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2008/03/23

お友達、できちゃった

今6歳の娘が1歳半すぎたとき、夫婦で転勤で富山にやってきた。職場は正社員の女性は私だけ、3年雇用の非常勤さんは未婚か結婚や出産と同時にやめてしまうことが多かった。保育園では朝はみな大急ぎでなんだか悪くてママたちに話しかけにくい。夕方も最初のころはやっぱり私自身に気持の余裕がなかったのもあるし、保育園の駐車場はせまくてあんまりのんびりしていたら迷惑だろうとなんとなく話しかけにくかった。そもそも初対面の人に話しかけるのが苦手で、それを理由に逃げてたせいもあるかもしれない。最初の年には結構いた小さい子供がいる家族もようやく環境になれて話すのも苦痛でなくなったころには最後の1件が家を建てて引っ越してしまった。
ママトークがそんなに苦痛ではなくなったのは太郎が生まれて職場復帰したくらいでつい最近の話だ。富山にきて太郎が生まれるて再び職場復帰するまでは、歯をくいしばることばかりだった。
旦那がいないくて娘と2人で過ごさなければならないときは、気がつくと泣きたくなるくらいつらかった。太郎が生まれて、再び職場復帰した今は雪の日ふだんは自転車で行く道を抱っこでいっても全然つらくない。娘はおとなしくベビーカーに乗っていて、もっと楽だったのに気持はいつも追い詰められていた。娘はかわいかった。でも心のそこから育児を楽しんでいるというにはほど遠かった。娘には悪いことをしてしまった。それでも日々成長していく娘に感謝だ。
娘が2歳にあったある日、かかりつけの耳鼻科で同じ保育園の男の子とそのママにあった。とても明るくて気さくなママで会話がはずんだ。結局娘とは違うクラスのようで同じ学年か1つしたなのかわからなかった。娘は9月生まれその子は1月生まれで年中さんまではクラスが約半年きざみになっているからだ。年中さんになり、その子と一緒のクラスになった。お迎えの時間帯があわないので一緒になるまでほとんど保育園で顔を合わせることがなかった。やはり明るいママさんでいつもだれかと楽しそうに話しをしていて、やはりなかなかママ友ができないのは私の性格のせいなのかもと暗い気持ちになった。
同じクラスになってもお迎えの時間帯がめったにあわずあまり話をしなかった。私の職場は比較的時間と休暇に恵まれていて、定時で帰れてしまうので同じ時間になる人は少なかった。だいたい、小さい子供づれで転勤してきたのに係員から係長相当のスタッフポストについてしまったのに、子供のことと以前、酔った席とはいえ
「女性とに現場のある職場にこられて迷惑だ。」
といわれたショックから立ち直れていなかった私は職場にいるのは常にプレッシャーで1分1秒足りも長く職場にいたくなかった。いつも勤務時間中にノルマを果たすべく必死だった。
娘の育児休業中はつくばにいて、つくばには家のそばに育児サークルがあり参加することができたが、富山で過ごした太郎育児休業中は皆実家が近く実家がたよりになるのか育児サークルの気配もなく、1人目以上に心身ともに産後の疲労に悩まされ気分的に積極的にママ友を作ろうという気のにもなれないまま終わってしまった。
それでも産休中はそのときはまだいた年の近い子供のママと話すのも怖かったが育児休業も半分終わったあたりで平気になってきた。
だが結局ママ友はできないまま育児休業は終了してしまった。職場復帰2か月の真夏の暑い日、太郎が高い熱を出し肺炎で入院してしまった。私は太郎の付き添いで病院で、旦那が娘の保育園のお迎えにいった。娘を連れて病院に来た旦那は、
「いやあ、友達とバーベキューに行くってなかれちゃってさ~。」
とあきれ顔だった。そのお友達の1人に以前耳鼻科であった明るいママがいて、そのママが、
「じゃ~みんなで行こう!(娘のクラスの年長さん2人の女の子のうち娘じゃないほうの子のママ)ちゃんママとおばさんメル友だから計画立てとくね。」
といってくれたのだそうだ。子供達はおお喜びで、娘もいくき満々だった。どうなるんだろうな~と思っていてるうちうに夏は終り、9月に入りその間も何度か娘に、
「バーベキューは。」
と催促された。かわいそうだから一度はさそってうちから誘ってあげようかともおもったけど、親のほうはわずらわしいかもなと思ったのと、我が家も小さい太郎を抱えてなかなか誘う元気がでなかった。たまたまその明るいママと一緒になったとき、
「これから日程調整しますから、行きましょうね!」
と声をかけられた。娘のわがままでかえって迷惑をかけてしまったのではないか心配だった。
「なんかすることあったらいってくださいね。」
といった。それからその仲良しグループに入っている同じクラスで女の子は娘をいれてももう1人の女の子のママから、キャンプに関する連絡のお手紙をもらった。ああ、明るいママともう1人の女の子ママは仲がいいだろうからいいけどなんか悪いな思い、
「何か準備することあったら連絡ください。」
と携帯のメルアドを教えた。
結局そのママと明るいママがほぼ準備してくれて、
「しおりいれておきました。」
と女の子のママからメールをもらい、げた箱をみるとそれは愉快で力作のしおりが入っていた。うちの娘の思いつきでとんだ手間をとらせてしまったと申し訳なかった。
バーベキューは9月の連休の最後の日に行われた。どうなることやらと思っていたが、娘が大喜びだったのはもちろんとても楽しい時間が過ごせた。また一緒に遊ぼうねと約束した。
それぞれに仕事をしているし、どうなるかなと思ったがその後も近くの保育園の保育科の成果発表のイベントにいったり、富山大学の子供むけのイベントにいったり、2人いるクラス担任のうちの1人が結婚するというのでみんなで披露宴の終わるころを見計らって会いにいったりとたびたび会うようになった。ちょうど「暴れん坊ママ」が放映されている次期がかさなり、実は明るいママももう1人の女の子のママもみていて、12月娘の保育園の子供たちが土曜日午前中、富山の郵便局の年賀状受け付け開始のイベントに参加することになり土曜登園の数日前、
「ママ茶しませんか?」
とのメールが入り、混ぜてもらうことにした。その時はまだ、他のママは仲がいいのかもしれないけど、無理して混ぜてもらってないかなと心配な気持ちもあったが、明るいママもう1人の女の子のママと娘が今の保育園でお世話になってから知っているやはり娘が入ってる仲良しグループの男の子のママ2人も一緒にピクニックでママ茶した。
私の心配は杞憂に終わり、特に気を使うことなく時間も忘れそうになるくらい会話がはずんだ。年も明けて、ある日私は残業になってしまい旦那のお迎えもギリギリになりちょうど明るいママと一緒になった。お迎えをした旦那から、
「ママは出張?って聞かれてもしパパが出張の時は一緒に御飯でも食べましょうっていってたぞ。」
といわれた。のちに明るいママが、
「うちいっつも息子と2人でごはんだから、別にパパと(娘愛称)ちゃんとでもよかったんだけど。」
いわれた。明るいママのおうちはパパが長期で出張に行くことが多い仕事だと話に聞いていた。
う~ん旦那、美人ママと一緒にごはんできなくて残念!
(私も全然かまわない)
チームママ茶のママたちは凡庸いやむしろヤバい私とは違いみんなそれぞれの個性をもった美人だ。そっか、じゃあ今度旦那が出張の時は声掛けてみようと思っていたある日、旦那が仕事で金・土と家を空けることになった。しかもその土曜日は娘のバレエがなく、子供2人の相手を1人でするかと思うとややブルーだった。
季節は冬。寒いし雪も降り天気が悪い。どうやって遊び相手をしたものか・・・。
ふと思い立ち、とりあえず金曜日ピクニックでお食事会をしないかともう1人の女の子のママを誘ってみた。しかし平日は何かとわずらわしいからどうだろうともったらちょうど同じくパパが出張でOKの返事、結局チームママ茶全員集合だった。子ども達は子供たちで大盛り上がり、ママはママたちで話がつきなかった。手作り風でお手頃価格の個人経営のお店は夜もそこそこお客さんがいた。とても子供におおらかなお店だったが、やや気兼ねした。
はしゃいだ子どもたちおそるべし!
「次回はカラオケの店がいいかもね。」
という話になった。そのときやはり以前から子供たちが勝手に決めていたもう1人の女の子の家に遊びにいくいう話があり、女の子ママからいつがいい?という話になった。それと翌日に新聞社の主催する「新1年生のつどい」がありそれにみんなで行くことになった。
もう1人の女の子の家にいく予定は2月から3月になってしまった。3月にお邪魔するとそれはそれは素敵なおうちで、子供達はやっぱり大騒ぎ、ママたちは話で大盛り上がりだった。なんだか富山に引っ越してきたばかりのことが嘘のようだと思った。割と子供のころから地元を離れたことがないという人が多い富山で、最初はまったく知らない人ばかりだったが、3年も経った頃からよく外出先で知っている人に会うようになった。知人とは月日とともに増えていくものなのだと思う。
ママ友がなかなかできなくて、もしかして自分に何か問題があるのではないかと思ったりもしたけど、そんなに力んだり焦ったりしなくてもあっという間に仲良くなれるもんなんだと最近思うようになった。
明るいママのように自分から積極的にはなせればそれにこしたことはないけど、そうでなくてもお友達ってできるときはできるもんだと30すぎてしかも40近くなってようやく納得した。
せっかくお友達ができたのに、この春に転勤の可能性大だ。
でもお別れの前にもう1つ楽しい予定が入っている。
今はまだそれから先のことは考えたくない心境だ。

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2008/03/16

母の会でございますのよ9

反省会
発表会から2週間後の火曜日午前中に講師・文化センター職員・母の会を交えて反省会があった。ああ、これで任務完了、例によって高岡までの道のり、「水曜どうでしょう」テーマソングとドラバラの主題歌集を聞きながら高岡を目指した。すっかり通いなれた道だ。時間通り反省会会場につき、文化センター職員から昨年の発表会より数名少ないがまずまずの観客が動員され無事終了できたといった報告があった。そのあとは役員からの一言で、花束受付や会場誘導を行った上のくらすの役員のお母さん方からいろいろと来年に向けた意見がだされた。Cクラスは当日の役割分担はなく、子供の支度だけだったのでそのことにお礼をいい、あとはお姉さんたちがきちんと誘導してくれたので感心したことをいい、後は備品のアイペンシルをなくしてしまったこともその場でも謝罪した。
先生からは来年にむけた話もあり、来年は11月の最初の連休に発表会の予定だともおっしゃっていた。だいたい話がでると文化センター職員は退出し、先生とお母さん方だけになった。まあ雑談のような感じだったが、お姉さんのお母さんからは、レンタル衣装はすごくスリムにできているがやはりダイエットとかさせたほうがいいかというような質問がでた。やはり小学校高学年になるとスタイルの維持もたいへんなんだろうなと思った。女の子はどうしても太る時期ってあるもんね。教室にくるお姉さんはみんなすごくスタイルいいから苦労はないのかとおもってた。なかには発表会前に衣装に合わせて3kg減量させるというお母さんもいた。それにしても、今回役員をしてみてバレエを習うっていうのは子供だけの問題じゃなくて親も積極的に関わっていかなければならないということを思い知った。私はそれを別に面倒だとは思わない。それは私自身ステージものが好きだということもある。娘のバレエ教室のお姉さんたちはどのこも容姿も綺麗なうえとても感じがいい。その一因は子供が好きなことにお母さんが一緒に取り組んでいるからということもあると思う。もちろん母おやだけでなく、子供のことを親も一緒に楽しんで応援してあげるということは子供の成長に大きな影響があると思う。保育園だけだと似たような年齢の親としか接する機会しかないが、バレエはいろんな年齢の親子に接することができていろいろと学ぶことが多かった。
そして実際習ってみてわかったことは、個人的な技術を磨くだけでなくみんなで一緒に1つの作品を作り上げ、集団行動を身につける訓練にもなると知った。どこまで続くかは本人次第だがとりあえず現時点で楽しんで娘が通えていることは母としてはとても嬉しい。欲をいえば、一番うまい子まではいかなくても、一番うまい子と一緒に踊れる第一グループまでなって綺麗な衣装で可憐に舞える姿がみられるといいな。

こうしてなんとか役員の任務を完了した。発表会が終わって1ヶ月くらいは娘のレッスンに私がついていったが、現在は再び(待ち受けたように)旦那がついていっている。ほかの年頃の生徒さんならびにお母さんがたにはけむたいかもしれないが、旦那もいやらしい気持ちはなく純粋に美としてバレエを愛しているのでお許し願いたい。
娘のバレエ教室はほとんどお母さんが送り迎えをしているが、最近新聞でよんだところによると、フランスではお父さんが娘のダンスの送り迎えをしてるらしいですよ!(もちろん教室までははいらないんだろうが)
私は心労がたたり、12月一杯は疲労から立ち直れず、大分つかれもとれてきたと思ったら太郎の風邪の季節が始まってしまい、1月現在低調ぎみだったりする。太郎は体調が悪いと夜なんども泣きそのたびに起きるのであまり深く眠れていない。リハーサルと発表会パパと過ごした太郎だったが、現在私はおサルの親子のように太郎をはりつけて行動する毎日だ。
別に役員になったことは後悔はしてない。
ただ、そのプレッシャーでボロボロになり今だ本調子でない自分が憎い!

そして娘が6歳になってようやくわかったことがある。自分の人生で子供を持つかどうか考えたとき、私のこの代わりのもので口下手な性格では公園デビューやママづきあいにうまく関わる自信もなくそんな私がちゃんと子供を育てられるか不安でたまらなかった。
しかし、バレエでいろいろな年代の子供を持つお母さんと接して、公園や幼稚園などでみられる人間関係のドロドロは結局みんな母親としてどんなふうに人間関係を築けばいいかわからなくて起こるのではないかと思うようになった。
今でもやっぱりママ同士の付き合いはどうしていいかわからなくでおどおどしてしまうが、それでも不慣れなのは自分だけではないと思うようになり少しだけそういう場がラクになったような気がする。娘や太郎はそんな苦痛を味わう必要のない人になってほしいなと思う。そのためにも、小さいうちからたくさんの人と接する機会を作ってあげるように努力したいと思う。

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2008/03/12

いまさらレシピ

ママじゃないとだめな太郎をなんとかなだめすかし、ようやく料理をしようという気になった私。といっても限られた短い時間でヘルシーな食材ということで根菜・ひじき・大豆を使った料理をテーマにしている。そんななかでいまさらかもしれないけど最近の発見集。

キンピラゴボウはピーラーを使うとおいしい!
ピーラーはほとんどつかったことがなかった。じゃがいももにんじんも包丁のほうがきれいに早くむける気がする。旦那はピーラー派だ。最近よくやる食物繊維でたっぷりでつくりおきもできるキンピラゴボウ。ささがきが結構時間がかかって面倒だなと思っていた。ふと思いついてピーラーを使ってみたがうまくいかない。このとき私はごぼうを手でもって使っていた。ある日旦那がピーラーでごぼうを切っていた。旦那はまな板にごぼうをおいて使っていた。
なるほどと思ってそうしてみるとすごく具合がいい。にんじんは平な歯ではなくギザギザの歯でやらないとうまくいかない。しかも1本やるのは時間がかかり、1/2本がやっとだった。仕上がりがやわらかくてよく味がしみて子供にもたべやすくおいしい。

たまねぎと油揚げの卵とじ
冷凍庫に中途半端にのこった冷凍きざみあげが残っていた。ふとおもいついてたまねぎと小松菜をいれて卵とじにしてみた。作り方は普通の卵とじと一緒でまずだし汁(ことのときは分量の水で薄めた麺つゆ)で玉ねぎと小松菜に火を通し、つぎに凍ったままの刻み油揚げをいれ火が入ったところでとき卵でとじる。うまい。

大豆とひじきの煮物に
切干大根を入れるとおいしい。ちなみに現在は大豆もひじきももどさなくていい生協の缶詰を使ってる。戻した切干大根・ひじき・大豆を油でさっと炒めたあと少量の戻し汁・砂糖・酒・しょうゆ・みりんをいれて水分が飛ぶまで火にかける。残った戻し汁は味噌汁に使う。


こんなのもあるんだね~きんぴらごぼうピーラー

Sn340592Sn340593うちのはこんなやつ

ついでに昨年10月の園外保育の弁当なんかを公開してみる。
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太郎Sn340534
娘の初めてのお弁当は2歳過ぎてからのうえ、よく食べるこだったのであんまり悩まなかったけど、むら食いの太郎は1歳半前で初のお弁当もち、正直たべるんかいな?と思っていたけど完食。
娘は4歳過ぎるまで味噌汁と野菜と魚が主たる食事でソーセージ以外の肉はほとんど興味を示さず、巷のお子様ランチのふりかけご飯とハンバーグに疑問を抱いていたが、太郎は1歳半にしてふりかけご飯フリーク。おまけにハンバーグも大好き。豚こまですらよーくしゃぶって味を楽しんでます。(で、しゃぶり倒してカスを口から出す食が細いたちらしく、おなかいっぱいになってくると味だけ楽しんで口から出すというのをよくやる。)甘い煮物とかは好きなんだけど、野菜を毎回は食べないのが困りもの。(娘は1歳当時は野菜入りの味噌汁ですべてが足りた)
最近ようやく朝5時起きでお惣菜作りだめできるようになったけど、それまではひどかった。
生協のお惣菜におんぶに抱っこだったため、餃子騒ぎの際はショック・・・。やはり手の込んだものを作れなくても素材から調理するのがよいのね・・・。(で、野菜たっぷり味噌汁と焼き鮭とかになると。)
ぼちぼち少し手間暇かけた料理も味わいたいし作りたい・・・。

最近食育とか騒がれているけど、そういうんならきちんと健康でおいしい料理を作れるように残業や休日出勤はイレギュラーな社会にしてほしいと思う。じゃなきゃ安全な加工食品を提供してほしい。(で、正規価格の食料が変えるくらいの賃金を保証してほしい。社員しめあげて低価格ってどうかと思うよ~。)

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2008/03/09

母の会でございますのよ8

ついに当日
無事おきることができた。その日はいい天気だった。私と娘は9時までに会場に入る。旦那と太郎は高岡文化ホールに私たちをおいて、今度は富山駅近くのホテルにじいちゃんを迎えに行き、お弁当を買って家に戻り早めのお昼を食べて発表会に来ることになっていた。ママ好きの太郎がパパだけで外食が難しいし、富山から高岡文化ホールの途中でちょうどいい店の心当たりがなかった。
この日一番の役員の仕事は先生からクラス分の記念品をとりにいくことだった。楽屋につくと、早速メイクを始めた。時間はたくさんあるような感じがしたが、リハーサル開始までの時間はあっという間だった。今回は教室のメイク教室のほかに、同じクラスの人で上のお母さんと知り合いの人がいてその人が個人的にメイクを教えてくれていろいろ技を教えてもらったが、とりあえず教室で教えてもらった基礎的なメイクにした。しかし、講師をしてくれたお母さんの、
「Cさんはね、そんなにがっちりしなくても顔の作りをいかしてメイクしてあげたほうがいいわよ。それよりも本番まで泣かせないのが大切。」
という言葉がとても参考になった。
中にはちゃんとマスカラも持参していた人もいたが、私はすっかり忘れていた。
やはり上のクラスのお母さんは何度も娘の顔をメイクしていていろいろとためになる話もきけて参考になった。バレエはお母さんと2人3脚なんだなと思った。そのお母さんは自前のお化粧道具をちゃんと準備していた。私も今回とりあえず茶色のやわらかめのアイペンシルは自分で準備した。上のクラスのお母さんのクラスのメイク教室は土曜チームだけだったのだが、それをみて刺激され土曜チームは自前で道具を買った人が多かったみたいだ。私も来年同じバレエ教室ならメイク道具一式そろえてもいいかなと思った。
「自分のものはなかなか買わないけど、娘もものはつい・・・。」
とみんな言っていた。やはりママはママだ。
いよいよリハーサル開始、この日も本番はCクラスさんのママは会場にはいらないことになっているのでママさんたちには客席に行ってもらった。あとで考えると1部だけでも観にいけばよかったのだが、ずっと楽屋と舞台袖入り口にいた。
でも楽しい・・・。
衣装をつけて準備する女の子たちを見ていると、ドガがバレエダンサーの絵を描いていた気持ちがなんとなくわかった。
それはもう親のひいき目を超えて芸術的に美しかった。
リハーサル・当日は他のクラスは母親は袖の立ち入りは禁止されていたが、Cクラスさんだけは1人だけ大人がくいていいことになった。子供たちが踊っている間、ずっと袖の入り口にいた。私はバレエをみるのも大好きで残念ではあったが、おもいがけずこの歳で舞台裏に入れて嬉しかった。前日・当日リハーサルでお姉さんたちのほうでも自分の連れてくる子供たちのことがちゃんとわかっていて、しかもちゃんと小さい子供の相手もできていて安心した。見目麗しくて踊りも上手な上、小さいこどもの面倒もみられてとても感心した。
この日1番の心配事は無事お弁当を取りにいけるかだった。ちょうどCクラスさんの出番と重なったらどうしようと心配だったし、もし途中で声をかえられたら他のお母さんに袖の付き添いを頼めるかしんぱいだった。一応他のお母さんにお願いすることもできて、お弁当もちょうどCクラスさんは楽屋にいるタイミングだった。そして心配していた数もきちんと確保することができた。リハーサル・記念写真撮影も無事終え、お弁当を食べた。ママの分もと思って大きめのを頼んだが、娘はぺろりと食べてしまった。ママはおやつで空腹を紛らわした。
そのときのCさんはやけに元気な子が多かった。なぜかあの丈夫なバレエタイツに穴をあける子が何人かいて驚いた。タイツで床をすべっているのがよくなかったらしい。お弁当が終わってほどなく本番が始まったのだが、Cさんの出番まで長い。子供たちに問題が起こらないかひやひやしながら出番を待った。このころになると準備しているママたちもメイクという山場を超え疲労の色が濃くなってくる。
1部が終了し、2部が始まる。子供たちのメイクや衣装が乱れたり、泣き出す子供が出る前に一刻も早く本番にが終わってほしいと祈る私。そうこうするうちお姉さんが迎えに来てくれて、子供たちは舞台袖に向かう。
私も袖の入り口についていった。すると先生が、
「お母さんも袖で見てあげてください。」
と呼んでくれた。
最後の最後で間近で娘の踊りをみた。正面ではないのであまりよくわからなかったが、でも一生懸命踊っていてよかったなと思う。ついでに先生に、
「発表会終了後に挨拶にいかせていただきたいのですが、先生は生徒さんの楽屋をまわったりされますか?」
と聞いてみた。先生は、
「終演後は楽屋にいます。」
と教えてくれた。これで、さいごの挨拶もぬかりなくできる。子供たちの踊りも終わり、いったん楽屋に戻る。
あと少しだ。再びお姉さんが迎えに来てくれて舞台袖へ、無事終わったみたいだ。子供たちを迎えに行くと興奮冷めやらない子供たちは走って楽屋に戻ってしまい、娘はお姉さんと一緒に行くと最後までお姉さんを待っていて、お姉さんと一緒に楽屋に戻った。
先生からの記念品を配り、花束受付に確認に行くことを呼びかけ、無事役員は終了かと思った・・・。
が、しかし最後の最後で教室の備品のアイペンシルがなくなっていることが判明。
同じクラスのママさんが最後まで残って探してくれた。
リハーサルや当日も同じクラスのママさんたちがいろいろ気を使ってくれてありがたかった。
私は最悪自分で弁償してもいいと思ったが、なんとなくそれは専業主婦のママさんに仕事持ち変わり者ママの流儀を押し付けるような気がして、言い出せなかった。ここは、他のママさんの流儀に従うことにした。高岡Cさんの役員さんが上のクラスのママさんにきいたところ、
「とりあえず先生のところへいって事情を話したら?」
といわれた。それを聞いて高岡Cさんの役員のママさんと一緒に先生のところに行った。高岡Cさんのママが、
「弁償でしょうか?」
と聞くと先生が、
「もう1度皆さんに聞いてみてください。」
といわれた。それを聞いた私は、
「じゃあレッスンのときにでもボチボチ聞くか。」
と思っていた。付き合いベタの私はクラスのママさんたちと携帯の番号を交換するほどは親しくしていなかった。
発表会の2日後、私は疲労がたたり風邪で欠勤していた。家の電話が鳴りでてみると、なんと高岡Cさんの役員さんからで、なんでもクラス全員に確認して出てこなかったがそちらはどうだったかということだった。体調も悪く、面倒だなと思ったがそれだけ真面目な人だと決着がつかないとおちつかないだろうなと思い、思い切って役員に配られた名簿を使ってクラス全員に電話した。幸いにも1時間くらいで全員に連絡がつき、家で発表会の荷物をかたづけてもでてこないとのことだった。そしてその日のうちに高岡の役員さんも連絡がつき、娘のほうがレッスンが先にあるので私が先生にその旨つたえることになった。
いや~、風邪とはいえ家にいるときでよかった。
もし職場にいたらなかなか連絡がつかず高岡の役員さんも私もやきもきしたに違いない。文字にするとそんなたいしたことじゃないかもしれないが、人付き合いベタの私にとってはかなりの試練だった。翌レッスンでそのことを伝えると案の定先生は、
「そうですか。そのとき別のクラスも一緒の楽屋だったので、そのクラスにもきいてみます。弁償はしなくていいですよ。」
と笑顔でおっしゃった。
そうだよな~、私もたぶんそうするもん。
どうせ備品に損失は最初から想定されてるだろうし。
でもみんなで使うものに対して使う人みんなが責任をもって最後まで誠意をもって対応するのは当たり前か。もし全員で弁償することになったら、また普段は会わない火曜日クラスの人に連絡と集金をしなければならないかと思うと正直ブルーだった。だったらもう皆が知らないうちにアイペンシルぐらい私が買ってかえしますというのが私の考えだった。
いやいや、一緒にいる人たちに合わせるのも人として大切なことだ。

つづく

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2008/03/05

やってみそ

友人のブログにつられチャレンジ

はりま
チミに足りないものカード
はりまの足りないものカード
by ふりーむ! 無料ゲーム/フリーゲーム


ふ、どうしてそれを・・・・。
2次会?子供が生まれてからは長らくご無沙汰だね~。

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2008/03/02

母の会でございますのよ7

おじいちゃんとご飯
前日リハーサルが終わり、父の携帯に電話すると、
「じゃあ着くまでホテルで待ってます。」
ということだった。無事富山に着いていてほっとした。
お店は「銀鱗」を予約した。1週間前で個室はとれなかったが、座敷の席を予約できた。太郎も小さいし、夜に行くのは初めてだったので不安だったが、おいしくて楽しかった。とくに太郎の料理はとらなかったが、お気軽懐石の料理をおいしそうにガツガツ食べた。役員をしていることもあって気ぜわしかったが、夏は太郎が肺炎になってしまっていけず、久しぶりに孫たちにあえてじいちゃんも嬉しそうだった。お店はすごく混んでいた。予約していてよかった。
さすが懐石だけあって、ゆっくり料理がでてきて、最後太郎が暴れそうになり焦ったが無事食事を終えた。おじいちゃんがおみやげをおいていきたいというので、すこしだけ我が家によった。旦那の出張とバレエの発表会のどさくさで家は荒れ放題だった。じいちゃんは娘と太郎に服と本、そして娘のランドセルの注文用紙をおいて、車でおくるよといったのだがホテルまで歩いて帰っていった。父は私が子供のころは典型的な九州男児かつ関白亭主で家族のことは父なりに思っていたにはよくわかったが、よく話す中のいい親子とはいいがたく、子供のころは家庭にを省みないということで文句たらたらの母の味方だった。旦那ではなく私の父ということで旦那と父お互い楽しく過ごせるかと心配だったが、楽しく食事ができるか心配だったが本当に和やかで楽しい時間だった。
明日はいよいよ発表会だ。
無事起きられるいいのだが。
やっぱりドキドキしてなかなか眠れなかった。

つづく

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