« 2007年9月 | トップページ | 2008年1月 »

2007/10/04

そのとき娘は

バレエのレッスン編
太郎が熱性痙攣をおこした翌日、娘はバレエの発表会にむけた強化レッスン中だった。すごく悩んだのだが、薬を飲むと熱は下がり機嫌もよくなるし、どうせ抱っこしてればいいからと連れて行くことにした。何より5歳児の知能で1回でも振りが遅れると大変なことになる。なるべく負担が少ないように車でレッスンに向かった。いつもなら間に合う時間にちゃんとでたのだが、その日教室のそばの駐車場が激混み。国際会議場と市民プラザが近いのだが、どちらかでイベントでもあるらしい。時間はかなりぎりぎりだった。娘に、
「ここでおろすから1人でエレベーターに乗っていけない?」
と聞くと娘は首をふった。娘と同じ歳でママが車を駐車場に止めている間にちゃんと1人で来てる子もいる。
ええい、臆病ものめ
とも思ったが、街中のビルのエレベーターで1人で6階まで行かせるのはやっぱり危ないかもと後で思った。新聞の文化教室なので、新聞社の支社のビルに入っていて子供に対するセキュリティーはいまいちかもしれない。慌てて少し離れた駐車場に。駐車場に入れた時点でレッスンは始まっており、会場についたのは10分過ぎていた。当然レッスンは始まっていた。発熱した太郎を抱っこしていたので、更衣室には娘1人で行かせた。どうせすでにレオタードはきているので上をぬぐだけだ。1度更衣室に入った娘は
「トイレ。」
といって出てきた。やはり太郎を抱えて面倒だった私は、娘に1人でトイレに行かせた。どうもそれがいけなかったらしい。レオタードになってからトイレにいけばよいものを、服のままいってまた戻ってきた。
「レオタードになってから行きなさい。」
というと娘は泣きそうになりながら更衣室に戻りトイレにいって戻ってきた。戻ってきた娘は泣き出してしまった。
エレベーターに乗れなかった時点でかなりムッとしていた私。もしそばにほかの子やそのお母さんや先生がいなかったら私は切れていたと思う。更衣室に入り、なぐさめ機嫌をとり、他の子が普段してるように挨拶して入るように言ったが娘は泣き止まない。
なんでだよ~、熱をだした弟に無理させて連れてきてるのにそれはないだろう
と思った。本当は
「そんなにメソメソするなら今日はやめて帰る!」
とどなりたいところだったが、私以外は母性があふれんばかりの専業主婦のママさんたちの手前さすがにそれはできなかった。途中先生も様子を見にきてくれたが娘はレッスンに加わらなかった。去年一緒だった勝ち組のママなら優しくなぐさめて説得するんだろうな~と思いつつ、怒りをこらえ優しく娘にレッスンに入るか帰るか聞いた。娘が帰るといえば、それはそれで頭にくるんだろうなと思いつつ。結局娘は
「帰らない。」
と意思表示をしたが、
「じゃあママが連れて行ってあげるから。」
とタイミングをみて先生にお願いしたが、娘はやっぱりレッスンに加わらなかった。
困っていると、先生が
「お姉さんと一緒に見てる?」
と誘ってくれた。
発表会準備のせいか今年主役を踊るらしいお姉さんがレッスンのお手伝いをしていた。娘はやっと納得してお姉さんのそばにいった。その後、センターになりようやく娘はレッスンに加わり、発表会の振り付けが始まる頃にはハイテンションだった。あくまでハイテンションなので、レッスンをまじめに受けているという意味ではなく、いつもどおり集中力が切れるとふらふらしたりするのである。あんまりカリカリするのはいけないと思いつつ、かな~りキレ気味だった。しかし、完全ママブラックになりかけると理性を取り戻し、「優しく」
を心がけるのであった。内心、
「いつか仕返しするからな~。」
(もちろん高校生くらいになってから)
と大人気ないことを思いつつ。

太郎入院編
太郎が入院してしまうと妙にハイテンションになった娘。朝は5歳児1人だけならこんなにラクなんだと実感。太郎が入院してしまい、翌週に控えていた帰省がなくなってしまった。
それを聞いた娘は、
「パパと(娘の名前)ちゃんで行ってきてもいいよ。」
とのたまう。ほ~そこまで言うならと思い、
「じゃあチバ(私の実家)ばあちゃんちに(娘の名前)ちゃん1人だけで泊まれる?」
と聞くと、
「大丈夫だよ。」
という。そうかい、じゃあ今度本社出張のとき利用させてもらおうじゃないのと思う。
金曜日、病院から帰るとアパートの同じ階段の男の子3人いるおうちの家族と女の子のいるおうちの家族が花火をやっていた。親切にも男の子のおうちのママが一緒にやろうと呼び止めてくれた。娘は大喜び。せっかくなので娘が保育園の夏祭りでもらってきた花火を家からとってきて混ぜてもらった。太郎が体調をくずし、大好きなパパがいなくてかまって貰えず寂しい思いをしていた娘にとっては思いがけず楽しい出来事だったに違いない。
気さくなご近所さんに感謝した。花火も終わり家に帰ると
「太郎がいないとママラクでいいね。」
と暴言をはく。
悪気はないのだろう。彼女なりのママに対する気遣いなのはわかる。しかし、驚くまでのポジティブ思考だ。
馬鹿なのだろうか?
一応、
「太郎は病気でつらいんだからそんなこといっちゃだめだよ。」
といった。

お花かわなくっちゃ
太郎が入院して娘が思いついたこと、それは
「お花かわなくっちゃ。」
だった。もちろん、太郎にはお花の価値などわかるはずはない。そして娘もおそらく病人のためにというよりは単に普段めったに買えないかわいいフラワーアレンジメントを買えるただそれだけだと思われる。それを証拠に、娘が太郎が退院に花を家に持ってかえることを心待ちにしていた。しかし、その娘が自分のために買った花にママはたいそうなぐさめられたのだった。お見舞いに花は正しいです。何もない病室に美しく色とりどりの花たちにどれだけ癒されたことか。(病人ではなく看病する人がね)
そして太郎がいない日、娘は遠慮がちに
「おっぱいもう痛くない?」
と断乳で張った胸をさわった。やはり太郎がいることでママに対して遠慮していたのだろうなと思った。太郎がべったりと張り付き、日常必要最低限のことをするのもやっとで気持ちに余裕もなく、その上娘が甘えてくるとついつい厳しい態度をとってしまう。私が思っている以上に娘もがんばっているのだと思った。
単に自己チューなのかみんなを盛り上げようとわざと明るくふるまっているのか半信半疑だったが、どうやら娘なりに気を使い明るくふるまっていたが知恵と言葉がたらなかっただけのようだった。その証拠に、太郎が家に帰って安心したのかそれから数日体調をくずし、わがままの限りをつくしたであった。
彼女にしてみれば、楽しみにしていたおばあちゃんやいとこに会いにいけなくなったり、太郎の体調を気にして夏らしいおでかけができなかったりしてたいくつだったと思う。かわいそうなので、パパがプールに連れて行ったが結局この夏は家族でお出かけはできなかったし、8月一杯は休日ショッピングセンターにでかけるのもはばかられた。保育園に通っていることもあり、結局夏休みはないようなものだった。太郎が生まれたばかりの昨年に引き続き、娘にとってもかわいそうな夏だったなと思う。

でもね、ママもどこにも行けなくてつまらなかった。(おいおい)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/03

僕肺炎になっちゃった3

病院キャンプ
土曜日、普段は夜も洗濯機を回すのだが太郎の保育園の濡れた洗濯物もなく帰宅も8時過ぎだったため洗濯ものがたまっていた。その日も真夏日で午前中娘に手伝わせて掃除をし、洗濯ものを一気にかたずけた。最近料理のとき娘に野菜を少しだけ切ったり、掃除を手伝わしたりしている。自分の着るものは自分で引き出しにしまわせるようにしている。自主的に鍋を磨きたいとか掃除機をかけたいとかいってやりたがるうえ割と戦力になることもある。日中仕事をしてるとどうしても娘とかかわる時間が少なくなってしまうので、娘との交流の手段としてもいいかなと思い、最近はなるべくお手伝いをさせるようにしている。しかし、どうしても作業の行き届かないところや根気がなかったり身が入ってないことが気になり、気がつくと怒ってばかりで娘の気持ちを満たすつもりがかえって精神的にマイナスになっているかもと思ったりもする。母親として優しい気持ちで見守りたいのだが、気がつけば鬼コーチである。太郎が体調を崩して以来、家事についてはほとんど時間が割けなかったため家をかたずけてシャワーまで浴びたらやっぱりお昼になってしまった。土日は私が私が夜通し付き添うことにしていた。
土曜日は娘のバレエがありバレエの時間になるとパパと娘はバレエ教室に向かった。土曜日になるとだいぶ元気を取り戻し、旦那から
「暴れるからベットから落ちないように気をつけろ。」
と引き継ぎを受けた。元気になった太郎は少し大きめの柵つきベビーベットにいるとたいくつらしかった。金曜日は抱っこされればおとなしくなって寝始めたが、土曜日は暴れて床に下りたがった。このままでは夜寝ないかもしれないと思い、プレイスペースに連れて行った。プレイスペースはだいたい4畳半くらいで、少しだけおもちゃがおいてあった。靴をぬいで遊ぶので太郎を歩かせるのにちょうどいい。
土曜日の午後には太郎はかなり元気になっていた。寝ている時間以外はほとんど部屋にはいられない。抱っこされているだけではたいくつらしく床におりて歩きたがる。靴は持ってきていなかったし、手をつくと困るのでその日から何度もプレイスペースと部屋をいったりきたりした。(抵抗力が落ちているはずなので土足で歩いた床のバイ菌が心配)その日は私が夜通し付き添いなので、運動が足りないと余計に寝ないかなとも思った。元気になった太郎は点滴がすごく気になるらしく、すぐに点滴を打ちつけたりチューブを引っ張ったりする。
食事は相変わらずお粥を嫌い、魚や豆腐やすり身などを食べ、満足するとヨーグトやゼリーなどのデザートを要求する。太郎にしては普通に食べてる感じだが出された量にしては半分食べてない感じだ。病院の食事だけあって、野菜のお惣菜が必ずついたが太郎はあまり手をつけず、特に柔らかいのだけようやく食べる感じだった。たぶん食事の量もみているのだろうと思い、私は最初は気を使ってあまり手をつけなかったが旦那が食べているのを見て私も食べるようになった。
土曜日は少しプレイスペースで遊ばせると気がまぎれておとなしくなった。旦那は私がいない間太郎をだまらせるのになんとビスケットを使っていた。例えばトイレに行くとき、慣れない場所と体調不良からベットに1人にされると激しくないた。そこでベットにビスケットをばらまいて、太郎がビスケットに気をとられているうちに用事をすましていたらしい。太郎はたいくつするとやたらとビスケットをほしがった。この日の夜、ついに看護師さんにみつかってしまったが、おこられはしなかった。
太郎は10時くらいには寝てしまった。太郎が寝てしまうと同時にリクライニングチェアーで寝る体制になったが、3時間おきくらいに点滴の点検に看護師さんが入ってくる。旦那は最初のうちは看護師さんが入ってくるたび起きたが明け方は反応できなくなると言っていた。太郎が寝た直後のチェックでどうも点滴をやり直したほうがいいということになった。
「ちょっと点滴やり直しますね。」
といって太郎は診察室に連れていかれてしまった。
「一緒にいかなくていいですか?」
と聞くと、
「部屋にいてください。」
といわれた。部屋で待っていると遠くで太郎の絶叫が聞こえた。20分か30分して戻ってきた太郎は点滴をしていなかった。
「先生もだいぶ経過もいいので今晩は点滴はとったままでもいいとのことなので、とったままにしておきます。」
とのことだった。だいぶ元気になっているしこのまま点滴は終わりかなと思った。だいぶ泣き叫んだので寝ないかなと思ったらあんがいすんなり寝てしまった。太郎をベットにおろし、少しだけ寝た。ところが2時をすぎたころ、太郎が泣きだした。抱っこして寝付いたかと思いベットに戻すとまた泣き出してしまう。しょうがないのでそのまま抱っこで寝た。諦めがつくまで1時間ほどかかり、次に目が覚めると夜が明けかかっていた。夜が明けていくのを何度か確認しながらうとうとしていたらあっという間に6時の検温になってしまった。ほとんど深くは眠れなかった。
まるでキャンプのようだ。
点滴をとるとそれまで36度前後だった体温が37度になった。検温から朝食までぐずり、朝食を食べると寝始めた。私もそれに合わせて寝ていた。午前中は看護師さんの出入りが多かったが夜ほとんど寝られなかっため、もはやぐったりした姿のままの姿を見られても全く気にならなくなってしまった。結局太郎は再び点滴をすることになった。呼びにきた看護師さんはあきらかに妊婦さんで、
「連れて行きましょうか?」
といったが、
「大丈夫ですよ~。」
といって1歳児15kgくらいを抱えていってしまった。看護師、激務のはずである。あんなに大きなおなかなのに・・・。後に聞いたところ9ヶ月とのことでした。
あれ?産休は・・・?
体、丈夫で何より。
通いの美容院にも産休直前の美容師さんがいて、逆子だっていってた。育児マンガの漫画家さんも逆子の人が多いのはやっぱり妊娠中ってあんまり無理しちゃいけないんじゃないだろうか。個人の自由な領域ではあるのだが、自分自身もやっぱり大切だが子供を持った以上は子供のために自分の自由を削るのは仕方ないと思う。そんなに自分の自由を優先したいなら、子供はいなくてもいいんじゃないかな・・・。もちろんへタレな私とは違い、自分の自由も子供を持つことも100%得られるタフで才能あふれる人もいるのだろうが。
何が行われているか診察室のそばまでいったが姿の見えない太郎のものすごい絶叫が聞こえたので
「見ないほうがいいかも。」
と部屋に戻った。血管の細い赤ちゃんの点滴はさぞかし大変なのだろう。点滴を終え戻った太郎はしばしぐずった後再び寝に入り、私もぐったりした。大変だったのはこの後。目が覚めた太郎はベットの中にいるととても機嫌が悪い。抱っこしてもビスケットをほしがってぐずるか、床におろせと騒ぎ出した。日曜日はほとんどの時間をプレイスペースで過ごした。
土曜日の晩あたりからオムツかぶれと首筋のあせもがひどくなってきた。点滴を一度とったときから体温が上がり始め汗の量が増えて、かぶれがひどくなり膿が出始めた。
抵抗力がおちたのか?
抗生剤のせいか?
土曜日の診察の時、もしこのままよければ月曜日には退院できるかもといわれていた。パパと娘はお昼ごろやってきた。それにあわせて私は一度家に戻りシャワーを浴びてきた。ちょうど近くの公園でお祭りをやっていた。もし太郎が入院しなければ帰省していたのだが、結局病院通いになってしまい、娘がたいくつしているのではないかと思い、
「公園でお祭りをやっているよ、一緒にみてくれば。」
とパパと娘にすすめたのだが、ちょうど暑いさかりのころでパパは難色をしめした。娘はものすごく行きたがり、結局パパが負けて2人でお祭りに出かけていった。太郎も昼寝をする様子がなく、プレイスペースに連れて行った。元気になった太郎は点滴が気になってたたきつけたりひっぱたりしていた。おやつの頃になると娘は戻り、今度は娘が遊び始めた。旦那は病室で昼ねをしていた。まだ付き添いの疲れがとれていないのだろう。そうやって病室とプレイスペースをいったり来たりしているうちに夕食の時間が来た。途中パパと娘がコンビニに夕飯を調達しに行ったりしてサザエさんが終わるまでパパと娘は病院にいた。その日は8時から公園で花火があがるらしく娘は花火をみたいといっていたがその前には帰宅した。
8時前までは部屋にいられたが、またあきたらしく暴れ始めた。花火が見えるかなとおもい公園の見えるプレイスペースに行ってみた。すでに親子が花火目的に集まってきていたが、どうやらケガの子らしく肺炎である太郎が他の子に病気をうつすのではと心配になりその場を離れた。救急で初めてこの病院に来たもの同士で大部屋で一緒のせいかすでに団結していてなんとなく入りにくい雰囲気だった。子供たちも年中さんより大きい子たちで1歳児の太郎をうろつかせるのはなんとなく危ない気もしてその場を離れた。とりあえず廊下を一周しようとエレベーターホールの前を通りかかると、やはり点滴をつけた赤ちゃんと連れたお母さんにあった。やはり子供がぐずって散歩中だったらしく、立ち話をした。
そろそろ花火が始まるじかんだからプレイスペースにいってみようと歩き出すと同じ階の内科病棟の看護師さんに会い、
「こっちの入院室からよくみえるからみていかれ。」
といってくれたので、赤ちゃん連れのママとともに内科の入院室の大部屋にお邪魔した。内科病棟はお年寄りでいっぱいだった。その部屋は花火見物のベストポジションで思いがけず花火を満喫できた。お年よりは花火と思いがけずやってきた赤ちゃんに大喜びだった。ママたちは思いかけずいい場所で花火を見れて大喜び。近くだけでなく、遠くでも花火をやっていて小さく花火が見えた。子供たちはどうかな。太郎はなんか知らない人に囲まれややビビリぎみだった。小児科の看護師さんはベテラン風の妙にきびきびしている人ばかりだったが、内科の看護師さんは若くて明るくてはきはきした感じのひとだった。小児科と同じ階に産科があって助産師をもった看護師さんばかりだっただろうか。一緒に花火をみた赤ちゃんは6ヶ月くらいでBCGの予防接種後熱がでてすでに1週間以上だといっていたような気がする。大学病院に検査をだしているが原因がわからず退院できないそうだ。6ヶ月ならまだ泣いても抱っことおっぱいでいいからちょっとうらやましかったが、やっぱり入院期間が長いのはさぞかし大変だろうなと思った。
花火も終わり病室に戻ると今度は窓の外からみえる結婚式場で花火があがった。この夏どこにもいけなかったけど思いがけず綺麗な花火がみられたのが嬉しかった。花火が終わるとまた太郎がたいくつを始めた。ちょっと散歩するかと思い廊下にでたが、時間はすでに10時をまわっていて廊下は消灯していた。他の患者さんに迷惑だと思い、すぐ部屋に戻った。それから30分ほどして、ようやく太郎は眠りについた。
私も寝の体制に入ったが、その日は何度も点滴のエラーがでた。最初は太郎が動き出し、私がひっぱってしまってエラーになってしまったのかと思って恐縮したが、原因は私がひっぱったせいではなく、太郎が動いているときたたいたりひっぱたりしているせいで点滴の針の刺さり方が不安定になっているせいみたいだった。日曜の夜から翌日まで何度も点滴エラーでナースコールしてしまった。太郎はやっぱり深夜1時すぎまではベットに寝てくれたのだが、それ以降はまったくベットで寝てくれず、リクライニングチェアーで太郎を抱っこしたまま寝た。当然深く眠ることは不可能だった。夜は徐々に明けて、明るくなった頃ようやく寝たかなと思ったら朝の検温で、担当の看護師さんが
「それで日中もねてるんですね。」
と笑っていった。本当に眠れなかった。日曜日の診察で、経過がよかったら月曜に退院と言われたが、一度点滴をとってから体温が37度前後だった。朝食が終わってもなかなか先生は現れず、栄養士さんが食事についての説明などにきたので、
「ああ、今日は退院できないのか。」
と思い始めていた。月曜日は午後から旦那と付き添いをかわるつもりでいて、午前中の休暇はとったが午後の休暇はとってなかったためもし退院するとなれば旦那に休暇を延長することを職場に伝えてもらうつもりだった。11時になっても何もいわれず、旦那に、
「今日は退院できないかも。」
とメールを打った。その直後、先生が部屋にあらわれ
「退院できます。」
と言われた。
慌ててだんなにメールを打ち直す。それからちょっとして看護師さんにいつ退院するか聞かれた。とりあえず昼ごはんがでることを確認して、昼すぎに退院することにした。嬉しかった。たとえ太郎がないて結局は眠れなくても、家の布団で寝られるのは嬉しい。そして仮に入院続行だったとしても2日ほとんど寝てない状態で仕事をする元気はなかった。
富山にきて5年、赤十字に家族が入院したのは3回目。家族が健康であるというのがいかにありがたいかをまたしても痛感した。いろいろな事情で病院に入退院を繰り返すのはさぞかし大変だろうなと実感した。
太郎の昼食が終わり、退院に際しての薬局からの薬の説明と事務からの説明が終わっても旦那はなかなか姿を現さなかった。もう大丈夫なのにベットを使うのはなんか心ぐるしい。1時を過ぎてようやく旦那がきた。とにかく太郎と一緒に家に帰れて嬉しかった。家なら太郎も存分も動ける。かかりつけ医の紹介で入院したため、退院後診断書をもってかかりつけ医にいかなければならなかった。ちょうどお盆中でかかりつけの小児科は金曜日まで休診でそれまでは自宅療養ということになった。その間は旦那と交代で休みをとった。
富山にも病時保育をしてくれるところがあるが、それでなくても肺炎をおこして体力がおちた太郎をどこかに預けるのはどうだろうと思った。やむえない人もいると思う。そんな人のためにやはり病時保育は必要だと思う。
でもできれば子供が病気のときはもちろん、本人の体調不良のときも当たり前に休めるような社会であってほしいと願わずにはいられない。病気をおして働くのが美徳だなんてやっぱりへんだと思う。もちろん自分の命より仕事の方が大切だという人の生き方も完全否定はできないとは思うが。
家に帰ってきてからの太郎はそんなに高い熱もでず元気だった。抗生物質の影響なのか尋常でないオムツかぶれがいつまでもなおらずかわいそうだった。点滴のせいでおしっこの量がおおかったせいもあるかもしれない。世間では耐性のウィルスがいて抗生物質がきかなくなることもあるといわれ、保育園入園いらいそれこそ毎週のように抗生物質のお世話になっていたためきかなくなってたらどうしようと本当に不安だった。点滴とともにあっというまにしつこく続いた熱が下がり、あらためて西洋医学ののありがたさを痛感した。血液検査の結果で入院の聞いたときは目の前が真っ暗になった。無事でてこられて本当によかった。
金曜日に診察を受けると月曜日からは保育園にいっても大丈夫といわれた。ようやく太郎の体調を気にしなくなった頃には暦は9月になっていた。今年の夏は太郎の体調を気にしているうちに終わってしまった。
まあ、そんな夏もあるやね。
Sn340516←太郎が入院するやいなや、「お花かわなくっちゃ。」といった娘。パパが入院したとき買ったのを覚えていたらしい。のんきなやつだと思ったけどこの花にママが一番なぐさめられたのだった。
Sn340514←プレイスペースになぜか999のジグソーパズル。現在入院中の子供たちにわかるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/01

僕肺炎になっちゃった2

ぐったりしていた僕
娘をつれて病院に行くと太郎は点滴をつけてぐったりと寝ていた。私が着くと旦那はシャワーを浴びに一度家に戻った。娘に
「どうする?ここに一緒にいる?」
ときくと
「パパと一緒に行く」
といっていってしまった。今住んでいる場所は職場もかかりつけの医者も総合病院も自転車で15分以内にあってとても便利だ。そして5年住んですでに3回も入院した家族のためにこの総合病院に通う私。うち旦那が2回もお世話になっている。最初はおりしも前参院選。旦那は盲腸で入院してしまった。
2回目は大腸がん家系の旦那が直腸検査を受けたのだがその週末どうしても東京に行かねばならずその結果ポリープ切除あとが出血し下血。出血が止まるまで2日(だったと思う)入院した。たまには私も入院してやりたいとも思うが、個室の出産入院でさえ気づまりだったのだからこれで病気入院したらメンタル的にやられて死んでしまいそうな気がする。私にとって入院は即死につながるような気がしてならない。虚弱体質だけど大病はしない私。
旦那がいない間、太郎は寝ているか泣いているかのどちらかだった。入院は予定では7日、最初の2日は旦那が泊ってくれるというので土日は私が泊ることにした。入院したのは木曜日で、翌金曜日は私が午前中出勤して午後は旦那が出勤、仕事が終わってから旦那は娘を迎えにいってシャワーを浴びて病院にくることになった。太郎は個室に入院していた。かかりつけの小児科は必要におおじて総合病院を紹介してくれるようになっているが、赤十字病院は提携病院用の優先入院ベットを事前に確保しているらしい。そんなふうになっているなんて知らなかった。
夕食を食べさせているとき旦那と娘が戻ってきた。ついでに旦那と娘には病院の食堂で食事をしてきてもらった。
太郎は比較的食欲はあり、煮物に入っていたねりものや野菜をモリモリ食べた。しかしお粥は気がすすまないらしくほとんど食べなかった。太郎は普通のご飯をてでつまんで食べるのが好きだ。さすが病院のご飯、体によさげな野菜のおかずが必ずついていて、調理法によっては食べられない太郎のおかずは入院中私や旦那や娘の貴重な栄養源になった。(オーブン焼きとかサラダとか。体調が悪いせいか葉っぱものは受け付けなかった)入院中、風邪がいつまでも治らない私は食事を作る気力がおこらず、パンやコンビニのご飯で過ごした。食欲もあまりなかった。7時過ぎ娘とともに病院を後にした。家に着くとわたしだけシャワーを浴び寝た。ああ、太郎を気にせず眠れるのはいつぶりだろう。だが結局体調不良と不安のせいか、あまりぐっすりと眠ることはできなかった。太郎入院中の娘の暴言やりたい放題についてはのちに語りたい。金曜日、娘を保育園に送り午前中は職場へ。やはり5歳児は楽だ。金曜日は職場にパンの販売が来る。家族分たっぷり買占め、午前中の仕事が終わると病院に向かった。旦那は入れ替わりで職場に向かった。太郎はすやすやと寝ていた。午熱は下がっていた。検温すると36度でむしろ低いくらいだった。途中で点滴に抗生剤が注入された。注入のとき看護師さんに、
「お名前は?」
と聞かれ、自分の名前を答えるアホな私。赤ん坊は常に付き添わなければいけない。そりゃそうだ、名前もこたえられなければナースコールもできないもんね。それと今まで点滴って常に薬がはいっているのだと思ってたけど、太郎は12時間ごとに決まった量の抗生剤が点滴に投入された。金曜日の太郎はまだ体調が悪いらしく、起きていると泣いて抱っこしていると寝た。寝ている時間も結構長かった。赤十字病院は神通川沿いに建っていて、7階の太郎の部屋からはさらさらと流れる川がよく見えた。ちょうど夏の猛暑が続いてる時期で天気もよく、太郎の付添だから他に何ができるいうわけでなくちょっとしたリゾート気分にもなれた。
「いく川の流れは絶えずしてしかももとの水にはあらず」
って本当だな~と思いながらまるで絵のような美しい風景を眺めていた。小児科病棟という場所柄もあり、付添の親のことを考えてかとてもすわり心地のいいリクライニングチェアーがあった。夕食を食べさせているとき旦那と娘が戻ってきた。ついでに旦那と娘には病院の食堂で食事をしてきてもらった。午後に1度小児科医の診察があった。かかりつけ医が診察にくるとのことだったが、結局来なかった。お盆前だし忙しいのだろう。7日ほど入院治療を行うことと、入院までのいきさつを説明された。3時くらいには目を覚まし泣き出したが抱っこすると寝てしまった。4時からの子供番組を見せるのにテレビをつけたが、途中でまた寝だした。
太郎はぐずるか寝るかのどちらかだった。夕食はやっぱりおかずを食べず、魚と味噌汁の豆腐を手で食べ、お粥はスプーンで口に入れても少ししか食べなかった。口に持っていくと手で払いのけようとした。食欲は比較的あった。退社後旦那はシャワーを浴びて戻ってきた。旦那と娘に食堂に行ってご飯を食べてきてもらい、太郎の夕食を終え、7時過ぎに病院をでた。エスカレーターで旦那さんが入院しているとおぼしき年配の女性と一緒になった。エレベーターホールで旦那さんと別れてエレベーターに乗り込むとため息をつくので、
「疲れますよね~。」
と声をかけると、
「ほんとですね。」
と返ってきた。
「長いんですか?」
ときくと、
「いえ2日目です。それでも疲れますね。」
というので、
「生活のリズムが急に変化しますからね。」
というと
「そうかもしれませんね。」
と再びため息をついていた。
病気をしている本人がつらいのはもちろんなのだが、ただ病院にいって何をするというわけでなくてもやっぱり疲れてしまうのはよくわかる。
これといって食欲もなく夕食は結局旦那は食べなかったお昼のパンを食べた。その日も太郎に邪魔されず寝ることができたがあんまり深くは眠れなかった。
Sn340513←入院した部屋から見えた夏の夕暮れ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2007年9月 | トップページ | 2008年1月 »