はじめに
そうそう、私最近某塾長にカラスに変身させられたことがあり、尊敬すべきお姉さまや心優しい友人のおかげで無事もとに戻ることができたんですが、このカラスキャラが結構気に入ってしまい、最近自主的にカラスに戻っては飛び回ってます。
で、私の出身校に詳しい同報のカラスから、「翻訳物」の「全集の中」の「すっごい性描写」の本は「文学史に残る発禁になった」「チャタレイ夫人の恋人の初版」ではないかという情報をゲットしました。ちなみにこの高校、私はぎりぎりのマグレ合格なんですが、優秀な方の多い学校なんですよ。かといってピリピリした雰囲気もなく(私だけか)、田舎の進学校でのんきでよい学校でした。
高校2年の11月、げきぶの県大会も終わり修学旅行も終わって、本格的に大学受験勉強を始めた。
そのときは国語の勉強だといって本を読んでいた。でも実際その月1冊でも本を読んでいると国語の成績があがり、「本なんか読んでないで勉強しなきゃ。」
と思って勉強したときの模試の点数は悪かった。それが分かってからは「読書も勉強の一貫」と思うようになり月1冊は本をよむことにした。
地誌の勉強になりそうだと椎名誠の「インドでわしも考えた」読んだ。怠惰でしょ?当然地理の勉強にはならなかったが、きどりのないおもしろおかしい文章にすっかりファンになってしまった。
それと国語の模試で抜粋された小説などを読んだりもした。印象に残っているのは遠藤周作「海と毒薬」手術に失敗してどんどん患者の様子がおかしくなり、生命が途絶える瞬間が鮮明に描かれていて、3日ぐらい衝撃からのがれられなかった。ちょっとした手違いで本人はわからないうちに命が消えていった瞬間を本当に見てしまった気もちになった。親戚づきあいがなくって私にとって人の死があまり実感がなかったせいもある。
そして高樹のぶ子作「光抱く友よ」最初に模試で読んでものすごい衝撃を受けた。人の微妙な心の動きをここまで鮮明に表現できるのってすごいなと思った。この作品に出会って、私は積極的に本を読むようになったのだと思う。自分の中のもやもやっとした感情をきちんと文字にしてある、そういう作品に出会うと自分の心のなかがきちんと整理されるような気持ちよさに目覚めた。だが、この作者こそが後にエロの道へと私をいざなうのであった。
休み明けの校内実力テストの国語は百人一首が終わると文学史が課題だった。文学史を読むのも好きだった。(が、まじめに暗記しなかったので成績はあんまりよくなかったんんじゃないかな。)でも以外と評価されてる作家や作品って色恋沙汰で自殺未遂を繰り返したり、家政婦さんで欲望満たして医者資格のない人に中絶させて瀕死にしたあげく里に帰してしまったなどとあらすじを読むにつけ、「私は文学は極められないな。」と感じた。国語と地理と生物は得意だった。(英語は暗記がだめ、数学は計算ミスが多いのと、短時間でどんどん問題を解くというのが苦手だったし、その解法を自力で考え付くことができなかった。)で、自分に自身をつけるため、国語だけはレベルの高い大学向けの問題集を解いてみたりした。過去文の出典の随筆文・論説文の内容が濃くてすごく楽しかった。そしてこの得意科目の中で初めて知った仕事に就くことができた。きっとそんな風に楽しいくらいにしか勉強してなかったから受験に失敗したのだろう。それでもそのときの自分にできる限りのことがやったからそれはそれでよかったと思う。ただ、もう少し自分の知りたいことをじっくり学び考える時間がほしかった。(エロではなく)
母親からみっちり「容姿はいまいちだ。」とたたきこまれた私は、「こうなったら愛嬌で生きていくしかない。」といつのころからか思いはじめており、「結婚して幸せになる。」ということには多くの期待はできないなと感じていた。だからなんとしても結婚しなくてもなんとか生きていける仕事につきたかった。結局短大英語科に進学した私は打ちひしがれた。最果ての地この町から一生でられないかもしれないという予感が、いっそう私の心を暗くした。その田舎町で常識とされている、「とりあえず結婚して子供を産んで専業主婦になる。」などということは私にできる自信がなかったからだ。その時そんな絶望から逃れたい一心で読んでいたのが、椎名誠だった。男らしくユーモラスでありながら繊細な文章の椎名誠の私小説を読んでるときは絶望から解き放たれた。本は文庫になるまで読まない主義だった私もこのときばかりはハードカバーを買いあさった。椎名誠の本はそのころまだほとんど文庫になっていなった。椎名誠に救いを求めるあまり夢までみてしまった。それから椎名誠は私の理想の男性だったが、就職してある椎名誠を特集した雑誌に私とほとんど年の変わらない娘がいることを知り、のけぞった。
この理想像が現在の旦那につなっがっていたりする。椎名誠の他に高校時代衝撃を受けた高樹のぶ子も呼んでいた。短大時代は電車通学だったので、その時間を利用して本を読んでたりしたが、本社がI県T市にある職場に就職してからは車通勤のため本はほとんど読まなくなった。再び読書量が増えたのは仙台に転勤になり、1週間単位で現場に出張にでていたため、その期間は暇つぶしに本を読んでいた。
椎名誠・高樹のぶ子のほかに藤堂志津子や鷺沢萌・谷村志穂などを読み出したのもこのころだ。「葉桜の里」を読んで、「ああ、この人の感性って共感できるな。」って思った。そしてこんな風に感じたことをだれもがわかるようにそして感動できるよう表現できるのが小説家としての才能なんだろうと思った。最近思いがけない年齢でこの世を去ったのは残念だ。藤堂志津子さんは大人の恋愛がテーマの小説が多いが、あるときエッセイを読んだら友人Kさんのような人だと思い、さらに親近感がわいた。。
この頃から高樹のぶ子さんは既婚者の恋愛にテーマが移ってしまい当時大人の女の恋愛にはそれほど興味のなかった私は自分と同じ世代の微妙な心の動きを表現した文章に心惹かれた。その頃の高樹のぶ子さんの作品で、三角関係の末結局結婚した妻の夫が謎の死をとげ、責任を感じた2人とは友達関係だった男がダイビングでわざとチューブにヒビをいれて自殺をはかり、水中で死んでいく様を描いた物語を読んで以来、「ダイビングをやってみたい。」という気持ちはなくなったとさ。
女性のほとんどいない職場で、巷の女性たちがどんな恋愛をしてるか探ることがもっとも大きなテーマだったにのと、割と女らしさにかける私も、さすがにほんとに女の常識が通じない世界のストレスのはけ口をいい意味でも悪い意味でも女らしさに救いを求めていたのだと思う。だが、感受性の共感を求め作品を読み続けていると、気がつくとテーマが恋愛になっていた。美術の世界も名作と呼ばれる作品は人間の生まれたままの姿が多くのこされている。つまるところ芸術の行き着く先はエロスなのではないか?そのとき薄々気がついてはいたのだが、でもそれでもなお、人間のみが動物のなかで唯一理性を持ち合わせた生き物だと思い、人間に何より必要なのは理性だと信じていた。
男性が女性にもてる気持ちが恋愛感情しかなかったら、私がそれまで女性がほとんどいなかった職場で一生働くことはものすごく無意味なことになるような気がした。このときはかなりの量本を読んでいた気がするが、マンガのように読み捨てていたため、作品名まで覚えているものもほとんどない。
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