトントンしたがなかなか泣き止まない。喉もかわいたのかなとお茶をあげてみる。のけぞって拒絶。しょうがないのでスリングにいれてトントンを続ける。人は2歳くらいまでに分離不安をきちんと解消できないと境界線障害という精神的な障害をおうことがあるそうだ。赤ちゃんはお母さんの母体から外にでたとき不安を感じるらしい。その不安を取り除く手段として授乳は確かに有効だと思う。
太郎に、
「おっぱいはあげられないけど、ママはそばにいるんだよ。不安にならなくてもいいんだよ。」
と気持ちを込めて抱っこでトントンし続けた。ようやく寝付いたので座椅子に座ってトントンし続けた。開始は10時。0時をすぎてようやく布団に寝かせることができた。ところがそれから1、2時間ほどして太郎はやっぱり泣き出した。旦那がみかねてドライブに連れ出してくれた。なんとか寝付いたが、3時過ぎやっぱり泣き出しトントンしがなかなか泣き止まず、ふと思ってお茶をあげたら泣きやんで眠りだした。
7時にはおきてしまった。私は朝食後ダウンだった。少し体を動かすと寝るのではないだろうかと娘のバレエに一緒についていき、教室のそばにある市民プラザという施設で歩かせた。太郎は1時間ほど歩き続けた。そんなに歩けるんだとびっくりした。夕方くらいからおっぱいが痛くなってきた。でもだすとまたおっぱいがでてくるときいたのでそのままにして我慢した。
土曜日、抱っこでトントンで寝付いたのが12時半。それから1、2時間でやっぱり泣いて旦那が起きたがドライブは断った。旦那まで寝不足になってしまったら娘の世話ができなくなってしまう。昨日の経験をいかし、お茶を飲ませると少しして寝付いた。3時すぎ、やっぱり起きて泣いたがお茶を飲んでねた。その後、おっぱいが痛くて眠ることはもちろん横になるのもつらくなってしまった。久しぶりに搾乳機でおっぱいを絞った。搾乳すると娘のときも含め未だかつてないくらいあっというまに200cc搾れた。
「な~んだでるんじゃん、自分」
と思った。搾乳すると楽になった。やっぱあんありたまりすぎたときは搾らないとだめらしい。夜はもうちょっと触られるだけで激痛だった。体液の循環が悪くなると痛くなるんだと実感した。
そしてこんなに出るに断乳することに罪悪感だ。でもちょっと乳首を触るとやっぱりものすごく痛い。
日曜日、胸の激痛と太郎の泣きで眠れなかった私は寝たきりとなった。太郎も横でよく昼寝をし、なんかあついなと思ったら少し熱があった。でも月曜日の午前中はどうしても休めない。日曜日の晩は抱っこでトントンで11時には寝た。12時すぎと3時ごろ、やっぱり泣いて起きたが12時はその場でトントンで寝つき、3時はお茶を飲んだらすぐ寝た。結局おっぱいをお断りするようになった金曜日晩からおっぱいをほしがってしつこく泣いたのは初日の晩だけだった。あとは実物をみせなければ忘れている感じだ。意外とあっけなかったりして・・・と思った月曜日の午後からとんでもない出来事が起こった。

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