2005/03/25

平井堅「SENTIMENTALovers」にはまる

お友達のおーばさんもはまっているらしい。(今は鈴木氏か?)最初ヒットしたときは「ふ~ん」て感じだったけど、「うたばん」で松田聖子ファンということではじけた姿をみて好感がもてた。別に松田聖子ファンというわけではなく、いかにも実力派な感じなのにアイドルが好きっていうのが親近感だった。いかにもなLove Songだけじゃなく「Strrowberry Sex」みたいなちゃらけた曲をリリースしてさらに好感度アップだった。曲もいいし、歌もいいけどCD買うほどじゃないなと思ってた私がCD購入のきっかけになったのは紅白で「瞳を閉じて」を聴いてだった。
紅白の当日、義父の告別式だった。旦那の父上だ、もちろん尊敬している。でも世代の違いが大いにあると思うのだが、義父に対して人間としてどうしても納得できないことがあった。それが原因でかなりきつく怒られたことがあった。
今にしてみるとそんな義父の厳しさが私をものすごく成長させたのだと思う。他にもいろいろあって、義父の死に対して純粋に悲しい気持ちにはなれず変に冷静な自分がいた。葬儀のこともあった。血のつながりのある家族は間違えなくショックに違いない。喪主の配偶者ではないにしろ、血のつながりのない私は葬儀がとどこおりなく行われるようサポートしなければならないと意識的に感情を殺していたせいもある。とにかく年の瀬もおしせまった急の出来事でそれくらい気をはってないと肉体的に乗り切れ無かったと思う。3歳になったばかりの娘のこともあった。葬儀の妨げにならないのはもちろん、娘が理解できる範囲内でおじいちゃんの死をきちんと受け止められるようにしてあげたかったし、おじいちゃんがいたことを覚えていてほしかった。
納棺のときはさすがに泣けた。でも葬儀は娘のこと、葬儀の進行のことそれに直接関わる旦那の疲労が気になりやっぱり悲しみを感じる暇はなかった。ただ1つだけとても強く刻まれたのは、自分と関わりのある人の生きてる姿に2度と会えないのが世の中で一番悲しいことだということだ。親戚づきあいも近所づきあいも母親の方針でほとんどなかった私には身近な人の死の実感というものがそれまでほとんどなかったせいだ。だから失恋はつらいんだろうなとも思った。
葬儀の終わった大晦日の晩、平井堅の「瞳をとじて」の歌詞が私のそのときの気持ちにぴったりだった。いえ、別に義父に恋愛感情はなかったです。でも大切な人を失ったときの気持ちをうまく表現した曲だなとこの曲をとても身近に感じた。

富山に戻りこのCDを買った。「瞳をとじて」だけ聴ければいいやという感じだったけど、もう1曲私の心に響いた曲があった。
それは、「君は友達」。義父の葬儀から数週間して、古い友人との間に大事件がおきてしまった。原因は私の旧友に対する甘えだったんだと思う。いい年して大人げないのかもしれないけど、私にとって友達とはこういう存在です。それが相手にとってもいいことかどうかはわからないし、過去の共有したつもりでもその後相手がかわってしまうこともあることはすっかり抜け落ちていた。
でもその一件ですごく傷ついた私にはおーばさんのブログで見た「リアルフレンド」という言葉はすごく心に響いた。

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