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2008/11/01

そんななか私を支えたものは・・・

転勤・引っ越しのストレスで、私は何度もamazonでワンクリックしていた。まずはチーム・ナックスの一番新しい公演DVD。そのころの私はすでに大泉洋さんのファンいわゆる子猫ちゃんではなく、音尾琢真さんのファンいわゆる小魚ちゃんになっていた。(音尾さんが魚のように目が離れているため、彼のファンは小魚といわれるらしい。)
期待の眼差しで、フジテレビ「暴れん坊ママ」を見ていたものの、日テレ「ハケンの品格」の安田顕さんのように毎週コンスタントにはでてくれない音尾氏に一喜一憂を繰り返していた。しかし年明けからは日テレ「ボンビーメン」とりあえず毎週テレビでみることができる上、インターネットの「白いボンビーメン」をみることが私の大きな喜びだった。毎日子どもと仕事と家事に翻弄され、唯一の心の潤いだった。
何が好きって、高校時代新体操で鍛え上げたボディーといかにもスポーツマンらしいまっすぐな感じがいいです。やっぱり本人はわかくてきれいなお姉さんのほうが好きに違いないが私の妄想の中の音尾さんはいつも優しくまっすぐに私を励ましてくれのだ。(きゃっはずかしい。私の現在の生活はこれぐらいの妄想がないとやっていけないくらいつらくて厳しいのだ)
しかし、そんなものではあきたらなくなっていた。
ああ、もっと音尾さんを拝みたい。
もうチーム・ナックス最新公演DVD「HONOR」を買うしかないだろう・・・
ワンクリック
そして届いたその作品、なんかね~、音尾さん以外にも様々思いが自分のなかを駆け巡った。チーム・ナックスは森崎博之さん、安田顕さん、戸次重幸さん、大泉洋さん、音尾琢真さんという大学時代の演劇研究会で知り合った5人で立ち上げた劇団だ。もちろんレベルなんかくらべものにならないけど私もまた高校時代に演劇をやっていて、そのときのメンバーが6人。私たちは全員女子だったし今はその全員であうことはほとんどないんだけど演劇をやっていた自分を思い出させた。もちろん高校の演劇なんておままごとみたいなものだけど、三つ子の魂といわれる保育園時代保育園でみた子供向けの劇を見て、
「私は劇をする人になる。」
と思った自分からみるとそれを実現し、また多くの人々に認められているというのはとても眩しくそして複雑な思いで見た。割とコアな人たちからの支持をうけているのかと思ったが、公演規模が想像していたよりずっと大きかった。北海道という自分の拠点を大切にするというただの村おこし的なものだけでなく、彼らなりに表現したい人として大切な何かも感じることができた。私はもう演じる立場にたつことはないだろうけど、演劇には観客が必要。応援していきたいなと思った。実はもう1つ応援したいと思っていた劇団があった。なんと高校の時の演劇部の先輩が制作部門にいて富山の公演では名前がでていた。直接連絡とるこはできず、とりあえずその公演をみたのだが改めて演劇のおもしろさを知った。私はちゃんとした演劇よりも宝塚とかミュージカルとかエンターテイメント重視の作品のほうが好きだった。が、その演劇をみて演劇が文学の延長線上にあると感じた。改めて演劇の奥深さを知った気がした。高校の演劇部のとき、その制作部門に所属している先輩に当時私がもっていた演劇の概念を馬鹿にされたっぽいことがあった。当時は
「なにを~。」
と思ったけど、当時先輩はすでにこういう世界を知っていたのかな?
改めて
「やっぱ演劇の世界って好きだな。」
と思った。引っっ越し準備の最中にその劇団の後援会的なものの案内がきた。
東京に引っ越したら加入してもいいなと思っていた。
やっぱり演劇の中に入って活動するのは不可能だけど、そういう人たちを応援する立場もいいなとおもったからだ。どたばたと慌ただしく時は過ぎ、久し振りにその劇団のホームページをのぞいてみると、その先輩が退団していた。とうとうその先輩の消息がわからなくなってしまった。
今はどうしているんだろう?
私は過去の知人たちはよほどのことがない限り永遠に私の知っている人だ。でも私が過去の知人が永遠に知人であってほしいと願う人もいればいつまで過去の人間とは関わりつつづけたくない人もいるだろう。
もしかしてこの先輩もそうだったのかな?
今はどうしているかわからないけど、高校の演劇部で一緒にいたなかでその後もちゃんと演劇の世界にあり続けた人は先輩だけ。すごいなって思ってました。
さて、話をチーム・ナックスに戻すがこの劇団だけでなく、この劇団の人たちが所属している事務所がまたすごい。
オフィス・キューという事務所なのだが、チーム・ナックスのメンバーと同じ大学の演劇研究会出身でもともとタレントでもある人が社長もやり、やっぱり今でもタレントっぽい活動もしてるし映画も撮ってるというすごい人だ。
ご存じの方も多いと思う「水曜どうでしょう」でおなじみ鈴井社長だ。我が家はこの鈴井社長はじめオフィス・キュータレントが多数出演しているHTBの「水曜どうでしょう」ならびに「ドラバラ」に激しくはまっている。何がいいって北海道にこだわりあるものだけで効率よく盛り上がっているのがたまらない。けっしてお金はかかってないが(たぶん)それをまさにタレントのタレントたる才能でもりあげている。最初は、
「この人たちいったいだれ?」
と思っているが気がつけば出演タレントと製作者の力に魅了されている。私は茨城県と千葉県の片田舎でしかも地元の人ではなく、両親ともに九州出身という境遇で育った。だから自分の出身地に興味も愛情もなく、いつも
「早くこんなになんにもない田舎じゃなくて何でもある東京で暮らしたい」
と思い続けて育ってしまった。そもそも国の事業として無理やり作られた工業地域にその中の工場くために移り住んできたということもある。文化のようなものはあまり感じられなかった。だからもっと魅力のある土地に住みたいという思いも強かった。就職試験を受けた時、
「転勤もありますけど大丈夫ですか?」
と聞かれたとき全く抵抗はなかった。というのも、就職する時点ではたぶん自分は家庭を持つことはないだろうと思っていて、だったらいろんなところに住めていいじゃんくらいにしか思ってなかったし、万が一結婚できてしまったら昇進をあきらめて転勤を断ればいいじゃんくらいに思っていた。
当時女性の少なかった技術職で
「女だからって男に劣るものはない。」
と信じていた私は、就職してからも転勤を希望し2年後には転勤の話がきて仙台に住んだ。しかも仕事の内容上赴任期間の3年で東北6県すべてに足を踏み入れ、各地の魅力のすばらしさに感動した。
でも若い人は東京に出て行ってしまうんだな。結局この転勤で、どだい女が男と同じことをしてみても劣るのは当たり前だし自分はその仕事にすべてを注ぐことはできないと悟り、しかも先輩に飲むたびに「女性に来られて迷惑だ。」と責められ心身ともにすっかり弱り就職してからなぜか私のこと好きだといっていくれる危篤な人と結婚を決意し、もう2度と転勤することもないだろう転勤するなら同じ職場で同期の旦那を差し出そうという気持ちだった。
ところがだ、娘が生まれて育児休業が明けてすぐ旦那へ東京への出向の話がでた。じじばばの育児協力はあてにならず、初めての育児で不安だった私には旦那が東京に出向し深夜まで帰らない環境で仕事するのは考えられなかった。だが、仕事をやめることは全く考えなかった。
旦那1人の出向を断ったら一家で富山に転勤することになってしまった。富山もやっぱり都会の一流大学にいった若者たちは都会に行きっぱなしになっていた。でも東日本で育った私にとっては目を見張るような楽しいものが山ほどあった。
どうして、どうしてこの魅力をもっと全国にアピールしないんだろう?
それが不思議でならなかった。
だからオフィス・キューのように地元にこだわり全国区でもまけない魅力を発信するできるのはすごいと思った。HTBのように小規模ながらも人を虜にする魅力を発信できる力ってすごいなって思った。景気が悪くなって以来地方は暗い話が多い。
だからといって都会を目指すのではなく、逆に地方から発信していく元気が必要なのではないか?
HTBの
「ユメミルチカラ」
というキャッチフレーズがとても好きだ。(今は違うみたい)
私はというと結局富山を後にして東京23区の住人になってしまった。旦那の出身地なのでしょうがない。
これから綴り続けるが5歳と1歳の子供を連れての大移動はかなり過酷で、しばらくは旦那を単身赴任させてもひとところに落ち着きたい心境ではあるが、いろいろな土地のいろいろな魅力に触れるのも捨てがたい。そんなわけで私はオフィス・キューを、チーム・ナックスをそしてだれより音尾琢真さんを応援するのである。
音尾さんは単に煩悩によるものではあるのだが・・・。
いい歳して困ったもんだ。

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