2007/03/31

パラダイス、復活!

旦那が1泊2日の出張にいってしまった。
ついに来た!例の野望を果たすとき!
その野望とは、
ファボーレの湯にて親子3人風呂も食事もすますこと
娘が1歳になり職場復帰して6ヵ月後に富山に転勤して以来、常に疲労しっぱなしで頭がぼんやりしていて車の運転が怖かった。一応県庁所在地ということで結構車の運転に神経を使う場所が多い上、太平洋側で育ったため日本海側だとどうも方向感覚がくるい、なかなか土地勘もつかめず、進んでは車を運転しなかった。太郎妊娠中は全く運転をせず、出産後もなんだか疲労が続き車の運転が面倒な日々が続いていたが、最近平気になってきた。休日のショッピングセンターはやはりよほど追い込まれないと行きたくないが、平日ならどこへでもでかけていけるようになった。太郎をつれての大浴場でも入浴も大分慣れてきて、旦那も一緒に4人では何度かファボーレの湯に行き、もう伝い歩きもできるくらいしっかりした太郎ならなんとか自分1人でも娘を連れていけそうな気がしてきた。旦那が出張のときは4時に保育園にお迎えに行く。保育園だけあって、お友達はみんな5時6時までいるため、娘は保育園に残りたがりパパがいるときはいつもどおり仕事が終わってからお迎えに行ってもらっている。娘の保育園は職場にすごく近い。旦那がいないとやっぱり4時には迎えに行かないと太郎をみながら風呂や食をするとどうしても寝る時間が遅くなってしまう。復帰してからも旦那が泊まりの出張のときは早退しようかなと思っている。私の子供の生活は私が積極的に守ってやらないとだれも責任はもってくれない。こんなこといったら旦那様は仕事でほとんど家にいないのに実家は頼れない有能専業主婦の皆様には怒られそうだが、やはり子供2人の面倒をみたうえ、食事風呂までやるのはつらい。
だから行くのさファボーレの湯!
行けば風呂も食事もそこにある!
以前家族4人でいったとき、娘と太郎をつれて風呂にはいったとき、太郎を抱えたままシャンプーしようとしたら、見かねたたまたまそこにいたおばさんが
「抱っこしてあげる。」
(と富山弁で)行ってくれた。富山ではよくあることだが、洗い場で裸で赤ちゃんを抱っこしててもらうのはやっぱり申し訳ないなと思った。今回は赤ちゃんチェアー持参で行った。これなら親切なおばさんに迷惑をかけることはない。車で保育園に娘を迎えに行き、そのままファボーレの湯へレッツゴー!入浴は滞りなくすますことができ、食事にも無事ありつけた。娘はいつものお子様ランチとポテト、私と太郎はなめこおろしうどん。そしてさらに私は好物の鳥のから揚げを頼む。栄養面でどうかという話もあるが、その分家で作るときは野菜や魚を多くして、塩分と脂肪は控えればよい。食事はセルフで品物をもっていくのだが、お盆が2つになってしまい、むすめのお子様ランチを運んでいたら、から揚げとポテトを違う同じ品物を頼んでいた人に奪われそうになったりした。(できあがると番号札の番号を呼ばれる)無事太郎が食べ物をこぼすことなく食事も終了に近づき、
「ああ、やっぱりパラダイス」
と思った瞬間、娘がお子様ランチのオレンジジュースをこぼすというハプニングもあったが、やっぱりやめられない。それから数日後、4月に今度は2泊3日の出張が入ったと旦那に告げられるのである。
どーなる2泊3日出張、乞う期待!(?)

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2007/03/24

僕のものは私のもの

僕のものは私のもの
太郎の目新しいおもちゃ類はすべてお姉ちゃんである娘が遊び倒します。ちょっとは子守の手伝いをするかなと思って5歳はなしましたが、5歳になっても小学生になってもやっぱり赤ちゃんに嫉妬するとわかりました。USAの学者の書いた育児の本に、「子供に子守をさせてはいけない」とありましたが、単純に安全面だけでなく、幼児はそもそも愛情を注いでほしい生き物で、そういう生き物にいきなり実質的な小さい子供の世話を期待することは残酷なことなのかもと思いました。弱いものに対するいたわりや優しさを育てることがまず必要なのかも。
ちなみに太郎や服やおもちゃは主にお姉ちゃんのお下がりで、太郎のものってあんまり買ってないな〜。
この歩行機は娘の1つ年上の従兄弟のお下がりで娘も赤ちゃんの時使ったけどその時は嫌いてほとんど乗らず、食事の机がわりでした。

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2007/02/16

やさおとこ

飛行機で友人を訪ねるの巻
昨年末、体調が悪くて休職していた友人の体調が急に悪くなった。すぐにでも様子を見に行きたかったが、年末年始は実家を行ったりきたりして電話もできなかった。年が明けてからも一度実家に帰省していて飛行機だったから彼女の家のすぐそばは通過しているのだが、飛行機のあとの交通機関のこともありよることができなかった。
私1人ならなんとか時間をつくってしまうし、赤ん坊だけならなんとかなったのかもしれないが、子供2人移動するとなかなか寄り道は難しい。そこで2月になったら太郎だけ連れて日帰りしようと思った。友人の家は羽田空港のそばなので、朝の便でいって夕方の便で帰れば割と時間はある。しかも、どこかへ遊びに行くというわけではなく、自宅療養している友人の家でまったりと過ごすだけなので。オムツがえや授乳の心配もさほどしなくていい。結局もう1人の友人のご好意でホテルで1泊することになった。
何が心配って9時ごろの飛行機に乗るため、7時すぎには家をでたい。起きられるかだけがものすごく心配だった。それと、今太郎の離乳が始まり食事のタイミングがうまくあうかが心配だった。娘と一緒のときは2席を占有できるので、窓のある席をとれば隣にいるのは娘なので、万が一の場合は平気でおっぱいがあげられる。でも今回は太郎と2人でどうしても隣に他人が来てしまう。ちゃんと授乳服をきてスカーフをかぶってもやっぱりいやな人はいやだろうなという思いがあった。
それでも最近は「騒ぐよりいいだろう!」ファミレスとかでは遠慮がちにしてしまうが、年末とあるファミレスで一応離乳食を与え、哺乳瓶でお茶をあげてみたがやっぱり不機嫌でしょうがないので授乳服にスカーフで授乳をした。すると横の席にカップルと彼女の女友達とうなんだかおかしな組み合わせのグループがしかも勉強していて、カップルの男がが異様に興奮し始めてしまい、なんかわるいことをしてしまったような気持ちになった。望まない妊娠をしていなければいいのだが。
幸い、行きの便はそんなに空いてはいなかったが隣にだれもいなかった。いちおう搭乗口に入る前に授乳したが、太郎はあんまり興味をしめさずあまりのまなかった。飛行機に乗ってから少しだけパンをたべお茶を飲んだだけで寝てしまった。
無事羽田について、電車に友人宅の最寄り駅についた。友人宅には何度か行ったことがあり、1人でもいけるだろうと思ったが、駅は大きな交差点のそばにありなんかみたような店や建物がそれぞれにあり、迷ってしまった。
地図も持っていて、なんとか正しい道を歩いていたような気がするのだが歩くに従い自身がなくなり、友人がよくいっているといっていたそば屋らしい店をすぎたところでEZナビウォークを立ち上げた。道の途中で座り込み、手帳を出し住所を確かめ、EZナビウォークを立ち上げた。赤ん坊の身の回りのものと赤ん坊8kgを抱っこしていていると自分の身1つで歩いているのとは全く勝手が違う。雨が降ってなくてよかった。ようやく立ち上げると方向は間違っていなかった。それから少し歩くと友人のマンションについた。助かった。全く逆方向に行っていたらどうなっていたことか。
無事友人宅に着き、おしゃべりしていたらあっという間に昼過ぎになりおみやげの鰤・鱒の二段寿司を食べた。昆布巻きかまぼこもたべたのだが、あんなにおいしいものだとはしらなかった。今回のは源のじゃなくて、ちょっと味が薄かった。とても愛想のいい太郎だが、6ヶ月をすぎ自分の周りのことがわかるようになってきたため、最初始めてくる友人宅と友人に緊張気味だった。飛行機で少し疲れたのもあると思う。だがそのうち慣れてきて笑顔もでるようになった。
もう1人友人が合流することになっていたが、ちょうど立て込んでいたらしく、3時くらいに合流していったん席をはずすといっていたのだが、結局夕方になるまで一緒にいて夕飯も一緒に食べることになった。せっかく人数もいるので鍋にしようということになった。最寄のスーパーで適当に材料を買い、仕事が終わり帰宅した旦那様も交えて鍋をつついた。合流した友人の作ったとり団子は絶品だった。旦那様のおみやげのストロベリーモンブランもおいしくいただき、しばしまったりしたのちお暇した。外出が結構しんどい病気の友人であったが、ホテルまで一緒にくることになった。半月前に最初に電話したときはものすごく体調悪そうで心配だったが、実際あってみると思ったよりは元気そうでよかった。でも気を使って無理してたんじゃないかとちょっと心配。
帰り際、旦那様をほめちぎるにあたり、「やさおとこ」と大声でいってしまい、合流した友人に
「それはほめことばじゃないよ。」
といわれ、青くなり帰宅後さっそくヤフー辞書で検索した結果
1 姿かたちが上品ですらりとしている男。また、性質のやさしい男。
2 風流・芸術を理解する男。風雅な男。みやびお

みろみろほめ言葉じゃないか?って私は男性ホルモンメキメキのワイルド系男子は苦手なせいもあるが、合流した友人はワイルド系が好きだからってことなんだろうか?途中さきに太郎だけお風呂に入れつつ、ホテルでも大分おしゃべりをして気がついたら日付が変わる寸前、太郎は寝ていたし普段なら別段気にもしないのだが、さすがに病気療養中で旦那様も心配するだろうということでお開きとなった。
その後幸い太郎は寝ていたため、もう1人の友人のくれた入浴剤でゆっくりお風呂。でもさすがにいつもと違う場所とわかるのか、泣き出し慌てて服をきて太郎を友人から受け取る。
太郎は日ごろから離乳食に積極的ではないが、この日はさらに食べなかった。7ヶ月のレトルト離乳食をもっていったがほとんど食べずに捨てた。やはり慣れない場所に寝泊りするということでやや神経質になっている感じはあったが、ほとんど問題はなかった。一緒に泊まった友人も何かと気を使ってくれて助かった。
翌日は11時近くの便で、旅行客しかいないんじゃないかと思ったらほぼビジネスマンで、隣の席も典型的なおじさんビジネスマン。帰りは太郎はほとんど寝ず、となりのビジネスマンが気になって手を出そうとするのでひやひやした。疲れたのか少しぐずったので、大騒ぎされるよりはいいだろうと思って授乳服&スカーフでおっぱいをあげてしまった。ほぼ9割サラリーマンのなか、欧米人の赤ちゃん連れの女性が乗ってきたのだが、CAさんが子供にくばるおもちゃを断っているのが印象的だった。私なんて勧められるとついついもらっちゃうんだけどな。やっぱいらないときはきっぱり断ったほうがいいよなと思った。ANAのおもちゃは種類が少ないので、同じのが結構集っている。しかもビジネスマンの多い便は子供づれへのサービスも結構いい加減だ。
今回は飛行機までバス移動で、バスは優先搭乗だが同じバスに通常搭乗のお客さんも乗り込んできてしまう。
今回は赤ん坊1人だったからいいけどこれで娘連れで階段をゆっくりのぼってたりしたらビジネスマンにうっとうしがられるんだろうなと思った。私以外にも1人足が少しだけ不自由な老人の方がいたが1人で機内にのりこんでいた。バス利用の搭乗は階段を使うから危険がともなうんじゃないだろうか?もしかすると本人の意向なのかもしれないけど、サービスを売りにするなら一言職員が声をかけるべき場面だったんじゃないだろうか?ビジネスマンのかたがたはそんなことにはまったく無関心だった。最近女性を産む機械とと発言した政治家がいたけど、きっとそういうふうに産む性の人たちに無関心だからそんな発言をしたんだなと思った。おそらくあの場の人たち、職員も乗客も含めて少しだけ足の不自由な人に無関心だった。
2児の母親となった私は、
「それって優しさも余裕もなくて怖いよな。」
と思った。私も子供もいなくて、あのビジネスマンの群れの一員だったら同じように気がつかなかった1人かもしれない。自分がこれから子供をもつ人間としていかに社会に関わっていくべきかを改めて考えた。バスに乗らずに搭乗できるときは搭乗口にベビールームがあったが今回は気がつかなかった。
無事富山空港に着陸し、普段なら最後までまっているのだがとなりのビジネスマンのおじさんに悪いと思って通路の人が切れたところですぐにでた。
無事赤ちゃん連れで飛行機にのって1泊して帰ることができた。産休にはいっていらい、窓の外から飛行機をみるたび
「次回はいつのれるのかな~。」
と思っていたが、意外と早かったな~。
また乗れるかな?

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2007/02/09

楽しからずや動物園

1月の出来事
年末は御用納めまで出勤した旦那は新年は次の土日まで休暇をとった。私の実家からは3日には戻ってしまったので、平日4日は何もすることがなくなってしまった。旦那が娘に
「ディズニーランドに行くか?」
ともちかけたのだが、正月テレビで動物園を見て、
「動物園に行きたい。」
と言い出した。私は久しくあのねずみ園にいってなかったので、ディズニーのほうがよかったのだが、娘に前日最終確認したところ、
「動物園。」
と答えたので、上野動物園に行くことにした。4日は甥はパパとママが出勤のためおばあちゃんが面倒をみることになっていた。幼稚園はまだ休みだった。私と旦那で面倒見るから一緒に連れて行くよといったのだが、上野なら近いからといってばあちゃんも一緒に行くことになっ、。このとき、大人は全員、
「どーせ子供たちは午前中であきるだろうからお昼すぎに帰るだろう。」
と思っていた。娘と甥がけんかをしないか心配だったが2人ともとても楽しそうでずっと仲良しだった。結局帰宅したのは4時くらい。子供同士でいるのは楽しいらしい。これが大人だけで相手をしていると、大人のほうが疲れてしまい、子供もすぐにたいくつになってしまう。
私もこれまでの人生何度か訪れている動物園、最近はテレビなんかでありとあらゆる動物をみられるから別にこれといった感激もないだろうなと思っていた。娘と甥が楽しくすごせればそれでいいやくらいに思っていたが、久しぶりに生でみる象やキリンやおサルたちに自分が感動してしまった。いくら撮影技術があがったとはいってもやっぱり生は迫力が違う。最近いろんなところにアミューズメントパークができ、そんなに人もいないんだろうなと思っていたが、冬休みなのもあり開園直後の入り口は子供づれでいっぱいだった。
今日はパンダもゆっくりみられるんじゃないかと思ったが、パンダコーナーは人でいっぱいだった。帰りにくれば空いてるかと思ったけど、結局2時すぎに戻ってきたときもまだ人でいっぱいだった。私はベビーカーで太郎を連れ歩いていたため一瞬しかみられなかったが、その日のパンダはとても活動的で、甥や娘たちによると足をあげておしっこするところまでみられたらしい。私の生パンダの記憶といえば、いつも丸まって寝ているだけなので動物園のパンダとはそいうものだと思っていたがそうでなかったらしい。
天気もよくて暖かい日で、結局お昼ごはんを動物園のオープンカフェで食べることにした。ところで、上野動物園って昔からビーバーはいたんだろうか?私は生まれて初めてなまでビーバーが枝をせっせと運ぶところをみて感激してしまった。コビトカバの子供は太郎とそっくりで笑ってしまった。
動物園はやっぱり楽しい。何度いっても楽しい場所だ。自分が子供のころ来た場所に自分の子供を連れてこられるってすごく幸せなことだと思う。戦争のときの動物園の象の話をふと思い出しそう思った。

上野動物園赤ちゃんおでかけ情報(2007年1月現在)
お手洗いにオムツがえ台あり(ないお手洗いもある)
授乳所は表門そば総合案内所・池之端門案内所にあり
池之門案内所の方を利用したら、救護室と兼用だった。
ベビーカーは300円で貸してもらえる。
でも利用できるのは7ヶ月くらいからだと思う。
意外と赤ちゃん用の設備が充実していて驚いた。

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2007/02/02

実家に避難民

私の実家には病人がいるため、実母は富山に手伝いにくることはできない。だから出産と産後は旦那のがんばりで無事乗り切ることができた。しかし、その頼れる旦那も出張に行ってしまう。1泊2日ならなんとかがんばれるが、2泊以上になるとちょっと目の前が暗くなる。
「こっちに来てもらうのは構わないから。」
という実母に甘え、2泊以上になると避難させてもらっている。
最初は9月の終わり、旦那が東京で1週間の研修を受けたとき。次は12月につくばで会議があることになり、一緒に上京し私と娘と太郎は私の実家に行くことにした。水曜日から土曜日の朝までの3泊4日だ。
旦那がいないと何が大変かというと、まず保育園の送り迎え。これは旦那がほとんど家にいないママさんにはぶっとばされそうだが、駐車場がせまい上やたらと雨が多い富山は結構つらい。現在太郎に合わせて変則的な睡眠のため、早起きはできない。世間から非難ごうごうかもしれないが、最近我が家は旦那が起きて娘に朝ごはんを食べさせて保育園に連れて行く。(朝ごはんは最低ご飯と納豆があり、できるだけ味噌汁をつくっておくようにしている。冷蔵庫にお惣菜がはいっていることもあるがそれは気がついてもらえない。)
そしてお風呂。腰が据わらない赤ん坊をママ1人で入れるのは至難の技。娘5歳まだまだすべてを1人でできるわけではないし、4歳まで蝶よ花よとかまいすぎ、ほっておかれるのが大嫌い。全国の1人で奮闘するママがみたら激怒だろう。だが、ほとんど育児にタッチしていないパパは是非うちの旦那のような人がいることを心にとめておいてほしい。ちなみに私はそれを全くしなかった男の悲しい結末を私は現在目の当たりにしている。
ちなみに私の実母は「母性の人」ではなく、「理性の人」である。母が結婚した当時の時流に流され、先生に紹介してもらった都会の仕事を断り地元に就職し、結婚と同時に退職してしまったがおそらく専業主婦よりは働くほうがむいていたと思う。そんな実母だから、小さい子供の子守はあてにはならないがとりあえずいけば風呂の掃除と手伝いならびに食事のしたくはやってもらえる。
しかし現実思ったほど甘くなった。やはり病人がいることには変わりなく、普段の倍に増えた人間で一つ屋根の下過ごすのはなかなか大変だった。常に自分の予定したことを手順どおり手を抜かずにこなしたい母はパニック。私は赤ん坊の相手で手が離せず、普段はパパに構ってもらっている娘は寂しくてたまらない。娘も私の躾の悪さもあるのだと思うが、周りの空気をよめずてんてこ舞いのの実母に自分のできることをみせびらかしたがる。実母は質実剛健倹約質素の人なので、みせびらかしいは大嫌い。娘はおばあちゃんにほめてもらおうと必死なのがわかるので、見ていてひやひやした。
9月の避難民生活で、
「ああ、娘を少し甘やかしすぎた。」
と反省した。母は感情を表に出すのをよしとしない人だ。子供に愛情がなかったわけではないと思う。母は生きていくのに必要なことをたくさん教えてくれた。でも愛情があるかどうかについては何のメッセージもくれなかったし、私がどうであるかはあまり認知していなかったように感じていた。だから娘が生まれてから、まず娘がどう思っているか、どうしたいかを最優先で育てていこうと思っていた。
3歳まではそれでよかった。4歳は私が妊娠して、体調も悪かったし、赤ちゃん返りをしたり下の子を嫌ったりするのは困るとすこしやりたい放題させすぎてしまった。5歳の娘は5歳にしては少し我慢したり周囲の様子をみたりする力が足りないと感じるようになった。実母もそんな娘に少しあきれたのか大分厳しいことを娘にいっていた。
富山に戻ってから、娘に対してやるべきことはきちんとやる、できることは自分でやるようにだめなときは怒るようにした。5歳児にわかるように正しいこと説明し、ときには泣き喚く娘をしかるのは心身ともに消耗する。親の愛情を注ぐのはたのしいことばかりじゃないと思い知った。
12月、今度はつくばの出張で実家に帰った。9月以来、
「千葉のじいじもばあばも東京のばあばも子供のころはすごく頭がよくてお行儀がよかったんだよ。
あんまりばかなことばっかりしてると嫌われるよ。」
と言い聞かせていたので、最初のころはだいぶおりこうにしていたが、やはりパパがいないと甘える人がおらず、保育園も休んでいて遊び足りず、私は太郎に気をとられるため最終日近くなるにつれて娘の機嫌は悪くなっていった。実母はやはり9月に厳しくしすぎたと思ったのか大分優しくなっていたが、やはり普段より人の多い家事をこなすのにパニックを起こしていた。
12月は24日に義父の法事で東京に行くため、それから旦那の仕事納めまで実家にいると以前から言ってあった。その直前1月にまたしても火曜日から金曜日まで出張が入った。もしかして断られるかもと思いつつ、実家に電話すると、
「別に構わないわよ。」
とのことだった。
12月24日、実家につくと実母は相変わらず歓迎してくれた。できるだけ手伝いもする心積もりだったが、母はあいかわらず自分でやると決めたは自分でやっていた。しかしさすがにつかれていたのだろう、弟がはやりのノロウィルスと思われる風邪をひき母にもうつった。私は看病体制に入るつもりだったが、結局ほとんど母がやってくれた。法事の帰省の直前、富山の我が家でも私と旦那がノロらしい胃腸の不調を感じていた。太郎は帰省の直前から下痢気味で、夜中にうんちをして泣いた。うんちが出る直前お腹がいたかったのかもしれない。そのため、帰省する直前から毎晩太郎の夜中うんちの世話で疲れていた。千葉の実家でいったん下痢はおさまったが、弟の発症とともに再び太郎は下痢が始まってしまった。幸い熱もなくおっぱいは飲んでるし脱水症状もなかったので病院にはつれていかなかった。29日に東京に行くまで、母は無口で今度こそ本当に懲りてしまったのではないかと思った。正月2日、一家で新年の挨拶で千葉の実家を訪れると母はすっかり元気で、歓迎してくれた。年末の一件があったので、新年は1泊だけにして朝ごはんだけ食べて帰ったのだがなんだか名残おしそうだった。
1月、これまでは旦那とともに車で帰省していたのだが初めて私だけで娘と太郎を連れて飛行機で帰省した。
9月の帰省のときも東京から千葉の高速バスは私だけで乗ったのだが、このときは太郎がまだ首が据わるか据わらないかくらいだったため実父に一緒にバスに乗ってもらった。今回は太郎の腰もだいぶ据わり、1人で小見川まで行けるかなと思ったが、実父が羽田から高速バスの乗り場まで送ってくれた。実父は今でも嘱託で東京で週何日か仕事をしている。そのためバスは1人で乗った。
9月のときは太郎は途中何回か少しだけぐずった。今回飛行機はどうなるかなと思ったが、バスも飛行機も少しだけ寝ぐずりをしたが、ほとんど寝ていた。一番心配だったのはモノレールだったが結局行きも帰りも実父がいてくれた。飛行機は実際機内にいるのは1時間、飛行場は授乳場所もオムツがえの場所も絶対あるから心配ない。
搭乗や機内でも職員の方が親切にしてくれて心強かった。富山便は子供にとても親切だったJALがなくなってしまい、以前子連れに厳しかったANA便だけになり心配だったが、今回はとても優しかった。電車やバスは授乳やオムツ換えがすごく心配だ。赤ちゃんの手荷物は大きいし都会の人ごみで赤ちゃん連れで娘を連れてあるくのはかなり心配だ。神経も使ってかなり疲れた。
ラクをしたくて実家非難を試みたのだが、家では気を使い移動も結構疲れる。普段なら冬の関東はいつも晴れていて洗濯ものもすぐかわくのだが、今回は雨にみまわれることが多く増えた洗濯物を乾かすのにも迷惑かけてしまった。そして帰ると富山はやっぱり天気が悪くて洗濯物で苦労した。それでも実家の家族は太郎や娘と過ごすのは格別に楽しいらしいのがせめてもの救いだ。
ちなみに、法事のあと私が千葉の実家に戻るというのをきいた義母から、
「そばにマンションあるんだからこっちにいればいいのに。」
とものいいが入ったらしい。次回旦那が関東の出張の折は東京に滞在することになると思う。
なんてったって気立てのいい嫁だから・・・・。
でも孫のことを気にしてもらえるのはありがたいことです。

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まだまだ続く病院通い

12月の出来事
耳鼻科の先生に、
「もう大丈夫ですよ。」
といわれて数日後、夜12時まで起きてる太郎が今度は寝ても鼻がつまって2,3時間おきに起きる。呼吸もしづらいのか、抱っこして寝付いて体が暖まって鼻が通るまで横にすると再び泣いてしまう。1日目はそれでもなんとかやり過ごしたが、2日目とうとう明け方まで寝なくなってしまった。鼻は苦しそうだが熱は36度、寝不足でだるいしどうするか迷ったが病院へ連れて行った。もし風邪なら、娘がつくばのころに小児科の先生がいっていた、
「この薬は眠くなる薬なのでお母さんもらくですよ。」
という眠くなる風邪薬がでるのではないか?そんな腹黒い気持ちもあった。病院にいって、熱を測ると37度ありやっぱり風邪を引いていたらしい。病院には鼻水やせきの子供たちがいっぱいでどうやらはやっていたらしい。診察を受けうると気管支炎をおこしやすい風邪がはやっていて、検査をうけたが結果は±。とりあえずアレルギーではなく風邪なら薬で何日かたてば治るので安心した。外耳湿疹になってから、アレルギーが心配だった。
期待していた通り、眠くなるから車を運転する人は飲んではいけない風邪薬と鼻づまりの薬がでた。私も寝不足で翌日は旦那に昼から帰ってきてもらって太郎の子守をまかせ、思いっきり寝た。3日経ち薬が終わり、どうしようか迷ったがやはり夜中鼻が苦しそうなのでもう1度病院に行った。一晩中抱っこしてあげればすむことかも知れないが、私が倒れてしまうとだれも太郎の面倒を見てあげられなくなるし、やはり短気集中で治してしまったほうがいいのではないかと思ったからだ。結局このときも、初日は少し熱をだしたが高くはならず、いつもよりやや元気がなく機嫌も悪かったが最初の薬が終わった時点で日中は大分元気だった。病院で診察を受けたときも、お医者さんや看護師さんに笑顔を振りまき、先生には
「もう元気だね。」
といわれた。
一応鼻水の薬がでた。
これで一安心。太郎の通っている小児科は、割と人気のある病院で薬の種類も多く、必ずシロップで薬を出してくれてスポイトつきの瓶でもらえる。耳鼻科は小児科ではないので粉薬になってしまう。病院通いといってもそんなひどい病気じゃなかったのはむしろ幸運だったのだと思う。でもやっぱり12時に寝て朝までに2度授乳で起きる生活は続いた。
「ここ数ヶ月の辛抱だから。」
と思いつつも眠く気だるい12月だった。この後、またしてもどうやらノロにかかったらしく、下痢気味で日に何度もうんちをして夜中はお腹も痛いのか泣いてうんちをする日が続いた。実家に帰っていたのと、別に熱はでなかったためいってももらうのは整腸剤だろうし、脱水症状の心配もほぼなかったため、病院にはいかなかった。でも年末年始は寝不足でぼーっとして実家にいるにもかかわらず、ろくにお手伝いもせず終わってしまった。

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2007/01/29

太郎病院通いの日々

太郎5ヶ月11月のできごと
それは11月のある晩のこと、風呂上り太郎の頭のあたりで異臭が。ぎょっとしてにおいの発生源を探すとそれは耳だった。
げ、耳から異臭。
翌日さっそく耳鼻科へ連れて行く。幸い中耳炎にはなっていなかったが、外耳湿疹だった。そういえば太郎はときどき耳をドラえもんの手のようなこぶしでぐりぐりしていた。湿疹が治まるまで毎日通院して薬を塗ってもらった。
耳のなかにそれもステロイドを塗っているので仕方ない。時を同じくして11月の白山スーパー林道ドライブのあと、案の定娘は風邪を引き保育園を休んだ。初日は熱をだして静かだった娘も、翌日は微熱はあっても元気になり遊び相手をしながら赤ん坊の面倒をみて大変だった。世間の有能専業主婦の方には怒られてしまいそうだが。
それがうつったのか太郎が大量の鼻水をだし、薬がでた。5ヶ月で粉薬かと思ったが、幸い太郎は4ヶ月からミソを入れる前の出汁で野菜を煮た汁をスプーンであげていたため、スプーンでものをのむことはできた。太郎は4ヶ月から野菜スープもどきをあげている。3ヶ月から便秘をするようになり、母乳不足が心配だったからだ。
娘も3ヶ月のころ一時うんちが3日に1回になったことがあり、まあそんなものなんだろうとも思ったが、うちの味噌汁は出汁を昆布と煮干でとっているので、もし母乳が足りてなかったときの栄養補給にもなるし、昆布が便秘にもいいのではないかとおもったからだ。結局離乳食をはじめたころまでうんちは2、3日に一度だったが、おかげで薬を飲ませることができてよかった。1ヶ月検診でおちゃめな女医さんのいっていた通りにしておいてよかった。
このおちゃめな女医さんには
「母乳の子は6ヶ月までまってしまうと知恵がついておっぱい以外のものを受け付けなくなることがあるので4ヶ月から野菜スープを上げてみてください。」
といわれていた。母乳育児を推奨する人のなかに、
「母乳以外のものは一切あげなくいい。」
という人がいる。
2人目をうんだ私は
ノー
だと思う。今回薬をのませなければならないとき、つくづく思った。
それと、太郎は4ヶ月で哺乳瓶を受け付けなくなってしまった。常にお母さんと一緒にいられる生活ができるならいい。でも、そうでないこともある。最近お母さんの息抜きを奨励する傾向があるが、おっぱいしか飲まない子はおいていけない。お父さんの育児を奨励しているが、よほど意識の高い人でなければおっぱい星人になってしまってしまいママと離れなくなった赤ん坊をみて赤ん坊の世話をあきらめてしまうのではないだろうか?パパ以外に手伝ってくれる人がいるならいいが、そうでない場合ママ1人で赤ちゃんの世話と家事をするのは大変だ。私は2人でおしまいにしようと思っているが、もし3人目を産むとしたら、もちろん母乳にはするが哺乳瓶も使うようにしたいと思う。幸い私は1歳まで育児休業がとれたから、なんとかそれまでに日中のおっぱいはやめさせるつもりだが夜は本人が納得するまであげようと思っている。復職後の宿泊の出張がちょっと心配だが。
母乳を奨励するのはいいことだ。しかし人には人のライフスタイルや都合がある。それに対する支援もなくただいたずらに母乳を推奨するのはいかがなものかと思う。
それでもやっぱり最初のうちは、薬を飲ませたと思ったら昼になり夜になり、気がつくと1日が終わっていた。娘が保育園に復活した日太郎の薬も終わり、もう大丈夫だろうと思ったらなんと太郎の耳から耳垂れが・・・。え、薬飲んでたのに・・・と思いつつ再び太郎を連れ耳鼻科へ。中耳炎だった。娘もさんざん世話になった先生曰く、
「お姉ちゃんといっしょで、鼻水が耳にまわって中耳炎をおこしてます。」
最初の薬は鼻炎の薬だったが今度は抗生物質がでた。ああ、またしても投薬の日々。中耳炎は3日分の薬で治まったものの外耳湿疹でやっぱり3日ごとに通院。ようやく治って一安心と思ったら、太郎は夜中1時まで寝なくなった。どこまで体力がもつか?娘の発表会もあるのにと思っていたがなんとか発表会も無事終わった。
発表会の翌日の月曜日、ようやく健康になった太郎をつれBCGの予防接種を受ける。ポリオは保健所での集団接種だったため、初めて病院でうけたので市から送られてきた問診表は忘れず持参したのだが、接種券を忘れてきた。
「接種券取りに帰っていいですか?」
と看護師さんに訴えた私を見て、側にいた小学生とおぼしきの孫を病院につれてきていたおばあちゃんが
「抱っこしててあげようか(と富山弁で)。」
声をかけてくれた。
今は少し人見知りが始まったがそのときの太郎はだれかれかわまず笑顔の大安売りの非常に愛想のいい子だった。そのときもそのおばあちゃんにさんざん愛想をふりまいていた。外は雨で、病院までは抱っこで歩いて来ていた。
「じゃあ、抱っこしてもらってみて泣かなかったらお願いしていいですか?」
おばあちゃんに太郎を渡すと、太郎は平気だった。
「お願いしていいですか?」
というとおばあちゃんは
「大急ぎでいってこられ。」
というので、
「お願いします。」
といい、私はダッシュで家に戻り、ダッシュで病院に戻った。
家から娘のバレエを観に来た実父のおみやげのおまんじゅうを数個袋にいれ持ってきて、おばあちゃんに
「これ召し上がってください。」
と渡そうとしたが、
「いいが、いいが。」
といって受け取ってもらえなかった。
後日東京の義母に話したら、
「まあ、こわいことしないで~。」
といわれたが、富山では本当に気さくに赤ちゃんに話しかけたり手を貸してくれようとするおばさんが多い。5年前富山に引っ越してきたその日、ファミレスでまだ1歳だった娘を連れてお手洗いに入ろうとしたらやっぱりおばさんに、
「赤ちゃんだっこしましょうか?」
と声をかけられた。娘は知らない人に抱かれるとおお泣きする子だったのでお断りしたが、ずいぶんと気さくなお土地柄だなと感心してしまった。
太郎のBCGを終え、ほっとしたら今度は娘が、そのころ大流行のノロウィルスに感染した。娘もさすがに疲れていたのだろう。保育園を休んだ娘はやっぱり初日はぐったりしていたが2日後には元気になり、外に行きたいと騒ぎ出す。保育園には医者の登園許可がでるまでいけない。火曜日に発病した娘は薬が終わるのは休診日の木曜日。実は午前中だけみてもらえたのだが、そのときは知らなかった。金曜日、午前中診療開始と同時に行ったが終わったのは10時。ほとんど熱はでず、下痢もそれほどひどくなく、2日目以降は元気だった娘は当然登園許可をもらい、いそいで保育園につれていった。
そんなことをしているうち気がつけば12月だった。12月もやっぱり病院とともに始まるのだった。

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2006/11/17

10月の出来事その他

太郎生誕100日を超え、日枝神社にお参りとお食い初めをした。関東では生後1ヶ月で行くのがメジャーだが、富山は100日参りが主流のようだ。生後1ヶ月になる直前に義母が富山にきたため、そのときに写真だけはとったが予約をするとき写真屋さんが少し不思議な顔をしていたらしい。そういえば富山の写真屋さんの赤ちゃんはだいたい笑顔で可愛い衣装をきていてなんでだろうと思ったら3ヶ月になっているからだとそのとき知った。1ヶ月だと寝たり泣いたりしていない顔をとるのが大変だ。
娘のときはちゃんと着物を着てお参りをしたが、太郎は1ヶ月のときはまだでかける元気もなく暑かったこともあり、
「じゃ、100日で。」
ということになった。
そして100日を過ぎたころ、神社にいかなければと思いつつもやはりまだ重い腰があがらなかった。しかし、出産直前の日枝神社のお祭りでひいたおみくじが大吉で出産も安産とでて、おかげて無事出産を終えた手前いかないわけにはいかないという思いもあり、100日を過ぎること数日の良く晴れた土曜日ようやくお参りすることができた。しかし晴れ着をきる気力はわかず、さすがにジーパンは気がとがめるのではかなかったもののかなりカジュアルな格好だった。お日柄もよかったのかちょうど神社では立派な結婚式が行われていた。こんな日にお嫁にいけるなんてめでたいね~としばし見物できたのはよかったのだがおまいりに鈴を鳴らすのがためらわれる。太郎と娘という爆弾を抱えているため、すずなしでそそくさとお参りした。
お食い初めも、わかっていてもなかなかできずようやく決心して買い物にでかけた。ちょうど1パック380円の新湊産子鯛がでていてそれを塩焼きにして、あとは炊くだけパックの赤飯を炊いた。そのときにゲンゲも買って煮物にしてみた。いよいよ食事をしようというそのとき太郎は爆睡とりあえず寝顔に食べるまねををさせ写真撮影をした。
この子はもしかすると将来苦労するかもしれない・・・。こんなダメダメ両親をどうか許しておくれ。

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2006/10/25

いらっしゃ~い!

でかベイビー太郎は相変わらずでかい。こんなに立派な男の子をだれかにみてもらいたいのだが、親類も友人も遠方にすんでいるためなかなかそれもかなわない。いや、心配してメールや電話をくれるだけでも感謝感激なのだが、だからこそこの立派な太郎を見てほしい。そう思っていたある日、友人のブログに「メールだしたんだけど。」とのコメント。友人が航空会社の超安売りチケットで小松空港行きをゲット、太郎をみにきてくれるというのだ。その連絡を受け、私は
「どのタイミングで富山にも空港があることを教えてあげようか?」
と悩んだが、まあつけばわかるだろうとそっとしておいた。彼女が行きのチケットを購入した日は私が実家への避難を終え旦那の実家のある東京を断ち富山に帰宅する日だった。富山よりは小松空港からバスで行ける金沢のほうが1人で観光するにもいいだろうと思った。
これから飛行機で富山にくることがあるあなたへ!
日本航空の富山便は廃止になってしまいました。
富山空港利用の際は全日空便でお越しください。

せっかく友人がきてくれるものの、1週間家を空けているため部屋のかたずけもままならず、実家で気を使いかな~り疲れており、おもてなしについてはほとんど気を使わなかった。ただ、フリーランスで多忙な彼女が本当に飛行機に逃げられずに乗れるか心配だった。日曜日、無事金沢についたというメールを受けて一安心。月曜日、とりあえずできるだけ部屋をかたずけた。友人の予告どおり午後には我が家に到着。せっかく富山まできてもらったのだが、どこかに案内できるほどの元気もなく、家で友人のおみやげの10円まんじゅうを食べながらうだうだしていた。太郎は2ヶ月から3ヶ月にかけて急によく泣くようになり、実家帰省の疲れもあってかやや機嫌悪気味だった。少しでも富山の味を味わってもらえればと思いその日の晩は回転寿司にいった。本当はちゃんとしたすし屋に行きたかったんだけど赤子が騒いで板さんがきれたらこわいし・・・。1度是非たべてみたいと思ったわさび巻きがあり注文してみたが、すごくからかった。辛さは中だったが、小だともっとおいしいのかな?私は生わさびの香りが大好きだったりする。
私はてっきり火曜日の飛行機で帰るのだと思っていたが、水曜日の夜の便ということなので、火曜日は午後からポートラムに乗ってみることにした。10年ぶりくらいに森家をみたが、以前とちょっと変わってたみたいだった。ポートラムといえば、紅茶の店「アナザホリデー」に入ってみたかったのだが、またしても定休だった。富山の友人が「公民館みたい」といっていたとおり、こじんまりした民家に看板がでていた。富山グルメは必ず初回定休日の私。
東岩瀬に近いあたりの「アプリコット」という喫茶店でお茶した。古きよき喫茶店という感じでオーナーらしき年のいった女性と近所の人なのか観光なのか3,4人のおばさんがいた。オーナーらしきの女性が太郎をみて、
「あらかわいい、何ヶ月?」
ときかれたので、
「3ヶ月です。」
と答えた。
「あらそうなの?」
というので、
「生まれたとき大きかったら。」
というと
「どれくらい?」
ときかれたので3700gだったというと、お客のおばさんが
「3700gなんて普通よ。私なんて4000gだったわよ。」
といった。
そうなんだ~。
昔はふつうだっだ~。
太郎が3700gだったからといって、別に私が太りすぎてたとか運動不足とかいうわけではなかったんだ。
と安心した。(だが、出産が遅れたのはやはり運動不足?)
月曜日はあいにくの天気だったが、この日は秋晴れでとても気持ちよかった。念願かなってポートラムに乗れてとても楽しかった。夜は旦那の許可がおり友人と2人でエスニック系のお店でご飯を食べた。火曜日だったせいか客は私たちのほかに1組しかいなかった。
食後別れ、翌日友人はアルペンルートの途中の弥陀ヶ原までいったらしい。
旦那は、
「弥陀ヶ原の散策とは通だな。」
といってた。ちなみにその日旦那は仕事で立山カルデラにいた。もう少し気持ちと体力に余裕があったらアルペンルートも一緒に行ってみたかった。夕方にしろえび天丼をたべたというメールが入った。
友人は娘のおみやげにマグネットのダーツを買ってきてくれた。違う友人は娘のことも考えて太郎のお祝いをくれた。
できた友人をもって私は幸せです。
ありがとね!
すっかり気分をよくした娘は友人が帰ったあとも、
「今日は来ないの?」
と何度も聞き、
「今度遊びに行く。」
といっている。
その後この友人のブログで、
「初日は太郎をべたべたべたべた触り続け・・・」
と書かれていた。
そうだよね~、赤ん坊ってべたべたべたべた触りたくなるよね。
赤ん坊にべたべた触れるのってほんのちょっとの間なんだね。
正直ず~っと赤ん坊と過ごしてるとつい自分のことできないことにいらいらしたりするんだけど、この短い時間まるまる赤ん坊中心で過ごせるって貴重だよね、と気づかされた。おんぶにだっこでつらいけど、たぶん自分の子供はこれは最後なんだよね。残り7ヶ月、ここはひとつつ赤ん坊のペースに合わせて堪能しようと思った。
遊びにきてくれた友人へ
遠いところきてくれてありがとう。
嬉しかったし楽しかったです。

10月最初の出来事だった。

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2006/10/19

散歩であったおじさん

9月になって吹く風が急に涼しくなったある日の午前中、太郎をベビーカーに乗せ散歩にいった。ただごろごろとベビーカーをころがすだけなのも何かなと思い、ベンチに座ってみた。幸いうす雲がでて直射日光もなかったので日よけをあけてぼんやりしていた。すると自転車のおじさんが私たちの前でとまり話しかけてきた。子供好きのおじさんかなと思ったが、なんと酒臭い。単に子供好きだと悪いなと思い話をあわせていたら、なんと長々と30分以上話こまれてしまった。
「男の子は育てるのが大変、男の子は脱腸になりやすい。うちの息子がそうだった。」
から始まり、自分が十二指腸潰瘍でまだ移転まえの赤十字病院に助けてもらったこと、市民病院はもと市民プラザにところにあったこと、富山の某産婦人科のことから自分の元の仕事のことまでこちらはお構いなしにたっぷり語ってくれた。何しろ酒臭いので適当なところで話をきりあげようと思ったが、全く切れ目がない。おじさんが語るには運河公園の向こう側の工場に勤めていて定年退職した人らしいが、なぜこんな時間酒臭くなって自転車でさまよっているのだろうと思った。
ややしばらくしてて、自転車に子供をのせたママさん集団が、チラッとこちらを見て走りさる。どの育児アドバイスにも書いてある、
「積極的に外に出てママ友達をつくりましょう。」
この言葉、私にはものすごいプレッシャーだ。
「同じ年齢の子供がいる。」
それだけで本当に仲良くなれるものだろうか?集団になると気がつくと少数派になっている私にとっては信じがたいことだ。そしてその輪の中にいるため常にみんなと同じではないといけないのもとても居心地が悪い。みんなと違うことをはっきり言えるほどの自信もなければ愛嬌もない。第一同じ年齢の子供がいるからこそ、自分の子供が人より劣っているのを目の当たりにしたらそれだけで平常心を失ってしまいそうだ。3○歳にもなってこの現状は甚だ情けなくもあるのだが。要は自分に自信がなくて、他人との境界線を見極めるのが下手なのだと思う。わかってはいるがなかなか治らない。でもそんなこといってはいけないのだと思う。私が逃げていたら、子供も逃げ続ける人生になってしまう。それはともかく、散歩にでてママ友達ではなくなぜかおじさんと話し込む自分がいる。職場でおじさんに話をあわせてばかりいたからだろうか?
そろそろ帰らないとな~と思いはじめたころ、話は自分の年金の話になり、
「この金額どう思う?」
といわれた。富山地域の民間の初任給よりちょっと安いくらいだ。子供も自立していて、持ち家だったら働かないでもらうにはまあまあの金額だなと思ったけど黙っていた。私は就職してまもなくはそれくらいの金額で生活していた(ただし寮だったので、住居費は安かった)。しかもこのおじさん、自分で雇用延長を断ったらしい。見たところ仕事をするには体力が衰えているというほどでもない感じだ。しかし、おじさんのいうにはその金額では安すぎる。もっともらえれば、奥さんとオーストラリアでもいってみたいんだといっていた。ああ、もう限界だ、そろそろ話をきろうと思ったとき、おじさんは自分はたいした学校はでてないが、居酒屋でいろんな人と話していろいろ学んだ。旦那さんが飲んでくるのに目くじらたてちゃいけないと説き始めた。
その話がおわったところで、
「もうそろそろじかんなので。」
とやんわりとおじさんを振り切った。
しかし、おじさん午前中からお酒臭くて浮浪者一歩手前だった。近くの工場に勤めてたってことは家はちゃんとあるんだろうけど、家族はそんな夫・父を思っているんだろうか?もしやアル中なんじゃないだろうか?
やっぱりいろいろ学ぶなら居酒屋以外がいいんじゃないだろうか?と学んだお散歩だった。やっぱり、
酒は飲んでも、飲まれるな
だと思う。

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