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2008/11/15

富山最後の夜

翌日は旦那は午前中出勤、私は1日休暇をとって部屋の掃除だ。翌日の荷出しのつかれで体力を消耗し、朝なかなか起きられずだんなの出勤時間ギリギリになってしまった。予定では娘を保育園において、旦那はアパートに戻りアパートから出勤する予定だったがそんなことをしていたら大遅刻してしまう時間になり、旦那は保育園から出勤していき私が娘と太郎を保育園に送りそして車でアパートに戻った。明日から4月といっても暖房器具のないアパートの部屋はものすごく冷えていた。まだガスはついていたのでお湯を使って掃除をすることにした。金曜日にやり残した日報の集計はやり残したままだった。そのときは3時くらいに出勤して職場でしあげるつもりだった。荷物の運びだされたあとの部屋はものすごい埃だった。今までこんな埃の中でくらしていたかと思うとゾッとする。それでもこれまではだいたい3年から5年で引っ越しを繰り返したからそのたびにクリアされてきたがこれからはそんなこともなくなるはずだ。毎回のことではあるのだが、今回も
「今度こそ整理整頓で清潔な暮らし。」
を心に誓うのだった。
まずは押入れのなかの埃を掃除機ですい、そしてぞうきんがけをした。1人でやると意外と時間がかかる。押入れが終わり、床に掃除機をかけ床をぞうきんがけ。そこで内装業者の人がやってきた。管理人から風呂の壁の塗り替えとふすまの交換を言い渡されていた。が、業者が今日入るとは一言も聞いていなかった。そのときまだ風呂の掃除は終わっていなかった。しかしきてしまったものはしょうがない。お願いして掃除を続けた。床は割とすんなり終わった。午前中に窓は終わらせたい。実は我が家、富山在住中窓掃除というものを1度もしていない。年末年始は必ず帰省の我が家は大掃除をしていない。そして富山は冬は雪が降りそれ以外の季節も雨の日が多い。太郎が生まれてからは日々必要最低限のこともままならない状態にあり、当然窓掃除には手がまわらなかった。
なので窓とさんを掃除するのにはものすごく時間がかかった。昼までの予定がなかなか終わらなかった。まだ風呂場・お手洗い・台所というこれまた日頃のよごれが積み重なった手ごわい場所が残っていた。超旧式でタイルでできた水回りは掃除する気力を失わせる。寒さと後悔でブルーになりがちな気持ちを慰めてくれたのはLet's NOTE君だった。彼には山ほど音楽が入っており、その音楽を再生しながら掃除に励んだ。
ありがとうLet't Note CF-W7。
本当は太郎のいないところでビシバシブログを更新したくて買ったのに・・・。
なぜかオーディオになっている、やや気の毒なLet's君。ああ、早く彼をホットスポットデビューさせてあげたい・・・。
窓掃除がなんとか終わりそうなころ、旦那が仕事から戻ってきた。
なんと、彼の部下である非常勤さんからお餞別のプレゼントを頂いていた。愛されてたんだね~。我が家ではカラテカと呼ばれていたハキハキとしていてパキパキと仕事をこなすよい非常勤さんでした。ほんとうなら昼御飯を食べにでている時間もおしいのだが、年も年なので食事はきちんととらないとまだまだ続く引っ越しに持ちこたえられない。とりあえず4月からはやめて転職する彼女のきょうのうちのお礼をしなければならない。そしてすでに腰痛にやられている旦那お気に入りの塗り薬とリポDもほしかった。富山ではさんざんお世話になったアピタに向かった。
必要なものを購入し、お昼のケンタを買って部屋に戻り、昼食をすませリポDを飲み、再び掃除にとりかかる。その時点でその日職場に出勤して日報の集計をすることをあきらめた。なんとか夜と4月1日ですまそうと思った。
再び掃除を始めたのが2時過ぎ。やっぱり台所と風呂場とお手洗いは結構骨が折れた。その日は職場の送別会もあり、なんとか掃除を終えたのは送別会ギリギリ間に合うか間に合わないかという時間だった。疲れないように余裕をもって臨むつもりだったのに早くも体力の限界にチャレンジする結果となってしまった。大急ぎで保育園にお迎えに行くと、チームママ茶の1人パパは同じビルで働いているというママにあった。もうすっかりテンパっていたためやっぱり気の利いたことは話せなかった。つきなみにお別れの言葉をいったところで、娘が1歳のとき耳鼻科であったママともあった。話しているうちに泣きそうになり、それまでは普通に話していた私も思わず涙が溢れそうになったしまった。
やはりつきなみな言葉しかいえず、急いでもいるので慌ただしく分かれ、太郎を迎えに行った。太郎の担任の保育士さんのベテランで子供と同じ目線で和気あいあいとするタイプではなく、大人としてきちっとさせたいというタイプのほうの保育士さんが残っていて、最後のバイバイで涙ぐんでいた。太郎がその保育園にきてお世話になったのはたった半年だったのだが、太郎だけではないとはいっても大切に思ってくれていたのだなと思った。子供たちのお迎えが終わると大急ぎで送別会の会場に向かった。
キッチン牛島という店で、以前にも職場の飲み会をやっていた。飲み屋さんというよりは古き良き洋食をだすレストランという感じなのだが、夜も予約で宴会を受け付けてくれる。食事はやっぱり居酒屋系というよりは丁寧に作られた和風コース料理がでる。冬のときはカブのポタージュがでてやはり一緒に連れてきていた子供たちが喜んで飲んでいた。やさしい味のお店だ。
職場から近いため、ランチにもよくいっている人がいるがそばにある他の会社からも大勢ランチにきている。6時から始まる宴会はすでに始まっていた。席についておいしいご飯を食べるぞといきごんだのだが、昨日まで体調が悪かった太郎の機嫌が激悪だった。抱っこで席に座っていることもままならず、すこし自由にさせたら機嫌がよくなるかなと思ったのだがなかなか彼の機嫌はよくならなかった。席から離れたところにいると事務で働いている非常勤さんがやってきて、なんと私と子供たちにお餞別をくれた。小さい子供を連れて富山にやってきていろいろなことでいっぱいいっぱいで非常勤の女性の方々とはあまり積極的におつきあいはしなかった。非常勤の方たちが私より若い独身の人だったり、最近3年雇用の非常勤も人数が増え最初に一緒だった非常勤さんの中で派閥ができていたりして付き合いに苦慮する部分があり、最初の非常勤のグループが代わってしまってからは積極的に非常勤の女性の方々のグループにかかわらないことにした。富山にいる5年間、非常勤の女性の方たちに困ったな~と思うことは何度かあったが皆それぞれによい方たちだった。どんなにいい人で仕事ができても3年でやめてもらわなければならないのは非常に心苦しかった。そんな中で事務に来ていた非常勤さんはいつもよく似合うすてきな服をきてきていて、明るくて事務むきなきちんとしている人で年齢も近いこともあり結構話したりした。
私は非常勤を含め部下や同じすべて同じ仕事をする人と一緒になる仕事はしていなかったため、なかなか話す機会もないのだが、その非常勤さんとは割と話す機会も多かった。でもまさかお餞別までもらうほどではないと思っていたのでとてもうれしかった。最後なのでいろいろな人にお礼をいう席だったのだが、あいにく太郎の機嫌は一向に直らず、
「あっちくの。」
といて出入り口を指さす。これはもうだめだとお暇することした。その日は雨がふったりやんだりで、夕方は強い雨が降り出したが、帰るときはちょうどやんでいた。送別会ではほとんど食事を食べることができず、宿のそばのコンビニで太郎におむすび、自分におむすび弁当を買って帰った。宿の部屋にもどり落着きを取り戻した太郎は非常勤さんにもらったサンリオキャラクターのケース詰められたチョコをなぜか皮だけ剥いては私に私、私はそのチョコを食べるはめになった。ふだんはチョコ好きな太郎がその日はまったく食べようとしなかった。やっぱり疲れていたのだろう。ややしばらく遊ぶと太郎は寝始めた。お、これはラッキーというこで、Let's君を立ち上げ、日報の集計を終えた。
すごいLet's note CF-W7!
日報の集計終えてしばらくして旦那と娘が帰ってきた。翌日も定時に出勤して辞令をもらわなければならない。
子どもたちはすでに保育園にはいけないので、子供たちを連れて出勤だ。予定では宿に入った後はのんびりすごすはずだったのにね。疲労は蓄積する一方のままだった。それでも私は明日、飛行機で東京を目指せるが旦那は娘とともに車で東京を目指す。私もつらいけど旦那はもっとつらいだろうなとおもった。だが東京にさえついてしまえば引越しの手続きなどのために休暇がとれる。それまでのがんばらねばと自分に言い聞かせた。

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