2008/02/13

破壊大魔王

秋に一度太郎に眼鏡のフレームを壊された。仕方がないのでフレームだけ買いなおした。それから2ヶ月後、親子で昼寝をしていて太郎が先に目を覚ました。まだ寝ていたかった私は起こす太郎を無視して寝ていた。太郎が私を起こそうとして眼鏡を差し出しているのには気が付いていた。しかし無視して寝ていた。起きない私に起こった太郎は眼鏡に八つ当たりを始めているのはきがついてた。しかしそのまま私は深い眠りに・・・。遠くで娘が
「太郎がメガネこんなにしちゃったよ~。」
といっているのは知っていた。まあ新品だしすぐ直るだろうと思った。ようやく目がさめ、
「すごいことになってるよ。」
と旦那に差し出されたメガネは確かにすごいことになっていた。1歳児のくせにどうすればこんなにまげられるのかと思うほどまがっていた。(が、画像をとる余裕はなく・・・)とりあえずもとにもどそうとしたが、結局かけるとまがってしまうぐらいにしか戻らなかった。旦那いわく、
「つるが逆向いてまがってたぞ。」
そのころバレエ発表会の疲れからなかなか復活できなかった私はすぐに店に行く気力はなくとりあえず家にあった使い捨てコンタクトを使うことにした。職場では1日中PCみてるからどうかなと思ったけど、意外と大丈夫だった。仮に直したとしてもまた壊されそうだと思い、そのままコンタクトにすることにした。ワンデイだと一度はずすと使えなくなる。最悪職場で我慢できなくなったときや休日昼寝をするとき一度はずせるように使用期間の長いものにかえることにした。O2レンズはどうしても合わず目が赤くなってしまい、使い捨ても初期タイプだとレンズが乾いてカピカピになってしまい辛いことがあった。1デイタイプの水分が多いタイプがようやく不快感を感じなくなった。最初は1週間くらいのがいいなと思ったのだが、1週間だと寝てるときもつけたままらさしい。なんとなくそれはこわいなと思った。行きつけのコンタクトレンズ専門の眼科に行くと、1ヵ月使用のシリコンでできたレンズをすすめられた。シリコンは人によってアレルギー反応がでるらしく、アレルギー体質の私はちょっと心配だったが大丈夫だった。
1ヶ月経った今も1日中コンタクトレンズを使っている。コンタクトを毎日つけるという動作が面倒だったものぐさな私も、破壊王太郎によりコンタクトレンズユーザーとなったのであった。今は手入れも消毒液につけておくだけで簡単だ。以前はソフトだと煮沸したりしたけどね。
最初に就職したての頃買ったときは、片目2万円くらいしてなくしたり破いたりするのではないかとドキドキしながら使ったものだ。私はケースのねじ切りに挟まっているのに気がつかなくて、翌朝見たら粉々ということがあった。トータルでみると高くなってしまうのかもしれないけど、使い捨てのほうが衛生面では安心。O2が使えないわたしにとってはとてもありがたい。
しかしこの年になると、コンタクトにしてもだれも何もいわなくなったな~。まあ、すっかり中年だからコンタクトくらいじゃ変わんないか。(だいたいそれ以前の問題だ)

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2008/01/30

眠れない・・・

先日太郎は市から案内がきて1歳6か月検診をうけた。ということですでに1歳6か月すぎ、ボールを投げてみたり偶然ながら犬のマスコットをみてワンワンなどといってみたりしている。年末年始両じいちゃんばあちゃん家では食後自分の食器をかたずけるという芸をみせじじばばは大喜びだった。
しかしながら、ママは寝不足である。体調をくずすと夜眠りが浅いときに泣く。泣いて起きることはないが、本人の不快が取り除かれるまで泣く。年末、クリスマスが終わり今週が終われば帰省でカニとふぐだとうきうきしていたら、朝太郎がものすごくぐずる。クリスマスの3連休、太郎が熱をだしずっと家にいた。連休明けは機嫌がよく、保育園で私が部屋をでようとしたときも、
「もう遊ぶからママはいいや。」
って感じでバイバイしてくれた。だが1日たって保育園で部屋においていこうとするとおお泣き、午後には
「熱が高いので。」
とお迎えのお願いの電話があった。その日私はどうしても終わらせたい仕事があり旦那に帰ってもらった。
それから太郎の夜泣きの日々が始まった。体調が悪く眠りが浅くなるたびに泣いく。腕枕にして寝始めるときはいいが、鼻がつまるのか寝ている姿勢ではくるしいらしく、私の顔の上に頭を乗せたり、もっとひどいと起きて抱いてやらないとねなかったりする。そうなるとママは一晩中寝ることができずダウンだ。
私の職場は1月で有給が切り替わる。1日単位は繰り越せるが時間が繰り越せない。年末に半日時間休が残ったので、捨てるのももったいなえないし髪の縮毛矯正でもしに行こうと思っていた。ところが、太郎の体調不良によりママも例によってダウン、1日余計に休暇を使ってしまった。半日休むとはいえ仕事納めまでがっちり通勤するつもりだったのに・・・。寝不足ですっかり体調をくずした私は太郎の風邪ももらいフラフラだった。太郎とともにずっと寝て過ごした。原因はなんだかよくわからないが高熱が続いた。
年末年始は久しぶりにじじばばに会いに行く予定だったのになかなか熱が下がらない。
このまま私と太郎で居残りか?
しかし私も眠れない日が続きだいぶ疲れており、年末年始1人で太郎と過ごせるか自信がなかった。でもこの体調で機嫌の悪い太郎と実家で過ごすよりはいいかもと思えた。結局当初出かける予定だった29日に行くのはやめた。いよいよ実家帰省は不可能かと思われた28日、だいぶ元気になったので風呂にいれようと服をぬがすと背中に赤いブツブツが・・・。
そう、突発性発疹だったのだ。
突発性発疹なら赤いブツブツがでればもう大丈夫。
30日に実家に向かうことになった。娘は1歳で保育園に入園してすぐかかり3日で治ったが、太郎は今回が3回目くらいの突発かもという診断を医者から受けてようやく当たりだった。娘は高熱がでても薬を飲めば1人で寝ていたが、太郎は薬を飲んでいても1人でいられない。そばに私がいないと泣いて起きてしまう。保育園入園以来、そんなことがずっと続きPCふれることができなかった。そんなときでも太郎のそばでPCができるように、ノートパソコンを買ったのであった。
年末年始、実家にいる間は熱はださなかったが、愛想のいい太郎は実家でさんざん愛嬌をふりまき興奮し夜泣きした。その間ママは寝不足を持続させ、日頃もそんなに明晰なたちではないがさらに頭をぼんやりさせて過ごした。そして無事富山に帰宅したものの、翌日から太郎はまた熱を出すのであった。またしても夜中に目をさます毎日。新年はなんとか1日休んだだけで太郎は保育園復帰したが、ママは毎週のように寝込むのであった。もうすぐ2月、やっと太郎の夜泣きが1,2回に減ったが、まだまだゆっくり眠れない日々は続くのであった。睡眠の体温の変化とともに、布団をけちらしては寒くなり泣いたり、怖い夢を見て泣く太郎。怖い夢のときはママの顔にさわらないとだめなときがあり、ママの顔を枕にして私が窒息寸前になったりする。
40代も近づくとさすがに身にこたえます。
そういえば去年もこんな感じだった。
2シーズン目の眠れぬ冬だ。

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2007/10/03

僕肺炎になっちゃった3

病院キャンプ
土曜日、普段は夜も洗濯機を回すのだが太郎の保育園の濡れた洗濯物もなく帰宅も8時過ぎだったため洗濯ものがたまっていた。その日も真夏日で午前中娘に手伝わせて掃除をし、洗濯ものを一気にかたずけた。最近料理のとき娘に野菜を少しだけ切ったり、掃除を手伝わしたりしている。自分の着るものは自分で引き出しにしまわせるようにしている。自主的に鍋を磨きたいとか掃除機をかけたいとかいってやりたがるうえ割と戦力になることもある。日中仕事をしてるとどうしても娘とかかわる時間が少なくなってしまうので、娘との交流の手段としてもいいかなと思い、最近はなるべくお手伝いをさせるようにしている。しかし、どうしても作業の行き届かないところや根気がなかったり身が入ってないことが気になり、気がつくと怒ってばかりで娘の気持ちを満たすつもりがかえって精神的にマイナスになっているかもと思ったりもする。母親として優しい気持ちで見守りたいのだが、気がつけば鬼コーチである。太郎が体調を崩して以来、家事についてはほとんど時間が割けなかったため家をかたずけてシャワーまで浴びたらやっぱりお昼になってしまった。土日は私が私が夜通し付き添うことにしていた。
土曜日は娘のバレエがありバレエの時間になるとパパと娘はバレエ教室に向かった。土曜日になるとだいぶ元気を取り戻し、旦那から
「暴れるからベットから落ちないように気をつけろ。」
と引き継ぎを受けた。元気になった太郎は少し大きめの柵つきベビーベットにいるとたいくつらしかった。金曜日は抱っこされればおとなしくなって寝始めたが、土曜日は暴れて床に下りたがった。このままでは夜寝ないかもしれないと思い、プレイスペースに連れて行った。プレイスペースはだいたい4畳半くらいで、少しだけおもちゃがおいてあった。靴をぬいで遊ぶので太郎を歩かせるのにちょうどいい。
土曜日の午後には太郎はかなり元気になっていた。寝ている時間以外はほとんど部屋にはいられない。抱っこされているだけではたいくつらしく床におりて歩きたがる。靴は持ってきていなかったし、手をつくと困るのでその日から何度もプレイスペースと部屋をいったりきたりした。(抵抗力が落ちているはずなので土足で歩いた床のバイ菌が心配)その日は私が夜通し付き添いなので、運動が足りないと余計に寝ないかなとも思った。元気になった太郎は点滴がすごく気になるらしく、すぐに点滴を打ちつけたりチューブを引っ張ったりする。
食事は相変わらずお粥を嫌い、魚や豆腐やすり身などを食べ、満足するとヨーグトやゼリーなどのデザートを要求する。太郎にしては普通に食べてる感じだが出された量にしては半分食べてない感じだ。病院の食事だけあって、野菜のお惣菜が必ずついたが太郎はあまり手をつけず、特に柔らかいのだけようやく食べる感じだった。たぶん食事の量もみているのだろうと思い、私は最初は気を使ってあまり手をつけなかったが旦那が食べているのを見て私も食べるようになった。
土曜日は少しプレイスペースで遊ばせると気がまぎれておとなしくなった。旦那は私がいない間太郎をだまらせるのになんとビスケットを使っていた。例えばトイレに行くとき、慣れない場所と体調不良からベットに1人にされると激しくないた。そこでベットにビスケットをばらまいて、太郎がビスケットに気をとられているうちに用事をすましていたらしい。太郎はたいくつするとやたらとビスケットをほしがった。この日の夜、ついに看護師さんにみつかってしまったが、おこられはしなかった。
太郎は10時くらいには寝てしまった。太郎が寝てしまうと同時にリクライニングチェアーで寝る体制になったが、3時間おきくらいに点滴の点検に看護師さんが入ってくる。旦那は最初のうちは看護師さんが入ってくるたび起きたが明け方は反応できなくなると言っていた。太郎が寝た直後のチェックでどうも点滴をやり直したほうがいいということになった。
「ちょっと点滴やり直しますね。」
といって太郎は診察室に連れていかれてしまった。
「一緒にいかなくていいですか?」
と聞くと、
「部屋にいてください。」
といわれた。部屋で待っていると遠くで太郎の絶叫が聞こえた。20分か30分して戻ってきた太郎は点滴をしていなかった。
「先生もだいぶ経過もいいので今晩は点滴はとったままでもいいとのことなので、とったままにしておきます。」
とのことだった。だいぶ元気になっているしこのまま点滴は終わりかなと思った。だいぶ泣き叫んだので寝ないかなと思ったらあんがいすんなり寝てしまった。太郎をベットにおろし、少しだけ寝た。ところが2時をすぎたころ、太郎が泣きだした。抱っこして寝付いたかと思いベットに戻すとまた泣き出してしまう。しょうがないのでそのまま抱っこで寝た。諦めがつくまで1時間ほどかかり、次に目が覚めると夜が明けかかっていた。夜が明けていくのを何度か確認しながらうとうとしていたらあっという間に6時の検温になってしまった。ほとんど深くは眠れなかった。
まるでキャンプのようだ。
点滴をとるとそれまで36度前後だった体温が37度になった。検温から朝食までぐずり、朝食を食べると寝始めた。私もそれに合わせて寝ていた。午前中は看護師さんの出入りが多かったが夜ほとんど寝られなかっため、もはやぐったりした姿のままの姿を見られても全く気にならなくなってしまった。結局太郎は再び点滴をすることになった。呼びにきた看護師さんはあきらかに妊婦さんで、
「連れて行きましょうか?」
といったが、
「大丈夫ですよ~。」
といって1歳児15kgくらいを抱えていってしまった。看護師、激務のはずである。あんなに大きなおなかなのに・・・。後に聞いたところ9ヶ月とのことでした。
あれ?産休は・・・?
体、丈夫で何より。
通いの美容院にも産休直前の美容師さんがいて、逆子だっていってた。育児マンガの漫画家さんも逆子の人が多いのはやっぱり妊娠中ってあんまり無理しちゃいけないんじゃないだろうか。個人の自由な領域ではあるのだが、自分自身もやっぱり大切だが子供を持った以上は子供のために自分の自由を削るのは仕方ないと思う。そんなに自分の自由を優先したいなら、子供はいなくてもいいんじゃないかな・・・。もちろんへタレな私とは違い、自分の自由も子供を持つことも100%得られるタフで才能あふれる人もいるのだろうが。
何が行われているか診察室のそばまでいったが姿の見えない太郎のものすごい絶叫が聞こえたので
「見ないほうがいいかも。」
と部屋に戻った。血管の細い赤ちゃんの点滴はさぞかし大変なのだろう。点滴を終え戻った太郎はしばしぐずった後再び寝に入り、私もぐったりした。大変だったのはこの後。目が覚めた太郎はベットの中にいるととても機嫌が悪い。抱っこしてもビスケットをほしがってぐずるか、床におろせと騒ぎ出した。日曜日はほとんどの時間をプレイスペースで過ごした。
土曜日の晩あたりからオムツかぶれと首筋のあせもがひどくなってきた。点滴を一度とったときから体温が上がり始め汗の量が増えて、かぶれがひどくなり膿が出始めた。
抵抗力がおちたのか?
抗生剤のせいか?
土曜日の診察の時、もしこのままよければ月曜日には退院できるかもといわれていた。パパと娘はお昼ごろやってきた。それにあわせて私は一度家に戻りシャワーを浴びてきた。ちょうど近くの公園でお祭りをやっていた。もし太郎が入院しなければ帰省していたのだが、結局病院通いになってしまい、娘がたいくつしているのではないかと思い、
「公園でお祭りをやっているよ、一緒にみてくれば。」
とパパと娘にすすめたのだが、ちょうど暑いさかりのころでパパは難色をしめした。娘はものすごく行きたがり、結局パパが負けて2人でお祭りに出かけていった。太郎も昼寝をする様子がなく、プレイスペースに連れて行った。元気になった太郎は点滴が気になってたたきつけたりひっぱたりしていた。おやつの頃になると娘は戻り、今度は娘が遊び始めた。旦那は病室で昼ねをしていた。まだ付き添いの疲れがとれていないのだろう。そうやって病室とプレイスペースをいったり来たりしているうちに夕食の時間が来た。途中パパと娘がコンビニに夕飯を調達しに行ったりしてサザエさんが終わるまでパパと娘は病院にいた。その日は8時から公園で花火があがるらしく娘は花火をみたいといっていたがその前には帰宅した。
8時前までは部屋にいられたが、またあきたらしく暴れ始めた。花火が見えるかなとおもい公園の見えるプレイスペースに行ってみた。すでに親子が花火目的に集まってきていたが、どうやらケガの子らしく肺炎である太郎が他の子に病気をうつすのではと心配になりその場を離れた。救急で初めてこの病院に来たもの同士で大部屋で一緒のせいかすでに団結していてなんとなく入りにくい雰囲気だった。子供たちも年中さんより大きい子たちで1歳児の太郎をうろつかせるのはなんとなく危ない気もしてその場を離れた。とりあえず廊下を一周しようとエレベーターホールの前を通りかかると、やはり点滴をつけた赤ちゃんと連れたお母さんにあった。やはり子供がぐずって散歩中だったらしく、立ち話をした。
そろそろ花火が始まるじかんだからプレイスペースにいってみようと歩き出すと同じ階の内科病棟の看護師さんに会い、
「こっちの入院室からよくみえるからみていかれ。」
といってくれたので、赤ちゃん連れのママとともに内科の入院室の大部屋にお邪魔した。内科病棟はお年寄りでいっぱいだった。その部屋は花火見物のベストポジションで思いがけず花火を満喫できた。お年よりは花火と思いがけずやってきた赤ちゃんに大喜びだった。ママたちは思いかけずいい場所で花火を見れて大喜び。近くだけでなく、遠くでも花火をやっていて小さく花火が見えた。子供たちはどうかな。太郎はなんか知らない人に囲まれややビビリぎみだった。小児科の看護師さんはベテラン風の妙にきびきびしている人ばかりだったが、内科の看護師さんは若くて明るくてはきはきした感じのひとだった。小児科と同じ階に産科があって助産師をもった看護師さんばかりだっただろうか。一緒に花火をみた赤ちゃんは6ヶ月くらいでBCGの予防接種後熱がでてすでに1週間以上だといっていたような気がする。大学病院に検査をだしているが原因がわからず退院できないそうだ。6ヶ月ならまだ泣いても抱っことおっぱいでいいからちょっとうらやましかったが、やっぱり入院期間が長いのはさぞかし大変だろうなと思った。
花火も終わり病室に戻ると今度は窓の外からみえる結婚式場で花火があがった。この夏どこにもいけなかったけど思いがけず綺麗な花火がみられたのが嬉しかった。花火が終わるとまた太郎がたいくつを始めた。ちょっと散歩するかと思い廊下にでたが、時間はすでに10時をまわっていて廊下は消灯していた。他の患者さんに迷惑だと思い、すぐ部屋に戻った。それから30分ほどして、ようやく太郎は眠りについた。
私も寝の体制に入ったが、その日は何度も点滴のエラーがでた。最初は太郎が動き出し、私がひっぱってしまってエラーになってしまったのかと思って恐縮したが、原因は私がひっぱったせいではなく、太郎が動いているときたたいたりひっぱたりしているせいで点滴の針の刺さり方が不安定になっているせいみたいだった。日曜の夜から翌日まで何度も点滴エラーでナースコールしてしまった。太郎はやっぱり深夜1時すぎまではベットに寝てくれたのだが、それ以降はまったくベットで寝てくれず、リクライニングチェアーで太郎を抱っこしたまま寝た。当然深く眠ることは不可能だった。夜は徐々に明けて、明るくなった頃ようやく寝たかなと思ったら朝の検温で、担当の看護師さんが
「それで日中もねてるんですね。」
と笑っていった。本当に眠れなかった。日曜日の診察で、経過がよかったら月曜に退院と言われたが、一度点滴をとってから体温が37度前後だった。朝食が終わってもなかなか先生は現れず、栄養士さんが食事についての説明などにきたので、
「ああ、今日は退院できないのか。」
と思い始めていた。月曜日は午後から旦那と付き添いをかわるつもりでいて、午前中の休暇はとったが午後の休暇はとってなかったためもし退院するとなれば旦那に休暇を延長することを職場に伝えてもらうつもりだった。11時になっても何もいわれず、旦那に、
「今日は退院できないかも。」
とメールを打った。その直後、先生が部屋にあらわれ
「退院できます。」
と言われた。
慌ててだんなにメールを打ち直す。それからちょっとして看護師さんにいつ退院するか聞かれた。とりあえず昼ごはんがでることを確認して、昼すぎに退院することにした。嬉しかった。たとえ太郎がないて結局は眠れなくても、家の布団で寝られるのは嬉しい。そして仮に入院続行だったとしても2日ほとんど寝てない状態で仕事をする元気はなかった。
富山にきて5年、赤十字に家族が入院したのは3回目。家族が健康であるというのがいかにありがたいかをまたしても痛感した。いろいろな事情で病院に入退院を繰り返すのはさぞかし大変だろうなと実感した。
太郎の昼食が終わり、退院に際しての薬局からの薬の説明と事務からの説明が終わっても旦那はなかなか姿を現さなかった。もう大丈夫なのにベットを使うのはなんか心ぐるしい。1時を過ぎてようやく旦那がきた。とにかく太郎と一緒に家に帰れて嬉しかった。家なら太郎も存分も動ける。かかりつけ医の紹介で入院したため、退院後診断書をもってかかりつけ医にいかなければならなかった。ちょうどお盆中でかかりつけの小児科は金曜日まで休診でそれまでは自宅療養ということになった。その間は旦那と交代で休みをとった。
富山にも病時保育をしてくれるところがあるが、それでなくても肺炎をおこして体力がおちた太郎をどこかに預けるのはどうだろうと思った。やむえない人もいると思う。そんな人のためにやはり病時保育は必要だと思う。
でもできれば子供が病気のときはもちろん、本人の体調不良のときも当たり前に休めるような社会であってほしいと願わずにはいられない。病気をおして働くのが美徳だなんてやっぱりへんだと思う。もちろん自分の命より仕事の方が大切だという人の生き方も完全否定はできないとは思うが。
家に帰ってきてからの太郎はそんなに高い熱もでず元気だった。抗生物質の影響なのか尋常でないオムツかぶれがいつまでもなおらずかわいそうだった。点滴のせいでおしっこの量がおおかったせいもあるかもしれない。世間では耐性のウィルスがいて抗生物質がきかなくなることもあるといわれ、保育園入園いらいそれこそ毎週のように抗生物質のお世話になっていたためきかなくなってたらどうしようと本当に不安だった。点滴とともにあっというまにしつこく続いた熱が下がり、あらためて西洋医学ののありがたさを痛感した。血液検査の結果で入院の聞いたときは目の前が真っ暗になった。無事でてこられて本当によかった。
金曜日に診察を受けると月曜日からは保育園にいっても大丈夫といわれた。ようやく太郎の体調を気にしなくなった頃には暦は9月になっていた。今年の夏は太郎の体調を気にしているうちに終わってしまった。
まあ、そんな夏もあるやね。
Sn340516←太郎が入院するやいなや、「お花かわなくっちゃ。」といった娘。パパが入院したとき買ったのを覚えていたらしい。のんきなやつだと思ったけどこの花にママが一番なぐさめられたのだった。
Sn340514←プレイスペースになぜか999のジグソーパズル。現在入院中の子供たちにわかるだろうか?

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2007/09/30

僕肺炎になっちゃった1

それは高熱から始まった
月曜日、私も旦那もどうしても抜けれあれない会議があった。会議が終わり携帯電話をみると案の定保育園からの不在着信。電話すると、
「お昼近くなって元気がないので熱を測ったら38度9分ありました。」日ごろ週の後半になると37度近くあったのでそのときは何も思わなかったが後で考えると高熱だ。昼休みになりあわてて迎えに行くとぐったりした太郎がいた。とりあえず病院につれていかなかければならないが、かかりつけの病院は午後の診療は3時からだ。2時から開いているが2時から3時は予防接種と検診の時間だ。仕方ないので時間まで家で待つことにした。
太郎の体はものすごく熱く、呼吸も荒い。寝かすと泣くので抱っこしたままDVDでも見ようかと再生を始めたとき、太郎の様子がおかしくなった。
突然太郎がけいれんを始めたのだ。
目玉を上にしてけいれんする太郎。
本で熱性けいれんはそんなに慌てる必要はないと読んだことがあったが、娘はおこしたことがなかったので実際どうすればいいかまでは覚えていない。けいれんの間呼吸が乱れ苦しそうだった。起こす前から意識はもうろうとしている感じだったが、けいれん後気を失っているようにもみえた。あわてて旦那に電話したが、窓口業務の旦那は接客中だった。対応が終わったら再度電話するといわれた。
腕の中でけいれんしている太郎をおいて本を調べる余裕もなく、あわててかかりつけの小児科に電話した。電話にでた窓口の女性に
「まず落ち着いて。」
といわれ、けいれんしている時間をきかれ、けいれんがおさまったら病院につれてきてと言われた。激しいけいれんはおさまったが、太郎はときおり手足をひくつかせ、目を閉じたままだった。生きた心地がしなかった。このまま心臓が止まったりしたどうしよう、そのことで頭がいっぱいだった。旦那からなかなか電話が来なかった。
「もうだめだ、病院へ連れて行こう。」
と思ってすぐ旦那から電話があった。
太郎を後部座席のチャイルドシートにのせて自分で運転して病院まで行くのはこわいから、とりあえず抱っこで病院で連れて行くと伝えると病院まで車で迎えに来てくれることになった。太郎は電話の音で目をさました。少し熱は下がったみたいだった。外はすごい暑さ。日傘をさして、太郎をスリングで抱っこして病院に向かった。診察をうけると受付で電話したことを告げたのに、先生には伝わってなかったみたいだ。最後の最後でけいれんを起こしたことを言うとけいれん止めの薬がでた。その場で入れていくかと聞かれたがどうしたらいいのかわからず、とりあえず入れてもらった。でもけいれん止めをいれると解熱剤が使えなくなるそうだ。けいれんを起こしたのちは急に熱があがることはなかった。
食事もよく食べたし、ケラケラ笑ったりしていた。寝る間際はやっぱり熱があがってきたので、解熱の座薬を入れた。翌日から旦那は1泊で出張でそんなときに限り娘のバレエの特別レッスンがあった。解熱剤が効いているうちは割と元気だったがきれるとまた高い熱がでた。娘のバレエに連れて行くのははばかられたが、秋の発表会に向けた振り付けの真っ最中で1回でも休むと大変になりそうだった。解熱剤がききだすと再び熱は下がりなんとかなりそうだと思った。その時点で解熱剤の座薬は残り1錠だった。もし夕方再び熱があがりだしたら夜中にきれてしまう。レッスン後解熱剤をもらいに病院に行こうかと思ったが、まだ風邪薬が日数分あったし、以前もらった頓服があったのを思い出し、行かなかった。夕方はやっぱり元気を取り戻し、笑顔をふりまいた。
頓服はのまずにすんだが、寝る前になるとやはり熱は上がってきて、解熱剤の座薬をいれた。翌朝もやはり朝はそんなに悪くなかったが、昼近くになりかなり熱が高くなり頓服をのませた。
なんでこんなに高い熱が続くんだろうといい加減不安になってきていた。娘は1回病院に行き3日分の薬で確実に治り解熱剤は残ることが多かった。
その日は水曜日、木曜日は午後休診になるので夕方病院に行くことにした。熱がぶりかえすのは中耳炎かもと思い、耳鼻科にもつれていくことにした。またまたそんな日に限って旦那はその日の娘のお迎えは無理だと連絡が入った。夕方、車で娘を迎えにいきそのまま病院に向かった。結局、中耳炎は起しておらずそのまま小児科に向かった。
病院で熱をはかると40度近くあり、すぐ診察室によばれた。
「風邪薬はまだあるが解熱剤がなくなったのでほしい。」
というと、念のため血液検査をすることになった。太郎は普段から保育園で疲れてくると37度くらいにはなっているので高熱も正直あまり気にはしていなかった。
10分ほどで結果がでて呼ばれると、
「これはちょっと大変ですね。」
と先生に言われた。
白血球値が異常だった。
「今日はもう受け入れ先が時間外なので、明日朝検査してこのままだったら入院してもらいます。」
と言われた。
私は頭の中が真っ白になってしまった。
どういうことなんだ?
とりあえず違う薬がでた。
耳鼻科でも鼻水がでているということで抗生剤の処方箋がでていたが、それは破棄するように言われた。帰りがけ看護師さんが追いかけてきて、
「なるべく診療時間になったらすぐ来てくださいね。」
と念を押された。娘のバレエのレッスン、病院はしごと疲労もピークだった。はたして明日きちんと太郎の入院に付き添えるか自身がなかった。7時頃旦那が帰宅した。帰宅の連絡があったときすでに夕食の支度をする気力さえなく旦那に買ってきてもらった。食事が終わるころには頭痛がして気分が悪くなりあとのことは旦那にまかせて布団に入った。太郎は夕食時はやはり割と機嫌がよく食事も病気の割には食べ笑っていたがやはり寝るころにはだいぶ熱もあがってきた。事情を聞いた旦那は解熱剤はやめて、保冷剤をタオルにくるみ太郎の頭を冷やしていたようだったがやっぱり夜が更けるごとに熱でつらそうだったそうだ。
翌日、私は起き上がれず旦那が休暇をとって太郎を病院に連れて行ってくれた。血液検査の結果は悪くなっておりそのまま近くの赤十字病院に入院したとメールが入った。
旦那によると太郎の胸部レントゲンの右肺のが真っ白で、医者には体力的にも限界にきているので入院をすすめられたということだった。とりあえず娘を保育園に迎えにいったら一度病院にきてほしいということだった。連絡があってから娘のお迎えの時間まで私は体力温存のためとにかく寝た。熱を出して以来、夜そんなに頻繁には起きていないものの断乳から極度の寝不足のままだった。娘のお迎えの時間になったがあまりに体調が悪いので熱を計ってみるとやっぱり熱があった。だからといってどうすることもできず、娘を迎えに行き病院に向かった。

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2007/09/29

断つのではなく、お断りする

お久しぶりでございます。
この間コメントくださった皆様、本当にありがとうございます。季節は秋になりますがしばらく夏の話が続きます。いろいろブログにしたいことでいっぱいです。猛暑、残暑すごかったですね。富山もようやく涼しくなりました。最近は太郎も休まなくなり、通勤しながらの生活になれてきました。

保育園入園いらい度重なる発熱のためせめておっぱいくらいはとかなり頻発させていた。寝るときはもちろん、起き抜けにパイ、食後にパイ、帰宅後にパイ、なにかブルーなことがあるとパイ、パイのパイのパイという状態になっていた。それまでは寝ているときにパイでねつくならそれにこしたことがないと思い放置していた。
ところが8月にはいって夜寝乳をすると激痛が・・・。それはもう目が覚め、すわれている間ははっきりと意識がもどり顔をゆがめるくらいの激痛だった。太郎の歯が大分生えてきたせいもあると思う。出産直後やっぱり授乳で切れ乳首になってしまったことがる。肌が弱いのだと思う。薬を塗ってみるのだが痛みはいっこうにおさまらず、寝不足も限界に達してしまった。
もうだめだ。
もうおっぱいはやめよう。
そう思った。
試しに朝のおっぱいをやめた。泣き喚いて朝食を拒否するたろう。
旦那は、
「甘えているだけだ。ほっておけ。」
といって加勢してくれた。泣き止まないんじゃないかと心配だったが、かな~りねばって泣いたあと、きがかわったのか朝ごはんを食べ始めた。
「ほらみろ、甘ったれてただけだ。」
だれに似たのか強情な太郎。泣き出すと結局あきらめて乳をだした。最近は保育園で無理させてるという負い目で、さらに強くでられないでいた。その日は金曜日。いよいよおっぱいなしの夜の始まりだ。旦那がみていてくれるといったけど、泣き止まないのではないかと思い私が寝付くまでおきていた。暗闇のなかで当然なかなか寝付かない太郎。ためしにおしゃぶりをあげてみたが、口からとばして遊んでいた。そのうちいよいよ眠くなりぐずりだした。しばらく抱っこでトントンした。ずいぶん長いことトントンしたがなかなか泣き止まない。喉もかわいたのかなとお茶をあげてみる。のけぞって拒絶。しょうがないのでスリングにいれてトントンを続ける。人は2歳くらいまでに分離不安をきちんと解消できないと境界線障害という精神的な障害をおうことがあるそうだ。赤ちゃんはお母さんの母体から外にでたとき不安を感じるらしい。その不安を取り除く手段として授乳は確かに有効だと思う。
太郎に、
「おっぱいはあげられないけど、ママはそばにいるんだよ。不安にならなくてもいいんだよ。」
と気持ちを込めて抱っこでトントンし続けた。ようやく寝付いたので座椅子に座ってトントンし続けた。開始は10時。0時をすぎてようやく布団に寝かせることができた。ところがそれから1、2時間ほどして太郎はやっぱり泣き出した。旦那がみかねてドライブに連れ出してくれた。なんとか寝付いたが、3時過ぎやっぱり泣き出しトントンしがなかなか泣き止まず、ふと思ってお茶をあげたら泣きやんで眠りだした。
7時にはおきてしまった。私は朝食後ダウンだった。少し体を動かすと寝るのではないだろうかと娘のバレエに一緒についていき、教室のそばにある市民プラザという施設で歩かせた。太郎は1時間ほど歩き続けた。そんなに歩けるんだとびっくりした。夕方くらいからおっぱいが痛くなってきた。でもだすとまたおっぱいがでてくるときいたのでそのままにして我慢した。
土曜日、抱っこでトントンで寝付いたのが12時半。それから1、2時間でやっぱり泣いて旦那が起きたがドライブは断った。旦那まで寝不足になってしまったら娘の世話ができなくなってしまう。昨日の経験をいかし、お茶を飲ませると少しして寝付いた。3時すぎ、やっぱり起きて泣いたがお茶を飲んでねた。その後、おっぱいが痛くて眠ることはもちろん横になるのもつらくなってしまった。久しぶりに搾乳機でおっぱいを絞った。搾乳すると娘のときも含め未だかつてないくらいあっというまに200cc搾れた。
「な~んだでるんじゃん、自分」
と思った。搾乳すると楽になった。やっぱあんありたまりすぎたときは搾らないとだめらしい。夜はもうちょっと触られるだけで激痛だった。体液の循環が悪くなると痛くなるんだと実感した。
そしてこんなに出るに断乳することに罪悪感だ。でもちょっと乳首を触るとやっぱりものすごく痛い。
日曜日、胸の激痛と太郎の泣きで眠れなかった私は寝たきりとなった。太郎も横でよく昼寝をし、なんかあついなと思ったら少し熱があった。でも月曜日の午前中はどうしても休めない。日曜日の晩は抱っこでトントンで11時には寝た。12時すぎと3時ごろ、やっぱり泣いて起きたが12時はその場でトントンで寝つき、3時はお茶を飲んだらすぐ寝た。結局おっぱいをお断りするようになった金曜日晩からおっぱいをほしがってしつこく泣いたのは初日の晩だけだった。あとは実物をみせなければ忘れている感じだ。意外とあっけなかったりして・・・と思った月曜日の午後からとんでもない出来事が起こった。

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2007/07/11

太郎は1歳になったけど

ママは自分の愚痴ばかり
ようやく保育園にも慣れてきて、家でも機嫌のいい時間が増えいつもヘラ~と笑っては部屋中あちこち散歩してまわっている。最近は歩くのも大分上手になってきた。自分の興味あるものを指さしたり、おかしやジュースを自分で運んできて「あけて。」とばかりに突き出したりする。1週間たった今では大分大きいものもよいしょともちあげ歩いてくる。ミニカーで遊ぶのも大好き。お姉ちゃんと遊ぶのも好きみたいだ。コンビのスイングラックを自分で揺らして遊ぶ。ベランダが大好きで出たがるが外に連れ出すと、やっぱりビビって30分もするとママから離れなくなってしまう。おしゃぶりはあんまり好きじゃないみたいで、本当に機嫌の悪いときに口に持っていくと手で払いおとす。最近は子供番組も興味がでてきたらしく、NHK教育テレビの「ピタゴラスイッチ」のアルゴリズム体操や「いないいないばあ」のオープニングが大好き。
機嫌がいいと手をふって踊って見せたりする。太郎は本当に母子手帳の記述どおりの成長をとげている。娘は成長の基準となる行動はことごとくやったようなやらなかったようなだった。でも特に5歳の今、発達にほとんど問題はない。
保育園が始まって体調をくずすことが多く結局1ヶ月通って休まずに通ったのは1週間だけ。あとは熱をだして2日休んだ。5日続けて通った週も週末は熱を出した。私もつらいが本人もつらいだろう。誕生日の翌週から進級してリス組になった。しかし月曜日の晩、寝ているときに熱をだし、そのまま2日休んだ。熱はすぐに下がったが、鼻水とせきが週末も下がらず、病院に薬をもらいにいった。その風邪いらいおっぱい星人に逆戻りしてしまった太郎。
ご飯を食べたら
「まんま~。」
とパイにかぶりつき、眠くなってくると
「まんま~。」
とぐずり、朝方眠りが浅くなるとパイをしゃぶったまま寝ている。
寝ていると思って話すと泣き出す。
断乳?
そんなの無理無理
って感じ。のどが痛いのかもしれない。体調が悪くて不安定な精神が落ち着くならそれでいいような気もするし、母としてしなければいけないことをパイでごまかしてるような気もするし。娘も最初のころはよく熱をだしたが毎週ではなかった気がするんだけどな~。来週はどうなることやら。
きっと世間からは
母親のくせに子供に熱出させてまで働くなんて!
とかいわれちゃうんだろうな・・・。でも仕事が続けられそうだから結婚もしたし子供も産んだ。
「母親のくせに外で仕事をするなんて。」
とせめれられるなら結婚もしなければ子供も産まなかった。
最近も何度か子供たちに対して
「可愛そうなことをしてしまったのかな。」
と思った。最近新聞などで少子化の話題がとりあげあられ、さも女性が子育てに専念できないから悪いんだみたいなことを言う有識者がいるがそれはすじ違いだ。
働くママが悪ならば、私は子供は産まない人生を選んだ。
私は1人の大人として自分の生きる糧はなるべく自分で稼ぎたい。
女性が自分の人生を選ぶのがそんなにいけないことか?
この文章が、
1人の人間が自分の人生を選ぶのがそんなにいけないことか?
だっだらいけないことではないだろう?
子供を産んだ以上すべて
「子供を愛しちゃんと向き合い大人になれる。」
を選択して生きていくつもりだ。それと私が仕事を続けることは別だと思うけど、やっぱり現実になると悩んでしまう。
ただいえることは、
「やめるくらいだったら、結婚も出産もしなかっただろう。」
ということだ。私にとっての幸せは妻として母親として常に家族に奉仕しそれを喜びとする人生でなく、1人でもちゃんと生きていけることだ。(もちろん仕事もいきてきくことも自分1人でできないことはよくわかっている。)世の中には専業主婦が天職の女性もいるだろうが少なくとも私はそうではない。(かといって私が職場で活躍しているとはとても思えないのも現実だが。)
せっかく太郎が1歳になったのに、こんなことばっかり考えて太郎には申し訳ない。でも確実に赤ちゃんから幼児に成長していく太郎をみるのはとても嬉しくて楽しい。旦那も娘も太郎も大好きだ。でもやっぱり私は自分勝手で大人げないんだろうか?

Sn340503←娘が「太郎のお誕生会の飾りを作る。」といってできた作品
←太郎出産に際して電動を買ってみました。(中古で2万くらいだったため)娘のときはとてもストイックに育児をしていたため、スイングすらしない一番安い手で上下に揺れるやつで、引越しのときに無認可で財政的に厳しいお世話になった保育園においてきました。でも電動を使ったのはほんの一瞬。そのあと娘が赤ちゃん時代を思い出してまったり。(さすがに電動スイングはしてません。)結局食事も娘のときのようにちゃんと椅子に座れてないため無駄だったかなと思ったけど、ハイにすることはほとんどなく、ローのまま最近は太郎の遊具になってます。(まねをしてはいけません。)あとは昼寝用ベット。

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2007/06/18

その後の太郎くん

保育園2週間目、週明けからアクティブに泣いていた。火曜日になり、夜中1時間ごとに起きて泣く太郎。最後はどうしても泣きやまなくなってしまい、4時くらいからリビングの座椅子で抱っこしていた。
喉と鼻がゼロゼロしてるみたいだ。
薬もらわなくっちゃ。
鼻水は耳鼻科だけど、また
「集団保育は3歳すぎてから。」
とかいわれるな~。ほとんど眠れなかったため必要以上にマイナス思考になっていた。
いやだな~、小児科にしようかな~。
でももう病院いく元気もないけど、旦那も休めないだろうかななんとか連れていかないとな~。
でももう体が動かない。
5時になり旦那が起きてきた。旦那が抱っこしてくれた。私は布団に倒れこみ、そのまま起き上がれなくなってしまった。
ああ、たった1週間で自分の体調で休んでしまった・・・。
でももう体が動かない・・・。
旦那が娘と太郎を連れて出勤してしまった。旦那は病院に連れて行ってくれるだろうか?
どうしても病院にいかないとまた眠れなくなってしまう・・・。
結局そのまま眠りにおち気がつけばお昼。なんかたべなきゃと思ったけど、だるくて起き上がれない。
すると旦那が太郎を連れて帰宅。ドアがあくのと同時に嬉しそうな太郎の声。寝室で私の姿を見つけるとおおはしゃぎ。旦那曰く、
「家に着いたとわかったとたん元気になってはしゃぎだした。」
心優しいよくできた旦那は、
「2時になったら病院に連れて行くから寝てていいよ。」
といってくれた。単に寝不足かと思ったけど体の重さが尋常ではない。お言葉に甘えて1日寝ていた。太郎はその晩は泣いて寝付かなくなることはなく、翌日熱もあがらなかった。私もなんとか出勤した。保育園について保育室にはいった瞬間不安げな表情。オムツがえは泣かなくなったが私が出て行こうとおいた瞬間やっぱりおお泣き。私から保育士さんにパスする。保育士さんにも太郎にももうしわけなくてそそくさと保育室をでる。その日もおんぶで過ごしたそうだ。木曜日、迎えに行くとやっぱり保育士さんにはりついていて私をみたとたんおお泣き。でも一番若いと思われる優しげなお姉さん先生が、
「今日は笑ってくれたんですよ~。笑ってくれるとこっちもうれしくなっちゃって。」
と教えてくれた。その日は午後からは自分で遊んでいたらしい。ひよこ組娘もお世話になった先生もいるしベテランで優しげな先生もいて安心していたが、また新たに素敵な保育士さんに出会えてラッキーだなと思った。
金曜日、迎えに行くと太郎はのしのしとつたい歩きをしていた。そのとき太郎は私にきがついていなかったが、気がつくと泣き出した。先生曰く、
「午前中のおやつまでは泣いてたけどその後は遊んでましたよ。」
と教えてくれた。ああ、これで保育士さんに大変な思いをさせることが1つ減ったと嬉しかった。昨日笑っていたというのを半信半疑で聞いていたのだが、その週末に控えた父の日ようのカードの写真はいつも家で見せるようにニパッと笑っていた。もちろん太郎は工作なんてできないので、カードは保育士さんの力作だ。
なんとか保育園でも楽しく過ごせそうかな?
Sn340488←あるところにはありました。ベビーシューズ12cm898円。西松屋にて

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2007/06/09

太郎、発熱

土曜日、いつもどおり起きてきた太郎。やっぱり少し食欲がないみたいだ。お昼近くなり頭をさわるとなんか熱い。
あわてて熱を計ると38度。急いでかかりつけの小児科へつれていった。とりあえず解熱剤はもらっておかないと日曜日大変だ。少しだけ鼻水をたらす太郎。
もしかして突発性発疹だろうか?
病院から帰ってくるとぐったりする太郎。その日はお祭りに行く予定だったが娘とパパだけバレエの帰りによってくることにした。私もなんだか眠くなってきて、太郎と私は布団に入った。5時頃意識が戻ったが、なんだかだるくて起きられない。太郎は夕方になり元気になってきた。熱も37.8度。自力で立ち上がり遊んで回っていた。
しかし夕飯はやっぱりあまり進んでは食べない。その日はおっぱばかりほしがった。何も食べないよりはいいだろうその日はほしがるだけあげた。
寝るころになり鼻水がでたので、どうしようかなと思っていた鼻水とのどの薬を飲ませた。夜中はかなり頻繁に泣いた。おっぱいを差し出してもいやがるときもあった。横になったまま抱き上げて頭を高くしてあげると寝つけるようだ。体は結構熱かった。でもむやみに解熱剤を使うのはどうだろうと思い、使わなかった。結局その日は太郎の泣きでほとんど眠れなかった。
朝になり検温すると38.7度。解熱剤を入れた。朝ごはんはほとんど食べず、野菜ジュースを少しだけのんでおっぱいを飲んだ。寝ぐずりが始まり、寝始めたので私も一緒に寝た。昼になっても熱は下がらず、再び解熱剤投入。
夕方になると再び元気になって、熱も37度代まで下がった。このまま最後の解熱剤は使わなくて済むかなと思ったけど、深夜になってやっぱり熱が上がり、最後の解熱剤を使った。この時点で、月曜日の休暇を覚悟した。
娘は高熱がでてもたいてい一回だけ解熱剤を使えば熱は下がってしまう。もう一度病院に行かねばならないのだろうかと思っていたが翌日熱は下がった。たぶん呼び出されるだろうなと思いつつ保育園に連れて行ったが、夕方まで何も連絡はなかった。
月曜日はヤボようのためいつもより遅く家に帰った。大丈夫かなとおもったけど、太郎はきげよく遊びまわり、自分のご飯のあと私のご飯も食べた。これからしばらく週末は保育園疲れの太郎を回復させることにつぶれるかもしれない。まあ、しゃーないね。

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2007/06/02

ならし保育

育児休暇の最後の一週間も瞬く間にすぎ、いよいよ太郎のならし保育。普段は8時登園なのだが、ならしということで9時登園。1日目は半日で2日目は1日。
ああ、久々に太郎なしで過ごせる時間。
何をしようか?
1日目はとりあえず美容院にいくと決めていた。太郎のならし保育が決まった直後、ふとみた富山の情報誌に近所にできたエステのお店の情報。
なになに、リンパドレナージュ全身マッサージ・・・。
これだ!これしかない。
早速電話で予約した。
いよいよ太郎のならし保育1日目。お天気は曇り。これなら自転車でいける。早起きをしようとは思っていたが、6時には目が覚めた。太郎が寝ているうちに風呂場の掃除をして洗濯。まだだれも起きないうちに寝室以外の部屋に掃除機をかける。9時登園に間に合うように余裕をもって準備できた。5時におきれば8時にでられるわけだ。
9時に保育園につく。部屋に入って日常道具のおきばを教わっているうちはなんともなかった太郎だが、オムツを換えるだんになり泣き出す。太郎は寝転ばされるのが大嫌い。なんとかオムツをかえると保育士さんが抱っこを代わってくれた。
泣き叫ぶ太郎。
ああ、やっぱりおお泣きだ~。
後ろ髪ひかれながら保育室を後にする。美容院は9時半に予約した。たぶん1時間くらいで終わるだろうというよみだった。少し時間があったので、その辺を自転車で走り回った。
なんというか複雑な心境。
今の自分を自由だと喜ぶのはあまりにも無責任だと思う。
でも娘のときのように娘を保育園に預けることに対する負い目はない。世間で女性が働くことがかなり日常化して世間に対するひけめがなくなったのと、子供にとっても同じ年齢の子供と過ごす時間は結構楽しそうだということが娘の保育園生活を通じてわかった。もし私が専業主婦だったとしたら、転勤してきて知人もなく少なく親族とも離れて暮らしているためあと半年くらいは太郎は私と2人っきりの生活が続いていたと思う。公園で人とのかかわりがもてるのは歩きだして以降だと思うし、富山は0歳児向けの育児サークルはあまり活発ではないようだ。そばに親族がいることが一般的なせいだと思う。
そうこうするうち予約した時間になり、美容院へ。1年以上ぶりにそれでなくても髪の多い私の髪のボリュームをカットで落とすにはそうとう時間がかかり、パーマもヘアカラーもしないからと思いすすめられたトリートメントして洗い流しが終了すると時計は12時をさしていた。思いがけず時間がかかった。慌てて保育園に迎えに行った。
ちゃんとお昼ご飯は食べられたのかなと思ったが、保育室に入ると太郎はすやすやと寝ていた。さすが保育士さん、腕が違う。なんでも午前中のおやつまでは泣いていたけどそのあとは遊びだして、元気にすべりだいで遊んでいたらしい。でもオムツ換えをすると、またまた泣き出した。抱っこすると泣き止み、自転車で家に帰った。私はまだお昼ご飯を食べてなかったので食べているとそれをよこせと襲い掛かる太郎。
お昼ごはんは食べたってはなしじゃなかったのか?
そのあと翌日にそなえお昼ね布団をだしているとプラケースにはまって遊ぶ太郎。保育園にいくたびヤンチャになっていく感じ。それが終わるとなぜか眠くなる母。太郎のほうが疲れている感じがするが意外と元気な太郎。寝室に誘導し横になっていると2人で爆睡。外で雨が降り出した音がしたがそのまま寝てしまった。太郎は置きぬけはやっぱり疲れているのか機嫌が悪かったがその後は元気だった。
その日旦那は飲み会で、私は生協のチンするだけのオムやきそばをチンするのがやっとなくらい疲れていた。これから生協で少しチンするだけの食材を増やそうと思った。
2日目夕方まで保育。マッサージは1時間、残りの時間は引越しをする気持ちで少し身の回りのものを整理しようと思った。ところが、マッサージが終わり家に着いたのがやっぱり12時。なんとかいらない本の整理をして夏に向けて衣類の整理するのが精一杯だった。
そろそろ物置部屋をかたずけないとな~。
マッサージはよかった。これから足しげくかよってしまいそうだ。たださすがエステ系で、帰りに骨盤矯正下着をすすめられ、ついつい買ってしまった。出産以来骨盤は気になってはいた。復帰前から散財してしまった。
通常よりは少し早めに4時に迎えにいった。車だったので、先に娘を迎えにいくと娘のお友達に、
「赤ちゃんいないの~?赤ちゃんおもしろいから連れてくればいいのに~。」
といわれた。朝は娘に、
「朝は急ぐから帰りは一緒にひよこ組行こう。」
と約束していた。娘をひろいひよこ組にいくと太郎は睡眠中だった。オムツを替え始めるとやっぱり泣き始める太郎。その日は寝ていておやつを食べそこね、お昼ご飯もあんまり食べなかったそうだ。ひよこ組で私が支度をしていると必ずハイハイでお友達がよってきて愛想をふりまいてくれる。太郎より月齢が低い子だがたくましくてほほえましい。
その夜、家でも少し食欲がなかった太郎。夜も結構ないて、おっぱいでもなかなか泣きやまなかった。いよいよ出勤の日がやってくるのであった。


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2007/05/29

風呂場は危険!

旦那は飲み会だった。食事も終わり、お風呂に入った。最近日に15分くらいは仲良く遊べるようになった娘と太郎。太郎はお姉ちゃんと遊びたくてたまらないのだが、最近1人遊びが楽しくなった娘は気分がのらないことが多い。でも娘は太郎と一緒に寝たいらしく、一緒に布団に入ろうとするのだが眠くなるとママじゃないとだめになってしまうので嫌がる。しょうがないので枕もとにお気に入りの人形をたくさん寝かしてねる娘。その日は洗いものをしていると座卓によじのぼり遊んでいた太郎が落ち泣いた太郎を娘がなだめてくれた。それでちょっと油断していた。大人1人で子供2人をいれられるように赤ちゃん用バスチェアーを買った。だがその日の日中、太郎はベビーカーのベルトを抜け出しベビーカーに立ち上がっていた。そして部屋にそのバスチェアーがあるとき、抜け出さないようにバーがおりているのに、その中に座って遊んでいた。太郎はベビーカーに続きバスチェアーも抜けた。我が家のお風呂はガス釜がむき出しのタイル張りの風呂だ。あと少し、頭を洗う間だけ、娘に湯船で沈まないように太郎を支えてもらうことにした。太郎も機嫌がいいと自力で遊ぶようになり、余裕もできた私は最近娘もかまってあげられるようになってきて、娘も大分心を許しはじめた。湯船で私にあーでもないこーでもないと話しかけてきた。私がふと立ち上がった瞬間だった。
太郎が湯船に沈んだ。
お湯の中に太郎の脳天が・・・・。
慌てて引き上げた。
咳き込み泣き叫ぶ太郎。一瞬娘を怒ろうとしたが、5歳の娘に責任はない。娘もびっくりして泣き出した。怒らずできるだけ冷静に、
「水があるところでふざけてたらこわいんだよ。わかった?これからプールのときもふざけてちゃだめだよ。だれかが沈んじゃったらすぐに大人の人を呼ぶんだよ。」
といって聞かせた。娘が生まれたとき、旦那から旦那の職場の先輩がやっぱりさっきまで湯船につかまってたていた子供が目の前から消えて沈んでいてものすごく慌てたという話を聞いた。娘はあんまり動かない子だったこともあり、そんなことあるのかなと思ったが、目の当たりにしてしまった。最近活発に遊び、上手に伝い歩きをしたり自分の興味あるものを指差したり、ほしいものがあると一目散に飛んでいき、日に日に幼児化していくなと油断していた。まだまだ目が離せないなと改めて思った。

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