2008/11/26

というわけで

どうするか悩みましたが、こんない~加減な管理なのですが、「プロ」にしました。お金さえ払えばなれる「プロ」。
東京での生活は以下ページで更新します。
首都圏のはりまはkonnakanjiなのだ
T県まだ少しだけネタにしたいことがあるのでもしかすると更新するかもです。そのときはまた新ブログのほうで告知していきたいと思います。(たぶん・・・。)
おそらくは私の知人しかみていないだろうマイナーなブログですが、引き続き東京での生活も楽しんでいただけたら嬉しいです。(楽しめるのか?)

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2008/10/11

お久しぶりでございます

私は今、T県を離れ、なんとT都におります。4月に引っ越して早半年。太郎は公立の保育園へ、パパも卒業した地元の公立小学校の1年生となり、旦那は出向先で夜9時前に帰ることはざら、私は勤務時間を早出にしたため4時半には逃げるように職場を後にする毎日。でもその分私は朝は7時には家をでるし、昼休みは30分で食べるのはもちろん、買いに行く時間もないのでお弁当持ち、さらには前任に
「窓口のことは外注さんにまかせれば大丈夫だから。」
という引き継ぎだったのだが、異動して2ヶ月後敏腕外注責任者が異動きたのはへなちょこ責任者、監督の私も負けないくらいへなちょこなので苦悩の毎日です。半年もたつというのに、職場も家の中も日々綱渡りのいっぱいいっぱいな毎日です。
自分のことだけでなくついに小学生になった娘、少しはしっかりするのではないかという期待とはうらはらに、小学生として必要最低限の生活をさせるのに日々叱咤叱咤叱咤です。怒るだけではいけないとわかたっていても、怒ることしか目につきません。とりあえず登園すればよかった保育園と違い、勉強や勉強以外のことも身につけることが主たる目的になるのまもちろんのこと、母親も働いているということで本来なら午前中で帰る時間割でも5時すぎまで集団生活、疲れないはずがない。そんな環境で新しいことをさせるなんてそりゃ無理なことと思いつつ、それでもそうするしかないことに対する申し訳なさ。その上常に完全燃焼の娘は小学校の新しい生活で消耗、さらに学童で完全燃焼、あんたにゃセーブモードってもんがないのかとあきれる日々が今も続いてます。
ネタはつきないのに、2歳になった太郎は甘えたり反抗したりでPCに触ることができず更新もままなりません。嗚呼、せっかくタイマイはたいて買ったモバイルもできるレッツ君が泣いている。そんなわけで、しばらくはT県ネタが続きます。T都ネタを更新するにあたり、いよいよココログプロするのかはたまたココログプラスのまま乗り切るか思案中です。
でも、でも、これからはマメに更新したいな~。

それでは時を遡り年明け、ついにT県を離れることになったはりまのいきさつをお楽しみください。
(とりあえず、週2本ずつ更新できるといいな。)

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2007/07/07

旦那は2泊3日で出張へ

旦那が福井に出張にでた。復帰後初の出張である。旦那が出張の日は休暇をとって1時間早く帰ると決めていた。通常の帰宅時間で1歳児をかかえて保育園の洗濯物をかたずけ、風呂に入れ、食事を作り食べさせ子供の寝るべき時間までに就寝する自信がなかった。朝もちゃんと就業時間に間に合うか自信はなかったが、早く帰宅するのだから朝は何とか間に合わせようと心に決めた。
旦那の出張中はどうも雨が降りそうだった。でもどのみちベビーカーで行くしかないので一緒か。布団を持参する月曜日は旦那も一緒に保育園に行けた。夕方いつもより1時間ほど早く保育園に向かう。まず年長さんの娘を迎えに行く。娘は年齢別にわかれて教室にいた。お兄さん先生がけん玉やこまで遊ばせていた。このお兄さん先生は手品や皿回しも上手だと娘が以前教えてくれた。縦割りクラスでは担任してもらったことがないので、あんまり話したことはなかったのだが、この日は、
「手品や皿回しが上手だってききました。」
と声をかけると、
「けんだまや駒で遊ばせて、何度も練習してできる喜びを覚えてほしいんです。」
と語ってくれた。娘がこの保育園にはいったときは本当に学校でたてのお兄さんという感じだったこの先生も、年々保育士としての貫禄がでてきてとてもたのもしい。私は男性の多い職場にいたため、この保育士という女性の世界でがんばるお兄さんもいつも心の中で応援していた。年中さんともなると、エネルギー全開の子供たちの遊び相手をしたり制止したりするのはやっぱり男の人の方がいいのではないかなと思う。小学校もそうだが、未就学児の集団生活の場にもやっぱり男性の指導者は必要だと思う。とくに男の子は子供のうちにきちんとエネルギーを爆発させておかなくてはいけなくて、それをコントロールするのに大人の男の人が必要なのではないだろうか?女の子だって年長さんともなると体を使って遊んでくれるパパが大好きだし、力の加減をしらない年頃なのでもともと体力がない上30過ぎて子供を産んだ私はげっそりすることがある。その後娘の保育園では男性の保育士さんが増えないことを私はちょっとだけ心配している。
太郎はその日保育室に行くと姿がみえなかった。私はみえなかったのだが、娘によるとベビーベットのかげて同じクラスのお友達といたらしい。ようやく慣れたようでひと安心だ。保育士さんにもその日は保育室の遊具やおもちゃで遊んでましたといわれた。
帰りは太郎はベビーカーを拒否。抱っこで帰った。やはり保育園でそうとう我慢しているんだろう。家につくとまずシャワーを浴びる。最近暑くなってきて疲れるのか、娘はよく7時すぎに寝てしまいシャワーを浴びずにねてしまうからだ。シャワーを終え、保育園の洗濯物を洗濯機にかけ食事の支度。その日はレタス焼きそばとかぼちゃスープ。以前は食事の支度のときはDVDをかけっぱなしにしてお茶を濁していたが、テレビを見せっぱなしはどうかとおもうようになった。子供用の包丁を買って、少し野菜を切ってもらうようにした。そんなに難しいことだとは思ってなかったが、やはり年長さんには皮をむいたり薄くきったり細くきったりは難しいらしい。そのひ大きくきっても問題ないレタスを切ってもらった。(手でちぎったほうが早い?)まあそのうちうまくなるだろう。
そのときまでちゃんと付き合おう。娘だけじゃない、太郎にもおおきくなったらやってもらうつもり。そんな娘だが最近は週末掃除をお手伝いしてくれる。台所の流しを洗って床ふきをしてくれる。ただお手伝いっていうより自分が楽しいからやっているのがたまにきず。でもそれで掃除の習慣がつけばそれでいいのだ。
最近太郎は保育園から帰ると1度寝る。やっぱり保育園は疲れるらしい。先週も先々週も週の後半は熱をだしてしまった。その日は9時半くらいに寝てしまった。翌日起きられるか心配だったが、6時までには起きて燃えるゴミを捨てにいった。朝ごはんは昨日の残りの焼きそばとかぼちゃスープ。出張期間中はずっと雨かと思ったが、なんとかふらずにすんだ。
娘に、
「太郎の支度がすんだら行くから先いって準備していて。」
といった。
太郎は保育園についたら、お手拭3枚とお手拭をいれるビニールバックと帰りのおむつとノートと着替えの補充を所定の場所にいれ布オムツにしなければいけない。娘の教室は2階にあって、シール帳にシールをはって連絡帳を所定の場所にいれタオルとコップとはぶらしを所定の位置におき手洗いうがいをして別室にいかなければならない。初日、太郎の準備が終わって2階に行くと娘はすでに教室にはおらず、すべての支度を終え別室にいた。
最近びっくりするくらいおりこうさんなときもある娘だ。(だが、びっくりするくらいおばかだったり生意気だったりすることもある)無事子供2人を保育園に送り届け、職場につくと始業の5分前だった。私1人にしては上出来だが、脱力のあまりすぐには自分の仕事を始めることができなかったのはいうまでもない。普段は雨がふらなければ自転車で行くのだが、私1人のときはベビーカーだ。ベビーカーにはお姉ちゃんも乗れる器具をつけた。朝急ぐときはやっぱり便利だ。
その日も1時間早く職場を後にし、迎えに行く。まず娘を迎えに行ってから太郎の部屋に行く。その日迎えに行くと太郎はテレビの前でまったりと横になっていた。洗濯物や私物を回収していると、めずらしく保育士さんが寄ってきて話しかけてきた。(ふだんはあっちでもこっちでも赤ちゃんがいろんなことをしてなかなかはゆっくりはなせない。)何かと思ったら、太郎は上のクラスに進級することになったと伝えられた。太郎はその週の水曜日に1歳になる。保育園になれるのに大分時間がかかったから心配だったが、たしかに他の赤ちゃんとくらべても体も大きいし、最近大分歩けるようになったからまあそんなもんなんだろうなと思い、承諾した。娘のときにお世話になった元気な先生や太郎お気に入りのお姉さん先生もいて残念だがまあ仕方がない。その日も食事のまえにシャワーを浴び、夕飯の支度を始めた。夕飯はグラタンとかぼちゃポタージュだったが、娘はできる前に寝てしまった。グラタンは今娘の大好物で、できあがったとき一度起こしなんとかリビングまでは這い出てきたがそのまま寝てしまった。私と太郎も9時には布団に入った。
翌日も6時に起きた。疲れないようにいろいろ工夫してもやっぱり体が重い。前日の娘の分のグラタンは朝ごはんにした。私はお茶漬け、太郎はご飯とのりとチーズと野菜ジュース。結局フォローアップミルクは飲まないのでださなくなってしまった。その日も娘は私が2階にあがるとすでに支度を終えていた。一緒に別室にいきわかれ職場へ。無事5分前到着。なんとかパパのいない日を終了することができた。
その日は太郎の誕生日。保育園でもお祝いをしてくれたそうだ。誕生日の歌を先生がうたってあげるとにっこりしたらしい。うちでもお祝いしたが、食べ物はAPTショッピングセンターで調達した。なんだかずいぶん前から4人家族だった気がするけど、まだ1年しかたたないんだなと思った。その週も太郎はやっぱり週の後半になると熱がやや高めになってきたが、なんとか休まずにすんだ。私の方がその翌日朝動けなくなり欠勤し、次の日は娘が風邪をひいたため看病で休んだ。またしても体力のない自分に落ち込むのであった。

←同じ商品ではないけどこんな感じ。私は生協で買いました。旦那は「包丁は左手でも関係ない。」っていってたけど楽天ではちゃんと左手用がありました。
←完売になってるけどすごく便利です。ただ乗せないときにそのままにすると結構うるさくて、説明どおりにたたむとベビーカーに子供が乗ってないと重みで倒れてしまいます。あと電車・バス移動は絶対無理。できれば普通のベビーカーメーカーに最初からオプションで上の子を乗せられるようにしてほしい。

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2007/07/03

パパチーム・ママチーム

その週末、旦那はとある用事で東京に行かなければならなかった。一家でいってもよかったのだが、翌月曜日から水曜日は旦那が出張で家を空ける。体力温存のため私と太郎は家に残ることにした。土日は太郎とどこに散歩にいこうかなと思っていたが、いざその日になってみると太郎は金曜日から熱を出し、土曜日はまだ完全には熱が下がらず、例によって私も風邪を引きいえでじっとしていざるを得なかった。土曜日は私が車で飛行場まで送ることになっていたが、風邪がぬけきらず朝起きられなかった。旦那と娘はバスで空港へ向かった。
8時ごろに私と太郎は起きたが、太郎はあんまり食欲がないらしく朝ごはんはまじめに食べなかった。今回娘が旦那とともに東京にいったのは旦那の用事のほかにもう1つ理由がある。
チャコットに行って、娘のレオタードを買いに行く
ことだった。私が習っていた頃はレオタードといえば無地で子供ものはスカートがついていて大人は自分でまきスカートはくという感じだったが、最近はまるでワンピースのようなかわいいレオタードがある。娘のバレエ教室でも可愛いのを着てくる子が多い。富山でもそういうのを売っているお店があってきいたところによるとそれは「プレタポルテ」といって一点ものらしい。どうせ一点ものなら東京のチャコットのほうがかわいいのがあるにちがいない。
娘はパパとともに渋谷チャコットを目指したのだった。
旦那の用事は土曜午後から日曜午前中。飛行機で行くと10時には羽田に着く。土曜の午前中さっそくチャコットに行った旦那からメールが来た。水色のレオタードといかにもバレリーナ風の胸の下でヒモを結ぶジャケットを着ていた。
「おいおい、レオタードだけじゃなかったのか?」
と思ったが、携帯の画像では意外と地味にみえてせっかく東京にいったんだからもっと可愛いのにすればよかったのにと思った。朝食のあとややしばらくは遊んでいた太郎だが、昼近くなり寝てしまいお昼ご飯の時間になっても起きなかった。私はカップめんで昼食をすませた。そのまま太郎は2時くらいまで寝ていただろうか。やはり体調はあまりよくないらしい。起きてからお昼ご飯を食べさせ、薬を飲ませた。
私もなんだか気だるくて、その日のことはよく覚えてないがテレビをみながらダラダラ過ごし、寝たのは10時くらいだった。
日曜日、太郎の熱も下がり2人でシャワーをあびた。お天気はよくなかった。シャンプーとラップがなくなっていて買い物にいかなければならなかった。どうしようかなと思っていたら、当初帰りは新幹線にするといっていた旦那と娘が14時の飛行機でかえってくることになった。それなら旦那と娘を迎えにいくついでに行けばいいやとその時間までまったりと過ごした。娘のときは、こういうときは苦しくてたまらなかった。やらなきゃいけない家事やじぶんのやりたいことが頭をうずまき、娘を退屈させてはいけないというプレッシャーとすべてに対して気負いすぎる疲労にがんじがらめになっていた。
でも今は違う。自分のやりたいことは太郎が大きくなって手が離れてくればすればいいし、家事もおんぶで疲れない程度にやればよい。仕事も2人の子持ちでできる範囲でやればいい、それでお払い箱になればしかたないし、また子供から手が離れたとき心機一転やってみたい仕事もある。だから太郎が遊んでるときはぼんやりそれを眺めているし、ぐずればおんぶする。太郎が寝ているときは一緒に昼寝をしてしまう。太郎はパパや娘がいないことはそれほど気にしていないようだった。ただ偶然なのかわざとなのかパパの携帯にリダイヤルで電話してしまった。
そうやってぼやや~んと過ごすうち、飛行機の時間がきて空港にお迎えにいった。飛行機は20分送れだった。
娘は元気に帰ってきた。旦那の用事は会合のようなものだったのだが、さすがバレエのものをかってもらった手前もあってかおとなしくしていたらしい。日曜日になってちょっとたいくつしたらしく騒ぎだしたので、
「100までかけたら100円あげる。」
といったら102まで書いたらしい。
「200までかけたらもう100円あげる。」
といわれたらしいが、それは無理だったらしい。それから買い物をして家について娘のゲットしたものをみてみると
・レオタード
・シューズ(娘曰く、「今のは小さい」)
・ジャケット
・レオタードと同じ色の髪飾り
・いかにもバレリーナなかんじのバック
まで買っていたとさ。渋谷チャコットにはまるで大人のようなキメキメの母娘がたくさんいたそうだ。(その中にまじるボロを着てリュックを背負った娘と旦那)携帯の画像では地味目に見えたレオタードもサテン地にプリントが入ってた。でもママ、そういうの嫌いじゃないわ(笑)。
今年の発表会の演目も決まり、今年も涙の自宅特訓が待っている。太郎は家族4人がそろうとやっぱりうれしいらしく、いつも以上に笑顔をふりまいてはしゃいでいた。
Sn340502
娘後日談:「バレエの本もあったけど、まだちばじいじにもらった本読み終わってないからがまんしたの。」

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2007/06/23

ココログプラスになりました

これまでココログベーシックでブログが1つしか開設できなかったけどついにココログプラスになりました。育児休業中収入が減っているにもかかわらず、突然和楽器を購入し、
「いかん、これをお蔵入りさせてはいかん!」
ということで、ちゃんと演奏できるまでの道のりをブログにしようと思い立ったのと、竜笛吹きの友人にどこまで上達したか報告したいということでココログを増やしました。楽器のほうはもっか埃をかぶり、前回楽器に触った日がちゃくちゃくと昔になってますが、これからは月1更新目標でがんばるかもしれないしがんばらないかもしれい・・・・。(おいおい)やはり楽器が結構難しいため、ネタが続かず現在和テイストネタでお茶を濁してたりもします、ハハハ。
目指せ!真の日本人

そして、最近リンパマッサージ目的で近所の個人のエステサロンに通うようになったのですが、恥ずかしながら大ネタをゲットすることになってしまいました。(というか、もうブログのネタにでもしないと悲しすぎるというか・・・)
まあ、みてやってください
私はあおくび?
ちなみにあおくびとはくびの青いカモのことです。
はりまの新ブログの紹介でした。

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2007/06/21

父の日の出来事

金曜日、娘がひそひそとささやいた。
「明日、父の日だからケーキ作ろう。」
土曜日はバレエがあるから日曜日にして、明日買い物のとき材料を買おうと娘にいった。
私の憧れ、
娘と一緒にお菓子を作る
娘の保育園は小さいときからクッキングがあり、昨年あたりから娘を誘って何度かお菓子を作った。娘からだれかのために作りたいと言い出したのはこれが始めてでとても嬉しかった。
日曜日、とても天気が良くお昼は河川敷で食べて娘の自転車の練習をしようということになった。マックでドライブスルーして河川敷の芝生で食べた。晴れの日の初夏の河川敷はとても気持ちいい。お手軽アウトドアーを楽しんだ。Sn340495太郎を遊ばせるためにシャボン玉やボールをもっていったのだが、結局娘が遊んでいた。太郎は楽しそうに娘が遊んでまわる姿を眺めたり敷物の上をうろうろしたりしていた。最近太郎は
「お姉ちゃんは楽しい。」
と認識したらしく、午前中洗濯ものを干しているときは娘と太郎でケラケラ笑いながら遊んでいた。
前の週買った娘の青い自転車はなんと6800円。シナモン自転車19800円の半額以下だった。
「だから赤でもよかったんじゃないかっていったんだ。」
と旦那は行っていたが、我が家は3台目から好きな自転車ってことでいいのだ。一番小さい自転車を自主的にくまのプーさんにした娘はえらかった。(男の子の赤ちゃんキャラものはプーさんとミッキーマウスが多い)
うちに帰ってケーキを作り始めた。旦那は携帯のポイントがたまったからお店に行ってくるといって、太郎を連れて出かけてしまった。大丈夫かなと思っていたが、結局ケーキが焼きあがるまで帰ってこなかった。帰ってきた旦那によると、応対してくれたのが若くてきれいなお姉さんで、太郎は
「ん~」
と甘えた声を出しお姉さんに気を惹こうとしていたらしいがおとなくしていたらしい。さすが見るだけ美人ハンターの旦那の遺伝子をもつ男太郎。旦那が最近困っているのは南海キャンディーズのしずちゃんがでているシャンプーの宣伝で、
「お、綺麗なお姉さんだ。」
と瞳孔を開けると突然しずちゃんがとびこんできて急に瞳孔がしまる。
「目の毒だ。」
と彼は言っている。娘プロデュースによりチョコスポンジに生クリームをぬりトッピング。クリームはママが面倒だという理由で白。パパは
「アラザンはザリザリするからないほうがいい。」
と何度もつぶやいたが、娘は聞いていなかった。キラキラが大好きな娘、アラザンをはずすなんてありえないのだろう。和やかな父の日だった。Sn340497
追伸:実家の父にも電話して、孫の声を聞かせてあげました。(旦那の実家は他界しているので一応電話だけ)

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2007/06/11

保育参観

金曜日に保育参観があった。昨年はすでに育児休業中だった私だけで参観したが、今年は太郎もいるので私と旦那で出席することにした。娘は午前中、太郎は午後3時から。参観日は3日くらい予定が組まれていて都合のいい日に参加する。職場復帰の疲れもでるときということで、金曜日に1日休んで娘と太郎の両方にでることにした。娘と同じ学年の子は割りとお母さんが子供のことをすべてみている家が多いようでわりと送り迎えや行事はお母さんがでてくる人が多い。その下の学年は割りとお父さんも積極的に出てくる。最初は縦割りのクラスで折り紙やゲームなどをして自由に遊んでいる。気がつけは参観に来ていたパパさんは子供たちに囲まれていた。年少さんまではママにべったりな子供たちも、年中さん過ぎるとパパと遊ぶのが好きになるのかもなと思った。
やっぱり女性だけで子供は育たないのではないだろうか?
職場が男性を拘束するのはやっぱりいけないと思う。
お金を稼いでくりゃそれでいいってもんじゃないと思うけど。
しかしその逆の出来事も起きた。学年ごとの時間が始まり、娘の学年はピアニカの練習だった。娘と同じ学年で、今の保育園に移ってきていらいよく朝と夕方に一緒になる男の子がいる。1歳のときからそれはそれは聞き分けのよさそうで、将来はぜったい勉強ができて学級員とかしそうなタイプの子だ。我が家より1年はやく妹が生まれたのだが、ダダをこねて泣いてる姿なんか1度もみたことがない。その子はママが来ていた。ママは忙しい中時間休で保育参観に顔を出していた。仕事もあるので少し早めに戻ろうとすると、男の子はママにしがみついて離れなくなってしまった。
ああ、普段はお兄ちゃんでもやっぱりママに甘えたいだな
と思った。顔見知りなのでおしゃべりもしたのだが、家ではブラックになりやりたい放題しているらしい。どこの家もおんなじだ。
旦那は用事があるので少し早めに退席、私は昼食の直前までいたのだが、娘は私にはりつき離れなくなり保育士さんに助けてもらって保育園を後にした。最近娘にかまってあげられなくて、娘にとってはどうでもいい存在になっていると思っていたのちょっと意外だった。風邪気味ではあったので、単に体調が悪かっただけかもしれないが。
太郎はまだ登園を初めて2週目。体調を崩し始めて以来きげんが悪く、起きてる時間のほとんどを保育士さんの背中におぶわれてすごしている。保育参観当日も午前中そとから除くと先生の背中にいたらしい。(旦那談)きっと太郎はママにはりつき、他の子たちのおやつを食べるのをみることになるだろうなと思っていた。まあそれで全くかまわない。
案の定、太郎は私たちの姿をみたとたんに泣き出しママのひざへ。でもおやつは食べたそうにしてたので、みんなが座っているところまでいったのだが、やっぱり椅子には座れなった。しかしひよこ組0歳から1歳なりたての子供たちがせいぞろいしておやつを食べる姿はこの上なくかわいらしくて、ビデオを忘れたことを悔やんだ。ちなみに熱を出して以来食欲不振の太郎は今週ハンスト状態で食事もおやつもあまり食べてなかったが、私のひざでおやつを間色した。実際のところ、体調不良によるものなのかはたまた保育園においていかれる精神的ダメージのせいなのかは定かではない。
おやつも終わり眠くなりぐずる子もいれば、おもちゃで遊ぶ子いた。かわいい、それぞれにかわいすぎる。太郎より月齢の小さい子がと元気に這い回っている。太郎はママにびっちりはりついて動かない。がそのうち元気がでて、保育室内を動き始めた。
保育士さんが、
「おお、ひさしぶりに遊んでいる姿をみた。」
といっていた。クッションでできた階段と滑り台によじ登ってご満悦。
なんという内弁慶
どうしたもんだかこの内弁慶
1歳児の知能でママにおいていかれてもちゃんと迎えにきてくれると理解できるのはいつの日のことだろう?ママさえいれば、割とひょうきんで活発なのに。お姉ちゃんとパパを自分の仲間と認識できるようになったらしいのもつい最近だから無理もない。それまでは機嫌が悪いとママじゃないとどうにもならなかった。
交代しながらといいながらも、1日おんぶなのは保育士さんに申し訳ない。早く保育士さんにもかわいいところをみせてほしいんだけど。結局パパとママが来て以降保育士さんに声をかけられるとかたまり、1度も笑顔を見せないまま太郎は登園2週目を終えたのであった。
そんな感じで保育参観の1日は終わった。

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2007/06/04

職場復帰

あっけなく職場復帰した。心配していた朝も5時過ぎに目がさめ、晴れるはずが出かける間際に雨が降り出し、ベビーカーで歩きで行くことになったが余裕で保育園にも職場にもついた。娘は家族4人で保育園に登園して太郎のいるりす組さんにも入れてご満悦。でもいいかげんそこに来るとママに置いて行かれと気づいた太郎。部屋に入った瞬間おお泣き。太郎がしがみつきお道具を置きにいけないため、娘を使ってお道具を所定の場所へ置いていく。おむつを替え、保育士さんにお願いしてそそくさと退室。今日は旦那も一緒だったので、娘の教室をゆっくりと見物。娘の作ったかたつむりが壁にはってあってそれがなかなかかわいらしい。保育園をあとにして、職場へ。
なんと同じグループの人はみんな現場にでていた。パソコンの入れ替えもあって、パスワードが変わっていて暇をつぶそうにもネットも接続できない(おいおい。)
私を遊ばせないようにだろうか、フフフフ。
さすがに上司が出張先に連絡をとってくれて無事パソコン開通。結局その日はこれといって仕事もなく、資料に目を通して終わった。娘のときもそうだったが、やっぱり職場にいるという生活は意外とあっけなく慣れてしまう。
妊娠中と違って気分も爽快だ。娘の妊娠出産前後のときのように、
「職場で活躍しなければいけない。」
という気負いがないせいもある。任された仕事をきちんとすれば別に仕事ができるということで目立つ必要はないとおもうようになった。今の万全の体調を保てるようにしたい。復帰して翌日は土日というのもとてもラッキーだったと思う。
太郎は迎えに行くと眠くて泣いていた。私の姿をみるとさらにおお泣き。保育園をでて自転車に乗ると機嫌もなおり、自分の興味あるらしいものを指差しケラケラ笑いだした。しかし夜ごはんはあんまり食べず、太郎はおかずをなげていた。

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2007/05/15

GW渋滞をなめんなよ!

ゴールデンウィーク後半のお話
GW後半は実家に行く。東京は4月にも顔を出しているのだが、千葉の実家は3月の始め以来。まあ普段に比べると間はあいていないが赤ん坊の場合1ヶ月のブランクは大きいに違いない。娘のときはまだ茨城に住んでいたため、月に1度はパパのことも考え1週間ほど千葉の実家に避難し、東京にもほぼ月1で顔を出していたのではないだろうか?単身赴任の多い職場なので、GWの谷間は休暇の人も多く、旦那には1,2は出勤することをすすめた。だが3日休みに入ってからするとなると相当込むだろうないうことで、午前3時起床、出発ということにした。娘と太郎は眠ったまま車に積み込む。予定通り午前3時に起き出発。今回車を軽ワンボックスに乗り換えた。(2台所有している車のうち1台は実家に置かせてもらっている)早朝の軽ワンポックスは思いのほか寒かった。春のキャンプのようだった。私は寒さのあまり日が出て暖かくなるまで眠れなった。幸いなことに、子供たちは毛布をかぶってすやすやと寝ていた。軽ワンボックスの後部座席は荷室と鉄板の薄い足元から冷えてくる。5月になりまさか使い捨てカイロはいらないだろうと寒いときは必ず腰につけておく使い捨てカイロはしてなかった。一応もってきたので貼ろうとしたら安いやつだったので貼れないタイプでうまく冷え切った腰に貼り付けることができなかった。太郎はチャイルドシートだから大丈夫。娘もシートのクッションが堅いのが気に入らないようだったので背もたれ用のクッションをつけたのと、前の座席下にエンジンのあるタイプで前座席はおしりが暖かいせいか無事だった。いやもしかすると振動がひどくてよく眠れたのかもしれない。ようやく車が暖まると、チューリップフェアで両母のために買ったチューリップの鉢植えの花が一気に開いてしまった。まあ、すぐに花を切れば球根がとれるということでよしとすることにした。
早朝の高速も交通量は普段よりは多かった。驚いたのはサービスエリアが結構込んでいた。トイレ休憩でよるサービスエリアはどこも車でびっしり。ちょうど夜明けのころだったため、キャンプ空けのような顔をしてお手洗いに向う人や車で熟睡の人がたくさんいた。長野、群馬くらいまではそれほどでもなかったが、埼玉に入ると渋滞が始まった。上りはまだ流れていたが、下りはぎっしりだった。常磐道を経由して三郷で高速道路を降りたのだが、常磐道に入る前に事故渋滞、国道6号も車がぴっしり、普段はあまり車のいない利根川沿いの道も交通量が多かった。
恐るべし!GW!
千葉の実家で1泊。娘と太郎の顔をみて大喜びのジジババ。千葉についたと旦那が自分の家に電話したとき、義母からミッションは下る。
「銚子のお魚が食べたい。」
旦那は午前3時に起き、富山から運転してきている。1泊しかしないので、お昼ご飯は一緒に食べることにしている。しかもお昼を食べてさっさと千葉の実家を後にできるだろうか?銚子まで私の実家からだと30分で行けるかどうか・・・。まあ、自分で言い出したのだから、仮に着くの遅いと物言いがあったとしても、言い出したのは自分だから。嫁にきたばかりの私なら、プチッと何かの切れる音がするところだがさすがに2人の子持ちともなるとそれくらいでは慌てない。
そう、自分以外の人が自分が同じように考えることは稀なのだ。
自分の予定通りに物事を動かそうとしてはいけない。
流されるのだ。
最悪の事態が起きそうなときだけ上手に避難すればよいのだ。
嫁となり私が学んだことだ。なかなか難しいことだが、年月の積み重ねとともに年毎に流され技を極める私。それが上手になるごとに、実家の付き合いだけでなく苦手意識のあった人付き合いが楽になった気がする。
4日は昼の2時に実家をでて、魚を買って出発したのが3時くらいだっただろうか。銚子の市場のそばの食堂はそんな時間なのにまだお店の前で人が並んでいた。お魚売り場はものすごい車。やっとのことで車を停めた旦那だけでお魚を買ってもらった。車を停めた場所は港の海の目の前。もし後ろから追突されたら海にまっ逆さま。
「子供2人、どうやって助ければいいだろう?」
と考えていた。天気は上々で、波の穏やかな港の水面で鵜らしき鳥が何度も潜っては魚をとっていた。一度潜ると結構な距離移動していた。買ったのはキンメダイの刺身あら付。そこですぐ東京に向かえば6時くらいにはついたのではないだろうか。ところが今回某所にて土木作業の予定のある旦那がホームセンターによっため、高速にのったのが5時くらい、途中はやっぱりやや渋滞気味で下道におりて東京の実家についたのは7時すぎだった。まあその土木作業自体もそもそも義母の希望によるものなので仕方がないだろう。
実家に着くとなぜか義母は落ち込んでいた。後になって、そんな無理いってしまったのだろうと後悔していたらしい。年老いるとなかなか考えが深く及ばぬようになってしまうのかもしれない。ずっと核家族で育ち親族との交流がほとんどないままに育った私にとってはとても勉強になる。旦那と義兄は9つ離れているため、義母は私の両親よりさらに年がいっている。故義父の晩年も、大変なこと以上に私にとっては学ぶことばかりだった。(といってもすでに富山にいたため、そばに住む義兄夫婦にくらべれば全然苦労はなかった)キンメダイはものすごくおいしくて、義母に食べてもらえてよかったと思った。次回は朝に千葉の実家をでてお魚を買える日程にしようと思った。そうすれば東京の実家での夕飯の心配が軽減する。
翌日から旦那は某所で土木作業。コンクリートを練るらしいが晴天は5日のみということだった。5日は旦那の土木作業現場にて手伝いというか、太郎を連れていると見物だった。前日ひどく落ち込んだ義母は家にいるといっていたが、朝になってみたら一緒に行くということだった。午前中は五月晴れのもと土木作業を手伝い、午後は娘を連れて電車で帰った。何かできるかと思って太郎と私は残ったのだが、やはりほとんど役にはたたなかった。しかしお天気のいい日に外ですごすのは気持ちのいいものである。
6日は雨がふったりやんだり。5日の夕食は義兄の家族と一緒で、義兄が土木作業を手伝ってくれることになった。残された義母、義姉、私と甥、娘、太郎。夕食のあと、義兄が義姉に
「子供たちどこかに連れていかないのか?」
といったが、義姉は
「雨ふるっていうし。」
と後ろ向き。義姉も5日まで自分の実家にいたから、家でやることもあるに違いない。でも私だけで太郎を連れて娘と甥を連れて外出する自信もなく、午前中は私だけで子供たちを見ることにした。甥と娘は1つ違い。おととしまではだいたいおもちゃの取り合いですぐにケンカになったが、昨年あたりから一緒に遊べるようになった。だがまる1日以上義母宅で過ごすとたいてい甥が疲れて拗ねモードになり泣きながら自分の家に帰るというパターンだ。甥は幼稚園が終わると義母宅で過ごしているため、義母宅に対してテリトリー意識があるのだと思う。私がみていた半日、とりあえず2人が激しいケンカを始めるまではほっておこうと思っていた。お互い自我を通しながらもなんとか一緒に遊んでいたが、だんだん年下の娘の我侭に疲れてきた甥が、
「おばちゃん、クイズを出します。」
とよってきた。義母にさんざんほめられて育った甥は勉強はかなりできるほうではあるのだが、義母はもちろん義兄夫婦も勉強についてはかなり気を配っているようだが、それ以外のことではあまり気にしていない傾向がある。
早朝富山発に始まり、前日1日中戸外で過ごしかな~り疲れも蓄積したおばさんはとてもいじわるになり、
「こいつ~、いつものようになんでもいうことを聞く大人と遊ぼうとしているな~。」
と思ってしまった。甥は1人っこだったりもする。そんな悪魔とかしたおばさんはこういったのであった。
「おばちゃんね~、今太郎の相手してあげないといけないの~。
(娘の名前)ちゃんと遊んでね~。」
娘は最近私に怒られっぱなしである。私は子供の躾は犬の躾の一緒で、悪いことをしたら即注意しないとだめだと思っている。頭の回転もよくなり口も達者になった5歳児は次々と言い訳をいってはしなければならないことはいつまでもせず、楽ばかりしようとするのだ。私の母も厳しかった。怠けようものなら、怠けるとどうなるかを切々ととかれ怒られたものだ。子供はほめて育てろというが、自分自身ほめられた記憶がほとんどないから、なかなか難しい。というか、甥に対する義母や義兄夫婦の態度は大きなお世話だが
「生ぬるいのでは?」
と思ってしまうのだ。まあ、私がほめられなかったことに関しては、私がだらしなかったせいもあるのだが。娘もその遺伝子をもっているかと思うとついつい厳しく言ってしまう。太郎が生まれ、私の年齢的なものもあるのだと思うが体力的に余裕もなくて、見た目お姉ちゃんになった娘には自分でできることはなんでも自分でやらせるようにしている。というか、かわいそうだと思っても、優しくしたり手助けしてあげられないこともある。両親やおばあちゃんに常にチヤホヤされている甥をみているとそんな娘が不憫にすら思えて、やっぱり1人にしておけばよかったと思ったりする。でもやっぱり娘にも太郎にも、自分の身の回り(衣食住)のことはちゃんと自分でできるようにすることが親の義務だと私は思っている。いい学校にいくとか、エリートコースにのるとかそんなことはその子がそういう道に向いてればそっちに導けばいいだけで、子供の個性を見極めその子が1人の人間として生きていけるようにしてあげることが親の役割だと信じている。(が、昨今の小学校入試とか、早期教育に焦ったりするのである。)
お昼になり義母が昼食の支度をしてくれた。午後は子供たちは相変わらず2人で遊び義母、義姉、私はまったりと四方山話。ちょっと重苦しい組み合わせでどうなることかと思ったけど、和やかに過ごした。旦那や義兄がいるとなかなか聞けない彼らの様子が義母や義姉から聞けてすごく参考になった。心配はその日の夕食のおかずだったが、旦那と義兄が調達してきてくれた。食事がだいたい終わったころ、例によって甥が
「(娘の名前)ちゃんがぼくの紙風船こわした~。」
といって足をばたつかして泣き出した。疲れもピークで私もかなりぼんやりしていたので、本当に娘が悪かったのかよくわからなかったので、娘をおこったりはしなかった。しかし、小学校1年生にもなって1つとはいえ年下の子のせいにして、足をばたつかせて泣き叫ぶってどうよと思った。もしこれが娘だったら、その場で母である私は娘にたいして激怒だったと思う。甥なりに娘に対して気を使った上、おばさんは日ごろの大人たちと違う怪しげオーラを放ち、かなり疲れていたのだとも思う。それにしても、自分自身が同じくらいの年齢のときはもう少し大人だったのではないかと思った。まあ、実母いわくノーテンキな私は都合の悪い記憶はすぐに削除されてしまうせいもあるのかもしれない。実母が幼少の私にきつかったのも、そのせいじゃないかと子育てをはじめてから思った。その後、同じ年齢の甥のいる友人からも、甥が最近似たように駄々をこねたという話をきき、まあ小学生といってもそんなもんなのかもな~と後日思った。
その夕食以降富山に帰る7日まで甥と会うことはなかったが、次回甥は娘の訪問を喜ぶのだろうか?とちょっとだけ心配だ。これまで何度も帰り際ケンカになっている甥と娘だが、いつも娘がくると甥は喜びのあまり大興奮だ。もしかするとおばあちゃんにそのようにマインドコントロールされているのかもしれない。私自身小学校低学年の頃、最初で最後の母方の年下いとこのが遊びに来たとき、結局最後は喧嘩別れだった。ここのところ、娘が遊びにいくたび興奮のあまり2日目には熱を出す甥だが、その後熱を出さずに小学校にいけたかちょっと心配している。同性ではないので、やはり小学校あがるとなかなか一緒に遊ぶのは難しいのかな?大人の都合に振り回される必要はないと思うが、甥が1人っ子だから余計に娘や太郎とうまく関係を築いてほしいとは思っている。もちろん甥を支えてくれる人間は血のつながりのある人ばかりではないと思うけど。
7日はどうしても直接顔を出さねばならない事務手続きがあり、つくばの本社の総務課へ。新線開通以降日に日に変貌をとげるつくばだった。GWはさぞかし混んでいただろうララガーデンで昼食をすまし富山を目指した。高速はどこもすっかり空いていた。上りを走っている間はやや配送のトラックが多めだったかもしれない。やはり軽ワンボックスは疲れる。嫁疲れも含め、復活に1週間ほどかかるのであった。興奮しまくった娘も、風邪で1日休んだ。
太郎は昼ねがやや長かった。
気がつけば私の育児休暇も残り30日をきっていた。

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2007/05/01

私、いい嫁だから

うそ、ぴょーん
世間はGWとなりましたが、4月のお話です。

先週の火曜日から土曜日まで、旦那の出張について東京の旦那の実家にいった。しかし、それでなくても甥1年生、私立小学校に入学したため働くママに代わりスクールバスが送迎してくれる隣駅までお迎えにいっている義母になるべく迷惑をかけたくない。日中甥のいない時間はお出かけする予定を入れ、きっと我々がいる間は甥たちも夕飯を食べていくだろうから、大人用に鰤大根を作り子供には生協のいわしハンバーグを持参した。到着した翌日は病気で自宅療養中の友人宅にお見舞いに行き、昼食から夕飯まですごす。本当は娘も連れて行くつもりだったのだが、義母が
「疲れるとかわいそうだからおいていきなさい。」
といってくれたので、お言葉に甘えておいていった。昼食は富山から大門素麺をもっていて食べたのだが、前回のさぬきうどん同様ゆでかげんがいまいちで、
「まずい麺おみまい!」
とかえっていやがらせになってしまった。おっかしいな~。夕食は近くの和風ファミレスでもう1人の友人と大人3人と太郎で食べたのだが、ついつい話がはずんでしまい実家にたどり着いたのは21時だった。途中義母から、
「眠いっていってるけどどうする?」
という電話があり、寝かせてくださいと返事したのだが、娘はまだ寝ていた。結局娘はその日風呂も入らずに寝た。今回も帰りは一緒に言った友人に荷物その他でさんざん世話になってしまった。
2日目は朝ごはんを食べてから、別の友人と某所で待ち合わせ。午後から用事のある友人は昼ごはんを食べた後帰る予定だったので駅まで送った。友人と別れ、どうしようかなと思っていると義母から電話。
甥が娘と遊びたいと騒ぎだしたらしい。甥の学校はこの週はまだ午前中授業だった。しかし従兄弟どうし仲がよいのは喜ばしいことである。早速義母宅に戻る。この日は甥親子と夕食。翌日、この日仕事を終え旦那が日中に実家に戻ってくることになった。甥は開校記念日でお休みで1日義母宅ですごすことになっていたため、家で子供たちをみてようかと思ったのだが、旦那が午前中のうちに戻り太郎をつれ友人の漢方薬局へ。なるべく早く戻るつもりだったが、やっぱりもどったのは4時ごろだった。最寄り駅で降りる出口を間違えバスを見逃したのが痛かった。
この日は甥一家と夕食で、義母が
「おかずはどうしよう。」
とさんざん悩んでいた。あとで、
「全部私が作ればよかった。」
と後悔した。
結局、実家に帰ったというよりは友人と会いまくった感じだ。しかし、結婚しててもしてなくても子供がいてもいなくても、学生時代からの友人に会うと元気がでる。今回会うことができなかった友人にも、折を見て(隙をみて)会いたいと画策する遊び人不良主婦であった。

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