2006/09/21

ママのミルク

妊娠中貧血になったので、妊娠中・授乳中の女性向けのミルク森永「Eお母さん」を飲んでいる。おっぱいは血液が原料なのでまた貧血で体調が悪いのはいやだったからだ。娘のときは頭痛とだるさがでた。今回の産院で貧血と診断され鉄剤入りの点滴を受けてから、だるいのは貧血のせいだと身をもって体験した。出産した産院でサンプルをもらったので飲んでみたら意外とおいしかった。
ある日ドラッグストアに行ったら、森永だけでなく明治の同じような商品がおいてありしかも安かった。今回の育児休業のテーマに
「節約」
がある。同じ商品を選ぶときは必ず安いほうを選ぶようにしている。ところがだ、明治の商品をあけて一口飲んで吐きそうになった。
まずい、めちゃくちゃまずい。
鉄分強化のせいかもろ鉄の味がして、DHA強化のせいかもしれないがなんとなく生臭い。もったえないから飲みほそうと思ったけど耐えられなくて捨てました・・・。しょうがないので粉末のポタージュを飲むとき混ぜて飲んでいる。
明治「ビオママ」商品開発担当者に告ぐ!
即刻自社製品を味見して、反省してほしい。

絶対にメーカーの人は飲んだことないに違いない。でなきゃ明治の人は味覚がおかしいと思う。

もう1つホルスタインはりまの栄養ドリンク。青汁粉末をお湯で溶いてさらに牛乳を注いで飲む。これだと青汁の苦さ・青臭さを牛乳が消してくれて、乳臭さも青汁で相殺され飲みやすい。私は田舎育ちで草のにおいが平気で青臭さが気にならないせいもあるかも。抹茶っぽい味になります。お試しあれ!

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2006/09/06

ラブリーな女医さん

かの一族のベイビー誕生しましたね。男の子なんてさすが神がかり・・・。愛育病院、産院なのに総合病院並みの大きさでびっくり。このネタは私の産院の女医さんのお話。
今回の産院は男の院長先生と息子らしき若先生が産婦人科担当で、新生児を見る小児科の女医さんがいた。若先生の奥様もしくはお姉様だろが詳細は確認できなかった。妊婦検診中はめったに会わず、母親教室や点滴で入院フロアですれ違う白衣のとても感じのいい女性にすれ違うび
「あの人が小児科の先生なんだ。」
と思っていた。入院中、最初の赤ちゃんの出産後検診の結果をついにこの女医さんからきくことになった。細身で知的な感じで白衣が良く似合う、それでいて優しげな女性だった。女性のねちっこい感じがなくさわやかで、元宝塚ファンで素敵な女性に弱い私は興味津々だった。入院して3日目だっただろうか、この女医さんに太郎の経過を説明してもらった。といっても太郎はすごぶる健康で、これといって深刻な報告はなかったのだが、女医さんが
「とても甘え上手な愛想のいいおこさんです。」
と優しい笑顔で話してくれた。
え、
一瞬目が点になった。
まだ生まれて数日の赤ん坊の性格をみわけるなんて、この人はいったい何者なのだ?
それとも生まれたばかりの太郎、まだしゃべることも動くこともできないのに、いきなりナンパでもしかかけたのか?
それともお世話をしてくれている看護師さんに甘えなきをして困らせているんだろうか?
太郎はまだ生まれたばかりなのに、すでに無意識の笑顔らしき表情を見せていた。だがそれは母親の私がよ~くみて、贔屓目にみてそうなだけで、検診のときにしか赤ちゃんをみない先生にわかるものだろうか?
それから私はこの女医さんのとりこになった。
と、いっても女医さんのお仕事は新生児の検診のため、めったにお目にかかれない。次に会えたのは退院時の太郎の経過説明だった。これもこれといって異常はなく、そのことを優しい笑顔で教えてくれた。
1ヶ月検診はこの女医さんに診てもらえる。検診のときも優しい笑顔で診察してくれた。今回の産院、とてもよかったのだが乳児検診は1ヶ月検診だけしかしてくれない。3ヶ月以降は別の小児科医院にいかなければならない。残念!この産婦人科は6月中旬にリニューアルオープンして、妊婦のためのマタニティービクスや手作りスリング教室、ベビーマッサージ教室が始まった。この産婦人科でもらった冊子によるとスリングは赤ちゃんを研究している学者が発明したもので、赤ちゃんは子宮にいたときと同じような感覚で安心できるのだそうだ。
(でも股関節脱臼しやすい赤ちゃんは要注意らしい。実際体重の重くなった太郎をスリングにいれていたら足がかなりすごい体勢になっていてドキッとしたことがある。)たしかに太郎はスリングでつれて歩くとだいたい熟睡で、最近ではスリングで抱っこしたままファミレスでご飯も食べられた。
1ヶ月検診のときに、ベビーマッサージのチケットを頂き、これに参加すれば女医さんと再会できると心躍らせたのだが、上の子がいるとそういうことに参加する気持ちと体の余裕がない。とても残念だがあきらめることにした。そのほか、産院の広いほうのシャワールームに明らかにマッサージ用のベットがあったのだが、今月から産婦さんのアロママッサージが始まったそうだ。
なんかくやしいぞ。
2ヶ月たった今、機嫌のいいときはとびっきりの笑顔をみせてくれる太郎。ふと、あのラブリーな女医さんの笑顔を思い出すのだった。

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2006/08/31

母乳育児は体育会系2

0ヶ月自宅編
無事母乳のみOKのお言葉をいただき、退院。
その日から1ヶ月検診で、
「このまま母乳で大丈夫。」
といわれるべく、授乳量増加への戦いが始まった。1ヶ月検診で、3600g(水分が抜けて出産直後よりすこし体重が減るのだそうだ)の体重を4700gまで増やせばOKだ。退院から1ヶ月、家事と育児のため休暇(最初の1週間は1日、2週間目は半日)をとることにしてくれた旦那は、夜中のミルクを引き受けてくれるつもりだったらしいが、この時期は太郎にたくさん吸ってもらったほうが授乳量が増えるので夜中の授乳もすべて私がやった。
最初の頃は親子4人で寝ていたのだか、それだとやっぱり娘の睡眠が太郎の鳴き声で途切れて体調をくずした娘が熱を出し、それ以来現在もパパと娘、太郎と私で別れて寝ている。太郎は非常に良く寝る子で、家に帰ってきてからもきっちり3時間授乳の間隔があいていた。入院中、ほとんど夢をみるほど寝られなかったが、家に帰ってからすこしずつ夢をみるようになり、眠ったという実感が持てるようになった。
そうなると今度は眠くてたまらない。退院して1週目は食事と授乳以外は務めて寝るようにしていた。夜中の授乳もあるし、最初の1ヶ月体を休めておかないと後に体に影響がでるし、骨盤の戻りが悪くなると聞いていたからだ。
しかし、ものの本によると2週目から洗濯機のオムツの洗濯、3週目からは長いたち仕事を除く簡単な家事、4週目に床上げと書かれていたが、私の場合
2週目
旦那が午後から休暇をとってくれる。
最初の3日は洗濯物を干したが後はダウン。
3週目
旦那完全職場復帰
なんとか洗濯はできるようになったが、それ以外の時間は爆睡
だった。
翌週は諸事情により、木曜日から日曜日まで旦那が東京の実家に行ってしまい、太郎と2人で過ごしたが、ご飯だけ炊いてあとはインスタント味噌汁やレトルトなどで過ごした。
授乳量を増やすには寝不足は厳禁ということで、なるべく授乳と授乳の間は寝るようにしていたが、3時間ごとにとぎれとぎれの睡眠であまり疲れはとれない。私自身の食欲もいまいちで、本当におっぱいがでているかかなり不安だった。でも太郎の体重は着実に増えていて、毎日うんちもおしっこもたっぷりしているので大丈夫と自分に言い聞かせた。
風呂でおっぱいマッサージも欠かさなかった。今回は病院でビデオもみていたので、やり方がきちんとわかった。
娘のときは一応看護師さんがやってみてくれたが、当然1回では覚えられず、やり方を書いた冊子をもらったがそれではよくわからずそれでいいのか確信がもてないのですぐにやめてしまった。ビデオでは乳首のマッサージのとき、お乳が水鉄砲のようにピーッっと飛んでいたが、自分のはそんな風にはならず、
「やっぱりおっぱいがでにくい体質なんだろうか?」
となんどもくじけそうになったが、旦那が留守中以外は欠かさずやった。
退院してからもあいかわらず切れたほうの乳首がおっぱいのたび悲鳴をあげそうなくらいいたかったが何とか耐え、乳切れの薬も毎回欠かさず塗った。今回妊娠中貧血になったので、授乳で貧血になったりおっぱいの栄養価が悪くならないように妊娠中・授乳中のお母さんのための鉄分・カルシウム・葉酸強化のミルクを飲んだ。
娘のときは夜の授乳も淡々とこなしたような気がするのだが、今回は眠くてだるくてつらかった。ふと、授乳してオムツかえてしてると結局3時間ごとでも実質寝てるのは2時間半くらいなのよね~、と思ったがそれを考えると倒れそうなので気がつかないことにした。特につらいのが深夜1時から3時の授乳だった。この授乳が終わると毎回、心の中で
「ではまた3時間後にお会いしましょう。」
とつぶやき床についた。
産後1ヶ月はとにかくちゃんとおっぱいがでているか不安で、毎回
「オス!乳出して行こう!オス!」
と自分に気合をいれながら授乳に臨んだ。産後1ヶ月はとにかく乳をだすことだけに集中して過ごした。努力のかいあってか、無事体重は増え1ヶ月検診でも
「このまま母乳のみで大丈夫ですよ。」
といわれた。
勝った!母乳との戦いに私は勝った!
その後私の乳からは水鉄砲のようにピーッと乳が飛ぶようになり、時折太郎に嫌がられている。(ただしよく出る右乳だけ。)風邪をひいたときなど、旦那がミルクをあげてくれたのだが、お乳がはるつらさのあまり産院で風邪薬をもらい結局授乳を続けた。授乳をやめると止まってしまうかもという恐怖もあった。
2ヶ月をすぎた現在、深夜の授乳がなくなり、夜10時半から11時くらいに一回あげると5時まで寝るようになった。するとそれだけでおっぱいが張ってしまった。
それはそれで、
「外出のときミルクにしたらおっぱいがはって大変なことになるんだろうか?」
「離乳や断乳のときはどうなっちゃうんだろうか?」
などと不安になったりもするのだが、深くは考えないことにする。
こうして、またお母さんは強くなっていくのである。

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母乳育児は体育会系1

産院編
娘の時はでたのだから、今回はそんなに苦労しないんだろうなとおもったがとんでもなかった。幸いなことに母乳指導をきっちりしてくれる病院だったため、退院までには
「母乳だけで大丈夫ですよ~。」
と小児科の女医さんにいわれ、脳内イメージは目から涙がツーだった。最初は授乳の時間、眠そうな太郎はなかなか乳首にくいつかず、吸ってもすぐに寝てしまって起きない。そしておっぱいを据われると子宮の収縮が一段と強くなるためお腹がキリキリキリ・・・。
そして次の難関は乳切れ。ようやくすってもらえると今度は乳首が痛くてきがついたら出血していた。幸いなことに、血液を吸っても吐き出すことのない吸血鬼太郎。慌てて看護師さんにいうと、
「いやがったりはきださなかったら大丈夫。」
2日目以降になると同じころ出産したママさんたちはおっぱいがはってつらい人や、私より後に出産したのに上手におっぱいを飲ませ、足し乳なしなんて人もいる。
学生時代、私は何をやってもダメ人間だった。新しいことをするとき、みんな次々とできるようになるのに私はなかなかできるようにならない。いつも劣等感にさいなまされていた10代を思い出した。
それだけではない。この病院は個室と大部屋があるのだが、朝と昼はラウンジでみんなで食べる。同じく学生時代、人と話すのが苦手で女の子の集団って苦手だった。ラウンジの食事は常にちゃんと話せるかドキドキする上、そんな陰気な自分がいやでしょうがなかった学生時代を彷彿させる。出産の直後はホルモンバランスも乱れてナーバスになり、もうパニック寸前だった。学生の頃は枕がかわると眠れない友人から、
「あんまりすやすや寝てるからたたき起こしてやろうかと思った。」
と言われていた私だが、娘を産んでから夜の眠りが浅くなり、ホテルなどで泊まるとなかなか寝付けなくなりアロマオイルを常に持ち歩くようになった。今回の入院中も夢は1度もみることがなく、ほとんど眠れない状態だった。
よってこのラウンジの食事がかなりプレッシャーだった。結果的にはおかげでいろんな妊婦さんと楽しくおしゃべりできてよかったと思っている。もし食事もずっと1人だったらもっと鬱々としていたと思う。でも前もって知らず、覚悟がなかったのでつらかった。心構えがあればもう少しラクだったと思う。社会人になるとき、意識的にあまり人とのかかわりが少なそうで、女性も少なくて女の子どうしの付き合いがなさそうで、1人で黙々とできそうな仕事を選んだため、そういう場面は余計不慣れになっていた。私にとっては学生時代に戻ったかのような入院生活だった。昔のわたしならコンプレックスでくよくよするばかりだったと思う。
でも私も無駄に年を重ねているわけではない。
授乳室でたっぷりとおっぱいのでている妊婦さんに落ち込んでいてはいけないと他の妊婦さんをじっくり観察した。よーくよくでる妊婦さんを観察しているとおっぱいを吸わせている時間が長い。私はきっちり片方5分吸わせるてだめならさっさとやめてしまっていた。よーしそれならとじっくり吸わせてみた。だがその結果乳切れがひどくなってしまった。ついに出血してしまったとき、上手におっぱいを出せない乳切れ、私の乳は授乳に全くもって不向きなのか?と前人格を否定されたような気持ちになり、穴があったら入りたいような気持ちでもあった。
いや、ここでめげていてはいけない。
今ここには母乳のことを良く知っている助産師さんがたくさんいるのだ。
勇気を出して相談してみる。すると、乳首にぬる薬をだしてもらえた。ラッキーである。娘のときは退院後実家に帰ってから乳切れが始まり、痛いのをがまんしながら授乳し続けた。助産師さんに乳首カバーをすすめられた。これにも一瞬じぶんのおっぱいに烙印をおされたような気がしたが、とにもかくにも母乳が出したかった。もしここででなければ、私は生まれたばかりの娘に相当ひもじい思いをさせたことになる。娘はガッツがあった。入院中はほとんどうまく吸わせることができず、あまり出なかったがそれでも娘はおっぱいを吸ってくれた。
おかげでフォローアップ牛乳が飲める7ヶ月まではほぼ母乳でできた。足りているかすごく不安だったが、乳児検診もしていくれていた娘の時の産院のスパルタ医者が、
「大丈夫、なんとかでてれば6ヶ月になれば離乳食が始まるから。」
といわれ、納得した私は離乳食まではがんばった。その後は復職後のことが心配なのと、やはり「出てないかも」というプレッシャーに疲れてやめてしまった。出もそれほどよくなかったせいか断乳はラクだった。
娘のときはでたのだ。なんとか出すのだ。人工乳はお金がかかるしアレルギーも心配(最近はアレルギーに配慮したものもあるが割高)、おまけに完全に離乳するまでの空き缶の数を考えただけでめまいがしそうだ。
出すためなら利用できるものはすべて利用する!
もう1つ私を窮地に追い込んだもの、それは授乳量測定だった。授乳の前後で体重をはかり哺乳量を測定する。
2,3日もすると私がまだ足し乳なのに私より後に生んだ人がすでに30~50cc飲んでいて、足し乳なしになっていたりする。授乳のたびに足し乳でめげそうだった。だがそんな熱い思いが伝わったのだろうか?3日目の晩、おっぱいが張ってきた。希望に胸をふくらまして授乳室にむかったのだが、やはり哺乳量は不足につき足し乳。
ああ、ここでクヨクヨ悩んでいてはいけない。
思い切って、助産師さんに
「昨日から張ってきているんですけど。」
と相談すると、おっぱいマッサージをしてくれた。ものすごく痛かった。でも一緒に入院していた産婦さんが
「ものすごく痛いけどマッサージのおかげでたっぷりでた。」
といっていた。
元気百倍、これででるに違いない。
今回の病院は母子同室推奨で、2日目から子供を部屋に連れて行けた。授乳室での授乳は他の産婦さんが気になって時間的にも気持ち的にもゆっくり授乳できないので、早速部屋に連れて行った。ちなみに娘を生んだ産院は初産婦は2日目から、経産婦は出産翌日から問答無用で終日母子同室。今回の産院は11時の授乳までは同室でそれ以降は新生児室でみてもらえて、午前3時に授乳のため呼び出される。娘のときに体験していない授乳室での授乳はラウンジの食事と同じくらいわたしにとっては脅威だった。これも後にして思えば他の産婦さんがどんな風に授乳してるか参考になったし、授乳室はナースステーションとつながっているので看護師さんの目が行き届き相談もしやすかった。
この産院は廊下に新生児用の体重計があって、授乳のあと記録するようになっていた。記録はノートにするようになっていて、他の人の哺乳量もわかった。しょっぱなから80ccとか出ている人もいてへこんだが、中にはわたしのように0ccだったり30ccだったりという人もいてこれも参考になった。私はちょっとだけずるをした。1回はかって哺乳0だと再び部屋に戻り再度吸わせて哺乳量を稼いだ。
いーじゃない、全然だせないままあきらめるよりは。
とりあえず出していれば量は増えるはずとカバーをつけて吸わせていたがどうも量が増えない。1日カバーをつけて授乳して、もらった薬を塗り続けるとだいぶ傷は治ってきた。翌日、思い切ってカバーをはずしてみた。するとそれまで20が最高だった哺乳量が30~50、多いときで80いくようになった。
嬉しかった。
日ごろ毎日塗り続ける薬はだいたい途中でやめてしまう私も、今回は授乳のたびにせっせと薬を塗り続けた。カバーをつけることに抵抗がなくなり、利用できるものはなんでも利用しようと決意した私は、赤ちゃん用の体重計をレンタルすることと搾乳機を買うことも決意した。搾乳機は空気圧で母乳をしぼるので乳腺の開腺を促すことができるらしい。おっぱいマッサージもたまってきたお乳を乳房のほうから圧力をかけて出し開腺を促しているように見えた。
この他、母乳育児を推奨しているこの病院では自分でやるおっぱいマッサージのビデオも見せてくれた。今回はきちんと母乳指導をしてもらえることのありがたさをしみじみ感じた。母乳は赤ん坊さえ生まれればすぐにでるものだと思っていたが、人によってはそうでない人もいるということがわかった。
すぐにでなければ全然でないかというとそうでもなくて、あきらめずに吸わせればでるようになるし出にくい場合もそれなりの手段があることがわかった。でもそれでも出ない人はきっと妊娠・出産でお母さんの体力をすべて使い果たしてしまったということで、絶対に母乳じゃなければいけないということはないと思う。母乳育児をしたい人はきちんと母乳指導をしてくれる産院を選ぶべきだと思う。
入院中私の頭のなかでは
♪涙の数だけ強くなれるさ~

♪負けないで、もう少し、最後まで走り抜けて
が何度も流れ、授乳のたびに
「痛みに耐えて・・・・」
のフレーズが脳裏にうかんだ。

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2006/08/23

病院は忙しい

娘のときは私以外の妊婦さんは入院中1人で、のんびりした雰囲気の産院だったが今回は違う。私の日は3人。翌日からも毎日のように出産があった。昼も夜も副院長先生と若先生は入院のフロアにきていた。そして休診日は手術が入る。今回
「医者って儲かるって話だけど、こんなに忙しかったら収入高くて当然だよな~。」
と思った。休診日は外来はやってないけど患者は土日も昼も夜も関係ないもんな~。いったい先生たちはいつ寝ているんだろうと思った。
最近産婦人科のなり手が減っているという話をよくきく。医療に携わる人はそれなりの誇りとプライドをもっているからこそ、寝る間もおしんで働くのが当然だと思っているのかもしれない。でも一職業人の1人として、人の命に関わる業種だからこそきちんと健康と家庭を守れる働きかたができるようにすべきなんじゃないかなという気がしてならない。人一倍正義かんが強くなければできないからこそだと思うが、それと人として休息や家族のための時間を削るのは別問題のような気がしてならない。人の命を救うため、自分のすべてを注ぐことは生き方としてはと尊いし、そういう生き方もあっていいと思う。でも人として自分の体や家族を守ることも人として大切なことではないだろうか?医者になれるほど秀でた人間ではないからそんなことを思うのかもしれないけど。
今回の産婦人科の先生方だけではない。I県T市にいたときに娘を預けていた保育園は無認可だったが経営者と保護者の意識の高い保育園で、大学病院が近いこともあってお医者さんママが多かった。すごいなと思ったのは産休明けで夜勤があるんだそうだ。(おそらく看護師さんもそうなんだろうな)お医者さんママさんたちはそんな忙しい仕事をしているにも関わらず、無認可保育園の収入源と宣伝にもなるバザーには手芸品やお菓子を山ほど作ってくる。(そしてみんな美人だった。)
「ああ、医者になる人ってそもそも一般人とは違う人種なんだ」
とも思った。でもそんな優秀な人だからこそ体を大事にしてできるだけたくさんの人のためになってほしい。年齢があがり、婦人科系のトラブルが増えるようになって、
「このつらさは男の先生にはわからないんじゃないだろうか?」
と思うことが増えた。医療に従事する人が男性と男性並みの恵まれた体を持つ女性だけで本当に健康的に問題のある人をすべてを治療することができるのだろうか?女性だからこそ、子供を産み育てた経験があるからこそ気がつける重要な医療分野もあるのではないだろうか?産休あけいきなり夜勤するような労働条件では女性の数が少なくて当然だと思う。
私は
「医者の不養生」
ってあんまりいい言葉だと思わない。
今回の出産で気がついたのだが、結局産婦人科に関わる手術等は割と体力がいるもので、産科はむしろ力のある男の人の方がよいのかもしれない。現在どうしても女性にしかわからない部分をカバーするために助産師とという仕事があるのだなと思った。今回の病院は割りと立会いは産婦のお母さんという空気が濃く、
「結局出産という行為は伝統的には女性同士で行うものなのかな?出産は女性の聖域なのかな?」
と思った。
「所詮出産は女性にしか理解できず、男性は関わるべきじゃない分野なのかな。」
とも思った。
でも本当にそれでいいのかな?
私は都合旦那に立ち会ってもらう選択しかなかった。
お医者さんだけでない。看護師さんも大変だと思う。あくまで私個人の感想だが、古来の女性は身の回りの世話をするという考え方の上からの患者さんの世話のほかに医療に関わる専門知識の必要な作業もあり、本当に大変な仕事だなと思った。出産は病気ではないと言うとおり、さすがに健康なときよりは体は動かないが全然動けないほどつらいわけでもないので、忙しくて走りまわっている看護師さんたちをナースコールで呼ぶのは気が引けて、用事があるときは自力でナースセンターに行ってしまった。もっとお医者さんや看護師さんが人として余裕をもって仕事ができるよう働き方の体制(システムやシフトの仕方)を考え直した方がよいのではと入院しながら考えていた。

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2006/08/21

左側

妊娠中ふくれた子宮が出産後戻るときに生理痛のような痛みがくる。なんでも1人目より2人目のほうがつらいらしい。確かに娘のときは出産後2日もすると痛みはほとんどなくなったが、今回は3,4日痛かった。
しかも左側がとくに痛かった。娘の妊娠が判明したときに子宮後屈だといわれた。もしかして異常があるのかと思って一応回診のときに聞いてみたら
「おそらく妊娠中そちら側に偏った位置にあったんでしょう。特に異常ではありません。」
といわれた。
それで思い当たることが一つ。私は寝るときは横向きに寝る。妊娠中右を下にして横向きに寝ているとまだお腹にいた太郎が、
「そっちは嫌だっていっているだろう!」
といっているかのようにお腹を蹴って暴れまくった。最近よく動く太郎だが、ゴロッと体を横にすることがあり、それも左向きだ。なるほど左に偏った位置が太郎の落ち着く体制だったらしい。なんとなく納得。ちなみに太郎は頭のつむじは右巻きで背中につむじはない。どうやら利き手も右手のような気がする。
娘は頭のつむじが左まきで、今でも背中につむじがある。これが将来的にどのように展開するか楽しみな母であった。
腹で不気味なまでに暴れていたアクティブな太郎は、1ヶ月半経った今5.6kgになりでかい体で機嫌がいいと座布団の上にのせておくとさかんに手足をばたつかせている。会いにきてくれた義母や1ヶ月検診にいったときの看護師に
「よく寝る子ですね~。」
といわれるくらい良く寝てあまり泣かない。ちなみに娘は機嫌のいいときは無表情に虚空をみつめおもちゃなどをみせても反応の薄い子で、そうでないときは抱っこじゃないとず~っと泣いていた。(そのぶん抱っこしてればおとなしいので、それはそれで外出先でラクだった。)性格の違いなのか、性別の違いなのか今後に期待したい。それとも母の育児の腕があがったんだろうか?な~んてな。子供の世話や見ているのは好きだけど、あやすのがあまり得意ではない。今日も退屈して泣かないように午前と午後散歩にいくのであった。

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2006/08/18

お手洗いつき個室って最高!

本日無事娘が登園しました。子持ちの専業主婦ってすごいと思います。改めて敬意を表します。お姉ちゃんが騒いでくれたおかげで昨夜太郎は10時から6時まで起きず、今日も午前中の散歩のあとぐっすりです。(で、ブログを更新するぞと。)今回のネタは独身・出産未経験・男性にはのけぞりのはなしかも・・・。

出産入院中の出来事
今回の産院でなにより何よりうれしかったことは、改装したてで設備がピカピカだったのもそうなのだが、個室にお手洗いがついてたことだ。産後のお手洗いは大変なのだ。なにしろオマタは裂傷をおっていて、おまけに出血もある。生理のときよりごついパッドとをあてお手洗いのたび消毒綿での消毒をしなければならない。それだけでない。
便秘の危機におそわれるのだ。
娘の出産のときだった。産後、
「便こわがらずに出してくださいね。でるところが違うから大丈夫なんだけどなかなかこわくてだせないと思うけど。どうしても無理なら便秘薬だしますからね。」
そうなのだ。
出すところはちがう。
でもこわい。
娘のときはお手洗いは共同だった。幸いにも地味な産院だったため、私のほかに出産入院は1人だったため、お手洗いで人と居合わせることはなかったが、小心な私はお手洗いで人と居合わせると落ち着かない。お店とかもう2度と顔をあわせない人と居合わせるのは全然平気だけど顔がわかる人とお手洗いで居合わせるのはとても落ち着かない。よって共同のお手洗いで大をすべく時間をかけるのはとても困難この上ない作業だ。しかも普段より2手間多いうえ負傷中である。それでも当時は若さで乗り切った。それから4年、としとともに環境の変化に弱くなってきた私。もし共同トイレだったりしたらどーなっていたことだろう。だが今回は個室にトイレ。入院するまで知らなかったがあるのがわかったときは嬉しかった。
そして今回、後陣痛(出産後子宮が元の大きさに戻るとき痛みがある)が前回異常に強く、腰痛であんまりむちゃすると腰がぬけそうないきおいだった。子宮を柔らかくする薬の影響だろうか?回診のとき先生に聞いたら、
「前回の出産よりは加齢してますから。」
はい、そうですね。
この状態でお手洗いにいくまでの廊下はさぞかし長く感じただろう。出産の興奮と疲労ですっかりボケてる私はたびたびお手洗いに必要なグッズを忘れたのだが、室内だから大丈夫。そして懸案事項である大も人を気にせずゆっくりとできる。加齢とともに保守的になった私は今回は出すことのプレッシャーを軽減すべく、「寒天紅茶」も持参し毎朝飲んだ。おかげ様でスルッと産後一発目を決めることができた。寒天、ききますよ!060202_0951001051231_1104001

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2006/08/01

太郎分娩の顛末

昨日一ヶ月検診に行ってきました。かれこれ一ヶ月早いものです。ようやくパソコンができるようになりました。さていままでの出来事をどこまでブログにできるか、乞うご期待!

堅いウ○チをだすように・・・
分娩を待つ部屋だと思っていたその部屋は実はLDR室といって陣痛から分娩、回復期(出産後2時間経過観察がある)まで過ごせる部屋だったらしい。今回の改装で新しくなったらしい。陣痛の間横になっていたベットのような椅子が分娩台に早変わりのはず…が「あれ、これどうするんだっけ?」「なんか頭が働かなくなって来たぞ」「あれ、~はどこ?」出産は時を選ばない。故に新施設オープンにつき一時分娩中止なんて言ってられない。新施設で十分打ち合わせをした後なんて言ってられないんだろうな。
準備をしながらベテランらしい助産師さんが、「いきみたくなったらいきんで下さい」と声をかけてくれた。が、しかしそのとき私はいつ陣痛の一番強い波がきてるのかすでにわからなくなっていた。もうずっといきみたい。適当なタイミングでいきんでいると、「ちょっといったん力を抜いて逃して。」と言われた。そんな時に限っていきまずにはいられない。思わずいきんでしまう。
「のがさないと割けちゃうよ」
(導尿だったのか切開だったのかわらない)そういわれやっとのことでいきみをのがす。ベテラン助産師さんの他に何人かの看護師さんがスタンバイしたところでベテラン助産師さんが一言「と、いうわけで帰れなくなりました。」出産後わかったのだがどうやらちょうど交代の時間だったらしい。後に経過観察ですっかりメンバーチェンジした看護師さんがそういっていた。私の横のキレイ系の看護師さんが分娩中やけにボーゼンとした感じで
「ああ、人の出産みるといろいろ感じるところがあるんだろうな」
と思っていたが、実はそうではなく私が出産した日は日付が変わってから3人目らしく、1人の看護師さんを除きほとんど寝てなかったらしい。疲れていたのだろう。準備が出来ると院長先生と若先生もやってきた。準備が整うとベテラン助産師さんが一言
「あとは自分のタイミングでいきんで下さい」
私の心の声
「え~っ」
今回ただただ陣痛ごいに集中していたため、
「分娩=助産師さんのいうとおりにいきめばよい」
という知識しかなかった。娘のときは助産師さんが陣痛計測器を見ていてくれて呼吸もいきみもタイミングを教えてくれた。しょうがないので、適当にいきんだ。ちゃんと太郎がでてきているという確信がないまま
「ああ、長くなりそうだ」
と思っていた。
消耗を感じながら手応えのないままいきんでいると、
「もう少しで頭がでますよ」
と声がかかった。
マジかよと思った。
私のオマタに太郎の頭の感触はまるでない。
だが頭が見えているなら後少し、とにかく頑張らねばといきむのだがどこにいきみを集中したらいいのかわからない。それをベテラン助産師さんは察したのだろうか、
「ここに力込めて」
と体の内部をつついてくれる感触があった。出産未体験の方はギョッとするかもしれないが私にとってはありがたかった。おおそこなのかというかんじ。その合図のあったところに確かに堅いウ○チの感触が。そうか堅いウ○チって本当なんだと分娩中ながら感動した。そこめがけて力の限りいきんだのだがついに限界が。娘のときは頭が見えてからが長かった。娘の横にふくらんだ頭がなかなか出なかった。持つだろうかと思った
「もうだめ~」
と絶叫したが周囲いた全員が、
「いきむのやめないで!」
といったような気がする。
慌てた旦那が
「もう頭半分でてるよ!」
おう、ならば頑張らねばと最後の力を振り絞った。まだまだだなと思った次の瞬間、
「出ましたよ、はい、短促呼吸」
その声がかかった時、私はそれが何かわからなかった。一瞬の間の後、それが赤ちゃんを産み出す最後の呼吸であることを思い出し、助産師さんに言われたとおり
「ハッハッハッ」
と呼吸した。旦那の目撃証言によると私がねをあげた瞬間は太郎が鼻まででかかったところで、旦那は太郎が苦しそうで
「そこでモウダメはだめだろう」
と思ったらしい。そして頭が出た後、若先生による2ヶ所目のカットが入ったらしい。正気の方には信じられないことかもしれないが分娩の身となると何も感じない。痛いという噂の導尿も陣痛にくらべりゃどってことない。女性は陣痛の痛みを経験することにより病気のつらさを知り、健康オタクになるのではないかとすら思える。それにしても娘と比べ出てくるときの存在感のなさはなぜだったんだろう?事前に受けた子宮口を柔らかくする点滴のせいか、はたまた経産婦だからか?旦那は娘の時は先生が引っかかった頭の周りを指で広げつつ自力で出させたが、今回は助産師さんが頭が見えたところで手を入れてひっこ抜いたからだといっている。分娩自体は娘のときより短い気がしてどんだけ時間短縮されただろうと思ったが実際はほとんどかわらない7時間43分だった。経産婦は早いってのはなんだったんだと思ったが、入院中ラウンジでの食事での話のなかで2人目なのに10時間以上なんて人もいるかと思えば分娩台で3回いきんだら終わったという人もいて人それぞれだった。自分の子供の頭をみたなんて話も本の体験談にあったが今回もわけがわからないうちに生まれてしまった。家庭科の教科書でみたまわりながらでてくる赤ちゃんってのを一度みてみたかった。娘の出産までチャンスはないんだろうな。娘が出産すればの話だが。17歳で未婚の母とかはできれば勘弁してほしい。いや、17歳の時点なら私が育てられるだろうか?後産で胎盤を出し、そのあとオマタの切れ目を縫った。
前回はスパルタなロマンスグレーの先生で、最初は立会いする気がなかった旦那を説得して分娩室に引き込むような人だった。今回退院してからきがついたのだが、娘のときも貧血検査は実は今回と同じくらいの数値がでていたのに、
「鉄分おおい食品とってね。このくらいなら大丈夫。」
といっていた。だから最後オマタの切れ目を縫うときは、
「痛~い!」と絶叫していた。
スパルタな出産を経験し、痛いときは痛いと叫んでしまえば意外と楽だと知ったからだ。だが今回はちょっとインテリな(オタクな感じでもある)若先生(推定私と同じくらいかちょっと年上)でさすがに叫ぶのははばかられ、黙って2箇所の切れ目を縫われた。(実際には押し出す際に小さい切れ目がもっとあったのかもしれない)ちなみに前回のスパルタ出産しか頭になかった私は優しい若先生の処方してくれた鉄剤を
「どーせたいしたことないだろうし、お腹の調子も悪くなるから。」
と飲まずにいたら、翌週から鉄剤の点滴を処方してくれた。結局しばらくは貧血のままだったが、臨月になると急激に体調がよくなったのはやはりちゃんと貧血が改善されたからなのかもしれない。その教訓をいかし、ホルスタインとなった今は妊婦授乳中ようの鉄分葉酸配合のお母さんのミルクを飲んでいる。
それからしばらく経過観察でそのまま横になっていた。室内は入室してからずっとクラシックの音楽が流れていたがようやくちゃんと耳に入ってきた。何曲か流れるなかに「愛のあいさつ」が流れていたのがすごく印象的だった。以前職場の後輩の披露宴で職場の新郎の職場の上司と同僚がピアノとフルートの合奏をしていて、それで知った曲で、改めて優しくてきれいな曲だと思った。処置が終わってやってきた太郎をみて一番に思ったのは、「なんだ、男の子っていうからどんな赤ちゃんなのかと思ったら、娘にそっくり」だった。
しばらく赤ちゃんを抱っこさせてもらった後、太郎は新生児室に戻っていった。旦那によると3700gはその日までに生まれた赤ちゃんでダントツででかく、見る人見る人が
「でかい子だね~。」
といっていたらしい。結局私の入院中3700gの記録を破った赤ん坊はいなかった。娘の出産のときは産んだ後はひどく興奮してたが今回は静かで穏やかな気持ちだった。
(出産ネタはまだまだ続く予定、たぶん)


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2006/07/18

陣痛がきた!

大分前のことになってしまいましたね〜
現在寝不足中です。あいかわらず携帯からの更新です。出産後は目の酷使はタブーで実際パソコンもまだ本気で見ると辛そうなので触ってません。コメントの返信できなくてすいません。
処置入院の前日の早朝、骨盤がメキメキっといって目が覚めた。前駆陣痛のようなものは何度も来ては去っていったので今回もスカだろうなと思っていた。しかし、メキメキは規則的ににやってきた。7時を過ぎると弱いとはいえいかんともし難い痛みが15〜20分ごとにきてその場で動けなくなる。この様子だと本格的にくるのは昼頃かなと思っていた。8時になりその痛みは10分おきになる。なんか弱いけど経産婦は進みが早いっていうしなということで、娘を保育園に送った後産院に電話して旦那に病院に連れていってもらうことにした。その時点でもたぶん私を産院において旦那は職場に戻れるのではないかと思っていた。産院につくと内診を受けた。早まってきてしまったのではないかとドキドキだったが、「子宮口が開いてきて出血もありますね。」と先生にいわれほっとした。嘘つき妊婦にならずにすんだ。その後入院フロアに案内され、NSTを受ける。ここでも再び陣痛が引いてしまわないかドキドキだった。弱いけど5分おきにはきていて安心した。無事入院部屋に案内された。迷わず個室にした。6月に改装したばかりで入院
室はピカピカおまけに室内にお手洗いもある。これがあるかないかで出産後の快適度が雲泥の差になる。看護師さんに「シャワー浴びます?」ときかれ、まだ午前中だしどうしようかなと思ったけどこれから陣痛はますます強くなり、分娩ともなれば次回いつ浴びることができるかわからないので浴びることにした。「準備ができたら呼びますから」といわれすぐにくるのかなと思ったらなかなか来ない。忘れられているのかと心配になりつつ部屋で談話室にあったマンガを読んでいた。旦那もその日は休暇をとることにしたらしく、2人でまったりと過ごしていた。ふと気がつくと陣痛の間隔が開いてきた。これはまずいと思っていたらシャワーの呼び出しがかかった。シャワーを浴び戻ると昼食がでていた。その日は魚のフライだったような気がする。とても美味しかった。朝せっかく大を出したのに今こんなに食べると分娩中ヤバイんじゃないか?今回はかん腸のお世話になってしまうのかと思いつつ食べてると突然あのいかんともし難い痛みが…。そんなに強烈ではないのだが座って物を食べるのが辛い。ベットに横になり深呼吸。こつは口から吐く方を強く。まだ吸って〜吐い
てで逃せる。それを3回くらい繰り返し、その間1度お手洗い(小)をした。最後は辛くて昼食ののったテーブルにたどり着けなくなった。結局昼食は半分しか食べられなかった。お手洗いから戻るとき、ちょっと液体がおりたような気がしたが、私の破水のイメージはびしょびしょになるくらい水がおりるイメージだったので気にもとめなかった。旦那は外に食事に行っていて不在。確かに起き上がれなくなったが陣痛の痛みはこんなものではなかったはずだからナースコールしてもしかたないしなとベットにエビのように丸まってひたすら耐えた。そろそろ呼吸くらいでは逃すことができないかもと思ったころ旦那が帰ってきて急激に弱っている私をみて驚いて腰をさすってくれた。旦那が「ものすごく痛そう」といった。確かに痛い。痛いときに「痛い。」と声に出したり、痛い顔をすると以外と痛みが楽になると娘の出産で知った。このときすでに痛みで弱っていた私は旦那には何か話す余裕はなかったが、そばにいたのが実母でもましてや義母でもなく旦那であることに心から感謝した。もし旦那じゃなかったら気を使って痛い顔はできないから余計辛かったに違いない。
少しして看護師さんがきた。私の変貌ぶりに驚いて「出血ありました?」と聞いてきた。さっきお手洗いに行ったときは気がつかなかった。そう伝えると、とりあえず子宮の開きを確認してくれた。「あら大分開いてるし出血もしてるわ。」と慌てて陣痛測定器をとりにいった。陣痛はあまり強くなかったらしいが大分子宮口が開いていたらしく、「もう別室に移りますか?移るとテレビないんだけど」その時私はもう「そうします」というのが精一杯だったが心のなかでこう叫んでいた「テレビはどうでもいいです。いまのうち一歩でも分娩台に近づかないとこの先体を動かせるかどうかわかりません」看護師さんは「ずいぶん我慢強いのね。」と感心していたが、スタミナのない私は痛みでどんどん消耗し、体を動かすのはもちろん声を出すのも苦痛になっていた。わずかに残された思考能力で「今回はここまできたから後戻りはできない。だが次回は陣痛を乗り越え分娩まで行き着く自信がありません、3人目はなしってことで。でも子持ちの人はみんなこれを乗り越えたんだな〜大したもんだ」などと考えていた。だが妄想ずきの私もそれいじょう何も考えられなかった。案内さ
れた部屋は分娩をまつ部屋だと思っていた。その時はもうわけのわからない痛みが次々にきていた。呼吸をするのがやっとだった。これがいつまで続くだろう?いきむ元気は残ってるかな、そればかり考えていた。そうこうするとうちオマタにぐっと圧迫感が。「来た。」そう思った瞬間旦那に言った「ナースコールして」看護師さんに「いきみたいです」と伝えた。娘のときはすでに腹の上の方がへこんできているのに、「まだですね。」と言われ、いきみたくてもいきめない辛さを味わった。今回は母親教室で「いきみを逃すにはヒッヒッフーのあとウンで肛門に力を込めるといい」と知った。まだヒッヒッフーにいかないうちだったのでナースコールしても「まだです。いきみを逃して下さい。」と言われるのかと思ったら、「分娩に入ります」と言われた。え、本当ですか?と思っった。分娩待機室だと思っていたその部屋で分娩するらしく、看護師さんが慌ただしく準備を始めた。移動しなくていいのはありがたかった。分娩編に続く。

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2006/07/13

旦那は宇宙一

今回の出産にあたって、旦那はすごく頑張っているとおもう。男女共同参画推進本部(?)から表彰されてもおかしくない活躍ぶりだ。自分の身内を誉め讃えるのはあまり知的な行為ではないと思うが私はあえてアップする。
陣痛で弱りきった私の背中をさすり、分娩に付き合い、私がいきみきれず「もうだめ。」と雄叫びをあげた瞬間太郎はちょうど鼻半分までしかでておらず苦しそうだった姿を目撃し、赤ん坊の大きさに先生が2ヶ所目の切り込みを入れたのを目撃し、私が入院中も仕事を終えてから娘を連れて産院通いをしてくれた。
退院して最初週、私は授乳とオムツ替え以外はしていない。我が家に手伝いをしにきている親族はいない。そういう約束のもと2人目に踏み切ったが、それにしてもよくやっているとおもう。また、そういう旦那にたいして理解しているかはともかく黙認してくれる職場にも感謝したい。
お土地がら、出産にあたっては実家や親族が協力してくれるママがほとんどなんだろうなって思っていたけど、産院で一緒だったママさんたちも実母は仕事をしていたり、出産直後に旦那様の転勤が決まったり、海外赴任で出産後すぐに旦那様は成田空港に向かったり、自分の実家は頼れても旦那様は平日は夜遅くまで仕事で土日も家をあけることが多かったり、じいちゃんはいてもオムツをかえられないから入院しながら上の子の子守をしてるママもいた。
お金をだせば少子化は解決するのかな?女性が仕事をするようになったら少子化が進んだのかな? 男女の生き方は人によりいろいろだと思う。仕事に生きる人生、それもいい生き方だと思う。でも少子化に関して、職場が考慮していかなければならないのは子供をもつ女性だけじゃないと思う。そして考え方を変えなければならないのも女性だけじゃないと思う。

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